2015年04月18日

◆私の「身辺雑記(211)

平井 修一



■4月15日(水)。朝は室温16.5度、快晴、強い日射しのなか、雨上がりの道をフル散歩。久し振りにいい陽気だ。桜のガクで遊歩道は小豆ご飯のような紅色だった。やがて茶色になってゴミとなってしまう。

ゴミと言えばこんな記事(読売4/8)があったっけ。

<中国で焼却場建設反対の住民1万人が警察署襲撃

【上海=鈴木隆弘】8日付の香港紙・明報によると、中国広東省羅定市で6、7日、ゴミ焼却場の建設計画に反対する住民がデモを行い、警官隊と衝突した。

6日には、集まった住民5000人近くに対し、警官隊が催涙弾や警棒で抑え込み、住民側に多数の負傷者や拘束者が出たという。翌7日には反発した住民1万人近くが、地元政府庁舎を取り囲み、警察署に乱入、警察車両をたたき壊すなどした。同市政府は7日、建設計画の停止を発表した。

中国では近年、ゴミ焼却場の建設に反対する抗議活動が多く、計画が相次ぎ中止に追い込まれている>(以上)

中共政府が「安全だ」と言っても人民は「我々はさんざ騙されてきた。もう絶対政府を信じない、騙されない」というわけだ。建設中止を陳情したところで逮捕されて刑務所送りになるだけだから、デモや暴動で戦うしかない。

それにしても1万人! 1個師団! まるで戦争だ。自然発生的なのか、見えない司令塔があるのか。

石平氏曰く「ごみ焼却場建設に反対する約1万人のデモ隊が暴徒化し警察署を襲撃する事件があった。つい先日、首都の北京でも30人のタクシー運転手さんが服毒自殺を計った。習政権による未曾有の厳しい圧政の中では民衆の反抗はますます激しくなる」。

タクシー運転手の自殺の件は、こういうことだ。

<倒れていたのは、黒竜江省の運転手らで、タクシーの貸借などをめぐり不満を持ち、陳情のため北京に来たとされる(平井:運転手はタクシー会社から車をレンタルして稼ぐ独立事業者。レンタル条件が不利なのだろう)。

北京市では、多くの人が集まる天安門や国家指導者が執務する中南海付近などで、地方から来た陳情者らが集団で農薬を飲んだりする騒ぎが多発している。

多くは土地強制収用や立ち退きといった不満を訴えており、服毒で通行人らの関心を集めるとともに、当局に抗議の意思を表そうとしている>(時事通信4/4)。

どうしようもない滅茶苦茶な国、人民にとっては生き地獄だ。法治がない。とてもじゃないが近代国家とは言えない。野蛮な未開国のレベルだ。酋長・習近平の首を落とさないと改革は始まらない。憂国、維新の気概をもって「初めの一歩」を踏み出す政治家、軍人はいないのか。出でよ孫文、汪精衛!

昨日アシアナ航空が広島空港で着陸失敗、大破。人災の国=韓国。

■4月16日(木)。朝は室温17度、快晴、フル散歩。八重桜は派手すぎ、重すぎ、厚化粧。優雅、風格、気品にかける。やはり凛とした桜がいい。
ま、小生も凛としてはいないが。

小生は「人が好い」「お人好し」とはとても言えない。常に懐疑的で警戒心が強い。自分自身も自分を信じていない。この世は愛や好意、善意ではなく、その反対の悪意、作為、欺瞞、憎悪に満ちているから、それくらいが丁度いいと思っている。

伊東乾氏の論考「増えすぎた秀才が日本の大学に危機をもたらす 物事をまず疑ってかかる『いちびり』が消え、発見する力が急低下」(JBプレス4/14)から。

<できるやつ、というのがいます。

だいたいは出る釘だったりして、いろいろ打たれたり、打たれても打たれていること自体に気づかないくらいに強靭だったり、まあいろいろなケースがありますが、ともかく仕事ができるやつ、常に創造的な人、どうやってもアイデアが枯渇しない人間といった人が一部に確かにいる。

逆に、そうでない人も、まあ普通にいるわけで、特に科学技術や基礎研究に関しては、違いは歴然としています。

・・・いや、確かに歴然とした違いがあります。が、その違いが何か?と問われると、必ずしも明確に答えられるわけではない。

いったい両者の何が違うのか?「研究倫理」を考える文脈の延長で「優等生」と「地アタマ」というポイントに光を当てて考えてみたいと思います。

*必ずしも優等生の地アタマが良いわけではない

東京大学で教えるようになってかれこれ16年、単に音楽家だけの生活であれば絶対に経験できなかったことがたくさんあります。その最たるものは「多数の秀才を教える」という経験でしょう。

通算すれば1000と言うより1万のオーダーに近い、きちんと勉強すれば優秀であるだろう学生たちを教えてみて、正直に思うのは「近年、初見の問題に対処できる学生が減ってきた」という傾向です。

どういうことか?

事前に「傾向と対策」をしっかり教え、真面目にそれを復習してマスターしてくる、真面目で地道な努力家は、いまも昔もいるのです。

が、減ってきた感があるのは、普段はスポーツとか部活とか、好きなことばかりしていて、あまり勉強しているふうには見えず、いわゆる秀才タイプという感じではないけれど、試験してみるとそこそこ以上の成績を取る。

何より、とっさの判断ができ、初めて見る問題にもその場でアタマを使い、答案を真っ黒にしてくるタフで食えない「地アタマ」の持ち主が、以前より珍しくなった気がするのです。

優等生が必ずしも「地アタマ」が良いとは限りません。むろん、地アタマ頼りでぴょんぴょんやってるのが良いとも言えず、地道に落ち着いた20年、30年で成し遂げられる業績も多い。

ただ、アクロバティックなひらめきを感じさせる学生がいると、なんとなく嬉しくなりますし(概して生意気極まりなく、最初は手を焼いたりもするのですが)、そういう学生が減ってしまうと、正直どこか寂しくなります。

*旧制高校は地アタマの世界

しばしば私が言及する旧制高校・旧制大学は、これと大いに違った空気が支配していました。学生はバンカラ、高下駄、学帽、しょうゆで煮染めたような日本手ぬぐいで鉢巻していたり、まあ今日では一部応援団など除いてほぼ絶滅した「学生像」であったりしたわけですが、旧制時代の特徴に「授業に出ない」というのがあります。

少し前まで新聞の「私の履歴書」みたいな欄には「学生時代はボートばっかり漕いでいて、授業は全く出ず、友達からノートを借りて一夜漬け」みたいな猛者の話がたくさん書いてありました。

正直こういうものには私自身やや辟易しており、大学に入ったんだったら勉強しろよ、とか思ったりもするのですが、ともかくぜんぜん授業とか出ないのに、ノートを手に入れてそれなりの成績・・・ことによると相当好成績・・・を挙げて、役所に進んだり企業で経営責任を持ったり、大きく育った人たちが確かにいました。

地アタマ、だと思うんですよね。その場で考え、何とかする。試験もそうだったのでしょう。そして会社や役所に入ってからも、その場その場で考え、問題を解決してきた。

チャート式にあらかじめ正解が書いてあり、それを暗記して反復する、というような勉強とは明らかに違う、あたまの使い方がここにはあります。なぜそういうやつがいたのか?

「それで何とかなってきた」という経験が、そういう学生のアクロバットを成功体験として増幅してきたと思うのです。

逆に最近そういう学生が減っているのは、そういう成功体験ではなく、別のもの、もっと手堅く、よく言えば地道に、悪く言えばあまり発想を膨らませず、すでにあるものをしっかり学んで、それで中学、高校、そして大学と進んできた学生の割合が増えているのではないだろうか。

そんなふうに思うのです。

ここで、何か学校で教えられる内容、あえて言えば「ルール」に対して、どのような反応を示すか、という違いで「地アタマ」の有り方をタイプ分けしてみたいと思うのです。

例えばニュートンの運動法則というのがあります。「物体が運動するとき、その加速度は加えられる力に比例する」という、運動方程式F=ma(Fは力、mは物体の質量、aは加速度)を与えるものですが、これを学校で習ったとしましょう。

ルールに対する第1の反応の仕方は「F=ma」とお経のように覚えて何も感じず、考えず、暗記した内容をペーパーテストに書いて丸がつき、過ぎ去って行くというパターンです。

これはほとんど何も理解していない。仮に優等生だとしても、一切アタマを使っておらず、教科内容をほとんど理解していません。すれ違ったほどの縁もないでしょう。

(実験してみると理論と合わない)そういう例外的なことを細かに調べて、実は突き詰めていくとニュートン力学が成立している、と新たに確認し、ニュートンは偉大だな〜、なんて思う。

19世紀半ばまでの最良の物理学者のほぼすべてが、こタイプに属していたと思うのです。ガウス、マックスウエル、ラグランジュ・・・すべてそうやって歴史を作ってきた。

学校で言葉の上で習ったことを「そういう約束ね」と鵜呑みにするのではなく「本当かな?」と疑って、実際いに試して法則を確認する。そういう知のあり方が、大きく歴史を動かしてきました。

*「あっかんべー」の“いちびり”精神

しかし、これらのどれとも違う非常にクリエイティブな反応があります。それは「AはBである」と習った瞬間「ホンマかいな?!」とハナから疑ってかかる、かなり食えない性質の(やや困った)人間たちです。

ニュートンの法則はかくのごとく成立している・・・はずだ・・・と思うのに、どうしたわけか原子核の周りを電子がいくら飛んでも、安定していて原子が崩壊したりする兆しは見えない・・・。

荷電粒子が力を受けて運動すると、ニュートン力学的には光を出して失速して行くのですが、私たちが実験で確認できる多くの系で、物質は非常に安定していて、ボロボロ壊れて行く兆しは見えません。

「何でやろ?」

あくなき好奇心の塊である、やや精神年齢の低い人間たちは考えます。

関西弁に「いちびり」という言葉があります。「ふざけてはしゃぎまわること、あるいはふざけてはしゃぎまわる人」とウィキペディアにはあります。

「また人と違う変わったことをしている人を良い意味で褒める場合にも使われる」そうで、「あの人はなかなかのいちびりやで」(あの人はなかなか"人と違う工夫ができる人"だよ)などという使い方もするという。

私は母方のDNAが関西人で、「いちびり」はこの「あの人はなかなかのいちびりやで」の意味で子供の頃から親しみました。

19世紀末年以降、大きな科学革命を牽引したサイエンティストのほとんどすべてが、この「イチビリ」で常識をひっくり返すことで「革命」を成し遂げているように思うのです。

ポイントは「人の言うことを絶対にそのまま鵜呑みにしない」という精神です。

少し前に、物理学科の恩師である早野龍五先生が「物理学者は人の言うことを鵜呑みにしない」と話されるのを耳にして、内心密かに嬉しくなったものです。

そう、相対論と量子力学以降の物理は、権威主義と完全に決別し、人の言うことを一切信用しない、鵜呑みにせず、きちんと跡付けて初めて納得するというメンタリティで、この100年の発展を遂げてきたわけです。

ノーベル賞をもらった物理屋の9割以上、現存する人という意味では100%が、相当タチの悪いイチビリの集団と思って間違いない。素直じゃないんです。

で、素直に人の言うことを断片的に鵜呑みにしていたら、絶対にサイエンスの新しい発見なんかできないんですね・・・。

ということで、変なところから今回の結論が出てきました。

今日、21世紀の先端科学で、なんであれ業績を生み出そうと思ったら、学校で習うことを唯々諾々とパターンで暗記し、何でも正解する優等生は、まずほとんどの場合、貢献できません。

特に権威主義の人、理由を明示せずに煙に巻いたり、煙にまかれてもそんなものか、と思考停止してしまう状態、端的に言えば「いちびり」でない人は、自然科学の「基礎研究」で従来の常識を覆すような成果を挙げる期待値が必ずしも高くないでしょう。

なぜなら、既存のものを打ち破る仕事は、既存のものを無批判に暗記する心根からは出て来にくいから。

そして、この「いちびり魂」みたいなものの中に、研究を遂行する力と、研究不正を防止する倫理の一番の核心が詰まっていると、私は思うので
す。        
また、それは何も研究だけではなく、あらゆるR&D、社会的な仕事にも通低する骨法にも通じているのです>(以上)

大いに示唆的な論考だ。中共の学者、言論人にイチビリはいない。いても即刑務所行きだ。人権派とか、法治を求める公民権派もパクられる。

日本では物事についての見方は100人いれば100通りだが、中共では中共が認めたひとつの見方しかない。13.7億人の人民がいても習近平の見方しかない。皆クチパク、暗愚だ。

人民は66年間も中共中央の真似っこ、クチパクに専念していたから考える力がない。思考停止状態だ。世界を大変革するような科学技術は生まれない。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズといったイチビリは中共では絶対に出現しない。彼らが中共で生まれていたらとっくの昔に刑務所で殺されていたろう。

米国の産軍学複合体制にはいろいろな評価があるが、戦費を除く年間60兆円ほどの国防予算から莫大な研究費が賄われている。戦争は科学技術で勝敗が決まる。産軍学複合体制によるイチビリたちの研究は採算度外視で進められるから、たまにものすごい発明が生まれる。

原爆から原発が生まれ、ロケットから弾道弾ミサイルが生まれ、軍事研究所を結ぶ通信ネットからインターネットが生まれた。サランラップ(Saranwrap)は海上を低空飛行する軍用機を塩害から守る塗料(ポリ塩化ビニリデン)の開発から生まれた。SaraとAnの旦那さんが共同で発明した。

軍事技術は民生用技術と重なる。米国が世界最大の経済大国であるのは、最先端技術を持っていることと、膨大かつ多種多彩なイチビリによる。スタートアップで満塁弾を目指すイチビリもゴマンといる。

中共で唯一のイチビリは習近平だ。虎退治という政敵抹殺のための手段として反腐敗運動を“発明”したが、66年前の毛沢東の真似っこ、パクリだ。中共に世界を制する革新的技術は作りだせない。イチビリ初年兵の小生はそう確信している。あっちも時々チビルがの。

■4月17日(金)。朝は室温18度、快晴、フル散歩。

夕べは4月8−9日以来の集団的子育て。久し振りで孫を抱きしめて歓迎するが、1分後には耳栓をしないと死ぬ。それでも週に1回くらいは来ないと、ちとつまらない。今日は熱がまだ引かない3歳男児を預かるが、小生には泣いても喚いてもどうしようもないと知っているから大人しいものだ。

Nは3年越しの離婚交渉がようやく成立したという。やれやれ。6歳女児の親権はNにあるが、旦那とそのご両親は孫との面接をこれまで通りにできる。ご両親は孫の学資保険を続けてくれるそうで、ありがたいことだ。

ご両親に罪はない(一人息子を甘やかして育てたのは失敗だったが)。ご両親を慰労したい気分である。

クネ韓国は「恩讐の彼方に」とはいかない。叩きまくるのが良策だ。ブログ「argus akita」4/14「価値観共有不可の再確認〜南朝鮮による産経新聞元支局長問題〜」から。

<『あなたは出国できません』

空港等のPC(パスポート・コントロール)でこう言われたことのある人はよくわかると思うが、相当に血の気が引く状況である。

(きっとそう言われただろう)産経新聞の元支局長の出国禁止処分が検察の『人道的次元』(聯合ニュース)によって解除され8ヶ月ぶりに帰国するそうだ。家族や関係者の大きく安堵する気持ちが想像できる。なーにが人道的次元だ!

PCで出国不許可の経験は筆者は4回ある。モスクワのシェルメチェボ空港で2回とドモジェドヴォ空港で1回、ウクライナ・キエフのボリスピリ空港で1回。

最初の『あなたは出国できません』は1996年、ロシアに日本人が個人でビザ取って行くなどはあまり一般的でない時代で、PCの係官もあの旧ソ連時代の軍人のフライパンを頭に乗っけたようなイカツイ帽子を被った奴で、そんな奴から見下ろされる目線で出国不可&別室に行けというご託宣は今考えても相当にビビッた記憶がある。

何といっても体の大きさは違うし拳銃をすぐに抜く用意のある相手だ。挨拶とハラショ、シトシト?ぐらいのロシア語では到底太刀打ちできない。

念のため書くが、別にこれといった犯罪を犯したわけではない。(強いて言えば軽いルール違反か。しかしそれが命取りになる場合もある)

ロシアは基本的にまだ日本人の個人的な自由旅行を制限していて、宿泊を証明するレギストラーツィア(飛行機の中で書いて入国時に半分預けて半分出国時に使うもの)の運用が数年前に少々緩和されたものの、宿泊場所がホテルならそのホテルの宿泊を証明するスタンプをそのレギストラーツィアに押してもらう必要がある。これが無いと滞在中の行き先が不明とされ、調べられるわけだ。

(平井:ロシアでの恐怖の経験が続くが略す)

(ウクライナの)キエフのボリスピリではPCに並んでいる時に私服の係官が近寄ってきて持っている外貨について聞かれ、ドルでいくら、ユーロでいくらと口頭で答えた。こっちも時間が迫っていたため適当に答えていたら別室に来いと。(まだウクライナにはビザが無いと入国できない時代だ)

財布や手荷物を好きなだけ調べた挙句、持ち出し額(実際ウクライナは外貨持ち出し制限が厳しいことは知っていたし、現在もそうだろう)が申告と違うとかほとんどいちゃもんレベル。

仕方が無いので、奥の手を使った。持っていたマールボロの箱にドル札、ハミルトン(10ドル)とリンカーン(5ドル)2枚を入れて、箱ごと『タバコ吸わないか?』相手が1人のときはこれに限る(^^)。その後、解放され何とか飛行機の出発に間に合った。そんなものである(^^)。

産経新聞の元支局長の出国禁止は明確な法的根拠も示されないままの禁止8ヶ月で、明らかに人権侵害であり、世界中のマスコミも何度も批判していたものだ。批判しないのはパン・ギムンの国連くらいだろう。

帰国次第、外国人記者クラブで記者会見を開いて、南朝鮮の人治主義と人権侵害を糾弾すべきだ。何なら、新聞社とともに損害賠償を請求してもいいのではないか。

改めて『南朝鮮は民主主義国家、法治国家とは価値観を共有できない国』ということを世界に知らしめて欲しい>(以上)

ロシアやウクライナなど旧東側諸国というのは、今でも袖の下、賄賂が有効なのだろう。中共もそうだ。韓国の汚職もしばしば報道される。法律はあっても法治の精神がない。仏つくって魂入れずだ。そういう国は一流にはなれない。

AIIB(愛撫?、インチキ銀行)もゴーストタウン、ゴーストハイウェイ、ゴーストレイルウェイ、ゴーストハーバーを造って終わりになる。銀行自体ができるのか?(2015/4/17)
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