2015年03月20日

◆安保法制与党協議への対案なき反対論

高橋 昌之



自民、公明両党は6日、安全保障法制に関する与党協議で、集団的自衛権の行使を容認する法案について大筋で合意しました。ポイントは「日本と密接な関係にある他国が攻撃され、日本の存立が脅かされる」という事態を「存立危機事態」として、今国会に提出する安全保障法制に反映させるということです。

これは昨年7月に集団的自衛権の行使を容認する閣議決定で明記された(1)わが国に対する武力攻撃、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある時、

(2)これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない(3)必要最小限の実力を行使する-という「武力行使の新3要件」に基づいたものです。

今回の大筋合意はこの閣議決定を具体的に法制化するための道筋をつけたものとして、私は大いに評価します。しかし、相変わらずですが、これに対して朝日、毎日両新聞は社説で大々的に反対論を掲げました。

意見は反対であっても論理的、政策的な主張ならばいいと思いますが、両紙の主張は集約すれば「急ぎすぎだ」という情緒論にとどまっており、疑問を提起するばかりで集団的自衛権の行使なしにどのようにして日本の平和と安全を守るのかという「対案」は何らありません。

両紙への反論シリーズはこれで13回目になりますが、今後の安全保障法制をめぐる議論は日本の将来にとって極めて重要で、冷静かつ論理的に報道、主張していくことが、新聞の責務と考えていますので、今回もまた両紙の主張に反論したいと思います。

与党の大筋合意について、まず朝日新聞は9日付の社説で、「立ち止まって考えること」と題し、「日本のありようを根底から変えるような動きである。国民の理解を得る努力を抜きに、拙速に進めるべきではない」と主張しました。

安全保障問題となると、朝日がいつも展開する「拙速批判」ですが、朝日が「拙速ではない」と納得することは果たしてあるのでしょうか。本当は「合意すべきではない」と言いたいのでしょうから、率直にそう書けばいいと思います。

また、この日の社説には意味がよく分からない主張が出てきます。社説は今回の安全保障法制のキーワードは、昨年7月の閣議決定のタイトルで明記された「切れ目のない安全保障法制だ」とし、「『切れ目のない』は『歯止めのない』につながりかねない」「自衛隊の迅速な対応を重視する考え方だが、逆に言えば、小競り合いを止める間もなく事態がエスカレートし、軍事衝突に発展する危険性をはらむ」との懸念を示しました。

そのうえで、「ならば、むしろいったん切れ目を置いて、起きてしまった紛争を最小限にとどめる方策を考えるべきではないか」と主張しています。

しかし、まず根本的に「切れ目のない」を「歯止めがない」ととらえること自体、何の根拠もなく、ただ自分たちの主張に都合がいいように意味をすりかえたものにほかなりません。こうした手法は卑怯(ひきょう)ですし、読者をミスリードすることになるので、やめるべきです。

それに朝日は何かといえば「歯止め」といいますが、私は本来、安全保障においては法律の制約はなるべく少なくすべきだと考えています。事態が生じた場合の軍事的対処は必要不可欠なことを迅速に行う必要があり、それこそわが国や国際社会の平和と安全に資するというのが国際的な軍事的常識だからです。

それを朝日は「エスカレートして軍事衝突に発展する」との懸念ばかりを強調し、「切れ目を置いて紛争を最小限にとどめる方策を考えるべきだ」と主張します。しかし、それがどんな方策なのかは書いてありませんからさっぱり分かりません。ぜひ具体的に主張してほしいものです。恐らく読者を納得させられるだけの方策は示せないと思いますが。

また、後半では「政府・自民党の狙いは自衛隊の活動範囲を広げ、できる限り他国軍並みにすることだ」と批判的に断じていますが、これは安倍政権が日本を軍事大国にしようという思惑を持っているとの印象を与えたいのでしょう。そんな思惑がどうしたこうしたという主張ではなく、集団的自衛権の行使について、国際情勢や日本の安全保障のあり方を踏まえた論理的な議論を行うべきではないかと思います。

さらに、社説は「そもそも、現政権は何を目標としているのか。日本をどんな国にしたいというのか」と疑問を投げかけています。安倍首相が何度も記者会見や演説で説明してきている「積極的平和主義」の内容を知らないとでもいうのでしょうか。そんなはずはありませんから、「無知を装った言いがかり」としか言いようがありません。

こう反論してくると、朝日は昨年の慰安婦報道や吉田調書をめぐる報道の取り消し、謝罪とそれに伴う社内改革をしたはずなのに、少なくとも安全保障を めぐる報道、主張においては相変わらずの体質が続いているようです。朝 日に対しては社説のタイトル通り、自らが過去の主張の延長線上で社説を 書き続けるのではなく、「立ち止まって考えてはどうか」と問いかけたい と思います。

一方、毎日は6日付の社説で、与党の安全保障法制協議について「急ぎすぎ 詰め込みすぎ」と題し、「まるで積載重量オーバーのトラックが猛スピードで急カーブを曲がるようなものだ。今のままでは法体系が荷崩れを起こしてしまうのではないか」と警鐘を鳴らしました。朝日と同様の「拙速批判」です。

これを書いた論説委員は「うまい表現で社説を締めくくれた」と思ったかもしれませんが、私は逆に主張が情緒論だという印象を持たせるだけだと思います。

内容も「どちらの法律を適用するかといった整理は政府内でもできていないようだ」「『切れ目のない対応』の名のもとに、山盛りのメニューが整理されずに提案されているようにみえる」などと、断定する自信さえない批判のオンパレードでした。

これでは毎日が与党協議の何が問題だといっているのか、政策的、論理的には全く分からないと思います。

朝日、毎日両紙は今、23年前の平成4年6月16日付の社説で、国連平和維持活動(PKO)協力法成立についてそれぞれがどう主張したか、直視できるでしょうか。

その際、朝日は「PKO協力法の不幸な出発」、毎日は「遺憾なPKO協力法案の採決」と題し、国のあり方が変わる法律が拙速に成立したと「拙速批判」を展開し、反対論を書きました。しかし、結果はどうでしょうか。両紙とも現在では日本のPKOに反対していないどころか、高く評価しているではありませんか。

このことはまさに両紙が当時、「日本を取り巻く国際情勢と時代の流れ、日本が果たすべき役割を理解できなかった」という証拠に他ならず、今の両紙の主張も私にはそう見えます。

安全保障の根幹は平和と安全を守るために最悪の事態を想定して事前に備えるということであり、それこそが脅威の抑止につながるのです。もう情緒的な「批判ありきの批判」はやめて、本当に日本の安全保障はどうあるべきか、冷静に論理的に議論しようではありませんか。
                      (産経新聞長野支局長)
産経ニュース【高橋昌之のとっておき】朝日・毎日への反論(13) 
                           2015.3.18
                    (収録:久保田 康文)


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