2015年04月17日

◆英語論を考える

前田 正晶



「頂門の一針」3629号の荒木純夫氏のご意見をお読みだったと思って申し上げてみます。

私は池田元彦様も荒木純夫様も我が国の学校教育の中で十分に学ばれ、しかも 優れた英語力を養ってこられて基本的な力を備えてこられたと推定してご 尊敬申し上げております。その基本を活用されて海外でも最高限度の実績 を挙げてこられた上で英語を論じておられる、私とある意味で対極にある 学究的な方だと申し上げても良いかと、勝手に解釈しております。

実は、かく申す私も普通に我が国の学校教育の中から育ったのですが、その傍らで幸か不幸かGHQの秘書を含めて多くのアメリカ人と接触する機会があって、学校教育の場以外に自由に話す機会に恵まれたという点が違うかと思います。

その後に就職した会社では、英語とは全く無縁な国内の販 売だけを16年続けた後で、本当に偶然のことでアメリカの会社に転身して いました。その経過は「アメリカ人は英語がうまい」に述べてあります。

そこから先に池田様の英語でのご経験と英語論との違いが発生する原因が出てきたと思っています。それは「私の場合は英語しかない世界に飛び込んだことで、“アメリカ人の英語の世界”を内側から見てきた結果になった」ということです。

一方、池田様は英語の世界をご経験なさったので も、飽くまでも外国人としてのご経験を積まれたので、外側から見た経験 した英語ではなかったのかと思わせる点が多々ありました。

これは転身後長年付き合ってきた大手商社、大手需要家(全部が一部上場会社と言いたいのですが、スエーデンのTetra Pakは多国籍企業ですが非上場)、船社、倉庫輸送会社等々には我が国でも最優秀の社員が揃っていました。そこで聞かれた英語は「学校教育の最優秀な成績を収めた精鋭のそれ」ばかりでした。そこに我が国の英語は何処か違うなと思うに至りました。

そこで我々(と言って良ければそう言いますが)が感じたのは、駐在や留学の経験で鍛え上げられた高い水準にあるとは言え、何処まで行っても「科学として英語教育」での優秀さであって、native speakerたちとは一線を画しているのですが、立派にアメリカ人たちと議論も交渉も折衝も出来る水準以上にある方々が多かったのです。

故に、私は長い間「我が国の英語教育には問題なしとなしないが、あれはあれで良いのだ」と無批判且つ無干渉にしてきました。しかし、リタイヤー後に若手の部類に入る大学の先生方に接する機会を得て論じ合ってみますと、一般論としては(池田様たちのような実力者は除くという意味です)我が国の外国語教育の質の低さには憂うべき点が多々ある世界最低の部類に入る」ということが明らかだと思うようになり、改革論を彼らと共に唱え始めました。

そして今回池田様と意見交換の機会を得て痛感したことは「明らかに池田様と私ではよって来たる基盤と経験が異なるので、言うなれば別の学派に属するとでも言えるほど違う。即ち、池田様は自分の言語ではなく英語を外側から認識して使ってこられた方である」ということだと認識しました。

一方の私は、仮令知らずに入っていった世界であっても、アメリカ人だけと過ごす時間が長くそれしか使える言葉なないことを経験したので、英語を内側から見るというか、ほとんど自分の言語として使い続けた結果での英語論に到着したのだ」と言う池田様との違いが出たと思うのです。しかも私の環境ではある程度以上の品格を求められるという一種の難しい規制まであったのです。

そこまでのことを一般的に我が同胞に求める必要なないと池田様は言われていると思っておりますが、如何ですか。私もそうは思いますが、最初から妥協することなく一定以上の高いところを目指しておく方が、後々では良いのではないかというのが前田理論だと思っております。更に言えば、私は異なる見解と持論に立脚した意見交換が出来ること、今回のように出来たことが非常に良かったし貴重な経験だと感謝申し上げております。

また、それ以上でも以下でもない得がたい経験だと申し上げたいのです。荒木氏のご経験もご素晴らしいと敬意を表しますが、矢張り私とはよって来たる基盤もご経験も異なるので、相互に批判も何もすべきではなく、有り難く承っておくべきだと思うのですが、池田様は如何お考えですか。
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