2015年03月20日

◆検証「シンガポールの戦い」

平井 修一



「シンガポールの戦い」(英: Battle of Singapore)についてウィキで調べた。同地はアジアで最大、最強の英軍の要塞だった。

<第二次世界大戦の東南アジア戦域で、1942年2月7日から2月15日にかけて行われた戦闘。2月15日の朝、日本軍は連合軍の最終防衛線を突破した。

米英による連合軍の食糧と何種類かの弾薬は、既に底をつき始めていた。パーシヴァルは指揮下部隊の司令官たちと協議したあと日本軍と連絡し、午後5時15分を少しすぎたころフォード自動車工場において正式に山下司令官に降伏した

日本占領下のシンガポールは昭南島と改名され、日本によるシンガポール統治が始まった。その後シンガポールが戦禍に巻き込まれることもなかったため、軍政は大きな支障もなく進められ、官民を問わず多くの日本人がシンガポールに渡った。

その後日本人向けの食堂や料亭も作られ、また日本軍はこれらの日本人のために昭南神社と忠魂碑を建立した。

この後、蒋介石率いる中国軍やオーストラリアを経由したイギリス軍の支援を受けて日本軍に対するゲリラ活動を行っていた多数の中国系住民(華僑)が摘発された。これにより、6000(文部省社会科教科書)〜数万人(シンガポール政府発表)が殺害されたといわれる(シンガポール華僑虐殺事件)。

*影響

イギリス陸軍は敗北を喫し、シンガポールは陥落した。この戦いで、約8万人の英本国兵や英領インド兵や英領オーストラリア兵が捕虜となり、マレー半島の戦争で投降した5万人に加わった。

印度洋と太平洋を結ぶこの地はチョークポイントである。当時のイギリスは世界最大の植民地帝国であり、シンガポールはアジアにおいて「東洋のジブラルタル」と呼ばれていた。東洋艦隊に最新鋭の戦艦を派遣したことからこの地の重要性は理解できる。

そして、この地から欧州の勢力が一掃されたという事実はアジアにおいて植民地時代の終焉に至る重大な事であった。

当時、自由フランス(フランス亡命政府軍)軍の指導者であったシャルル・ド・ゴールは、「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終わりを意味する」と述べた。

またこのシンガポール陥落また大英帝国戦艦のプリンス・オブ・ウェールズやレパルスが日本軍に撃沈された事はイギリスにとっては屈辱であるが、イギリスに長年植民地とされ過酷な搾取を受けたアイルランドはこれを歓迎し、記念として扱っている。

このイギリス軍の敗北は、当時イギリスの植民地であった東南アジアの民衆を鼓舞した。そして、1945年に日本軍が連合国軍に敗北した後に、勝戦国であるヨーロッパの植民地宗主国軍(英、仏、蘭)は再びこれらの地を植民地支配しようと試みたが、第二次世界大戦で国力を失ったこれらの国の軍隊に東南アジアの民衆は勝利し、植民地からの解放を勝ち取った>(以上)

朝鮮日報3/13「『慰安所』前に日本兵が順番待ちで並んでいた」から。

<大学生だったリー・クアンユー(李光耀)氏は寄宿舎にいたとき、爆発音で目を覚ました。1941年12月8日の未明。英国植民地のシンガポールに日本軍が攻め込んできたのだ。

3日後、彼は街で初めて日本兵を見た。小柄な体格で長い銃剣が付いた小銃を持つ姿は見慣れぬものだった。軍帽の後ろに白い布が付いているのも特異だった。ジャングルで戦って風呂にも入れなかったのか、異臭を放っていた。

日本軍は数の上では劣勢だったが、大胆な速攻戦で英国軍を撃破した。それまで何の疑いもなく受け入れられていた白人優越神話が崩れた。「西欧帝国主義の下、奴隷のように暮らしてきたアジア人たちを解放させる戦争」という日本のうたい文句そのままだった

。しかし後日、シンガポール首相になったリー・クアンユー氏は「新たな支配者になった日本軍は英国人よりも残酷・乱暴・不当で、悪意を持って同じアジア民族である私たちを扱った」と回想している。

日本軍は占領直後、中国系住民を探し出した。トラック約50台に乗せて海岸に連れていった。そして彼らを後ろ手に縛り、海に向かって歩くよう命じた。背後で日本兵の機関銃が火を吹いた。兵士たちは死体を足で蹴ったり、銃剣で刺したりして生存者がいないことを確認した。

後の戦犯裁判で日本軍は「当時、反日分子6000人を殺した」と認めた。真相調査団はその数を5万−10万人と推定した>(以上)

1967/5/10衆議院大蔵委員会における堀昌雄議員(社会党、後に社会党副委員長)の発言から。

<私は、実はこの前の戦争のときに海軍の軍医として作戦に参加をしました。ちょうどセネター軍港が落ちて、昭和十七年の二月の中旬にこの軍港に入って、御承知のシンガポール華僑の大虐殺というのを、船の中から双眼鏡で、対岸でやっておるのをかなりつぶさに見ました。

われわれ日本人が、何の罪もないあの華僑をおそろしい手段と方法によって大虐殺をしたというのをまのあたり見た経験があるわけです>(以上)

「何の罪もないあの華僑」・・・多くの華僑が反日活動をしたことは確かだから、この表現は間違っている。

当時、シンガポールは英領マラヤ(マレーシアの前身)の一部だった。マレーシアのマハティール首相(1981〜2003在任)はルック・イースト政策で「日本に学ぼう」と訴えたが、日本が「シンガポール華僑の大虐殺」をしたのなら、まさか、どうころんでも「日本に学ぼう」とは言わないだろう。言えば華僑から間違いなく殺される。

その人にとっての正義やら商売のために「人は平気で嘘をつく」のは吉田清治や朝日報道ではっきりしている。社会党は共産主義を目指す政党で、今の社民党の原点だ。

社民党が嘘八百で“従軍慰安婦”をでっち上げたことはようやく知られるようになった。堀昌雄議員も同類ではないか、とても信用できない。怪しい奴、である。

南京攻略戦での大量虐殺など、「日本は悪逆非道をした」、だから「我々は被害者だ、正義だ、悪をなした日本は謝罪し賠償し続けるべきだ」ということでしか民族や政権の正義、正当性、矜持を主張できない中韓は、これからも戦況が緊張するにしたがってプロパガンダ、謀略宣伝戦を強めていくはずだ。

中韓露北+沖縄独立派を正しく敵として認識し、彼らの一番嫌がる方法で押さえ込んでいかねばならない。遠慮や気兼ねをしていい時代ではない。
叩けよ、さもなければ叩かれる。そういう時代だ。(2015/3/17)

    
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