眞鍋 峰松(評論家)
「現実をあしざまに罵り、過去をたたえたり、未来に憧れたりするのは、あぶない欲求不満の人々である」。これはマキャヴェリ(1469−1527。イタリア・ルネサンス時代の政治家、歴史家。「君主論」の著者)の言葉である。
ここでマキャヴェリが指摘したかったことは、人間の欲望には際限がない、従って、当然のこととして誰もが現状に不満である。現状不満そのものが必ずしもいけないというのではない。
しかし、自分の、そして人々の現状不満が本当の進歩と建設を齎すものなら良いが、単なる妨害者、破壊者で終わるものなのか、それが問題なのだ、ということ。 この両者を区別することこそが重要だということなのであろう。
現状不満は発展へのエネルギー源だが、被害妄想的な現状敵視は物ごとの破壊にしか役立たない。 また、ある意味で、マキャヴェリのこの言葉は体制や組織作りに当たって排除すべき人の認定の仕方を教えるものでもあろう。
須らく、物ごとを成就するためには当然既往のものの破壊が含まれる。ぶち壊しの時はこういう人を利用する方が有効かも知れない。
ただ、その場合、破壊目的が達成された段階で、どのように、こういう人を排除するかを、予め計画しておく必要がある。
さて、ここまでお読みの皆さんは、一体お前は急に何を言い出すのか、という疑問を抱かれたと思う。 私の念頭にあるのは、現在大阪で激論が繰り広げられている”大阪都構想”問題に絡んでの感想である。
この“都構想”。以前に私は、『この都制問題も古く昭和40年以前から議論の的になった問題。その当時から、東京・大阪二眼レフ論の幻想の下、府市の二重行政と阪奈和合併論や道州制導入問題とが輻輳し、毎回関係団体・関係者の思惑や利害の相克の中でポシャってきた、古くて新しい難題。府民・市民にとって、利便性や行政の総合性確保等がどうなのか、誰も確信を持てない難題である。
それだけに、維新の会といった得体の知れない政党を強引に結成するよりは、もっと足が地に着いた地道な検証と冷静な論議が望まれる。』と記述した。
そもそも橋下市長の発想の原点は、大阪の地盤沈下を何とか食い止めたい、新生大阪として復活浮上を図りたいという熱い気持にあるのだろう。
生れも育ちも根っからの大阪人である私も、この橋下市長の想いがよく解かるし、共感する。
だが、大阪の地盤沈下の原因の把握に違和感を抱く(この点は、本欄に平成22年7月29日記述の「“鬱”なる時代(最終・大阪)」をご参照頂ければと思う)。
橋下市長は、恰も原因の全てを府と大阪市の二重行政に求めるが如き論法である。
そして、「全国で2番目に狭い大阪府内で同じものが建っているので二重行政だと思う」とし、その典型例として大学や病院、図書館、美術館などの施設を挙げる。
だが、現実の問題として、これらはその殆どが、過去のバブル期以前に建設の代物。府・大阪市ともに当時の豊かな財政力を背景に、時の首長が議会や地元、関係団体の強い要望の下に、競って建設した建造物。
現在の国や地方自治体の極めて厳しい財政環境の下にあっては、それら建造物の役割や規模を再度一から見直し、整理すべきものは廃止・統合を図られるべきだろう。
しかし、このことから直ちに、“都構想”即“大阪市の解体”に繋がるという論理が出て来るものか、甚だ疑問だ。
もし、単純に府・市間の重複施設の整理・統合を図って行こうと言うのなら、地方自治法に基づき、事務処理の調整をするため、知事と政令指定市長が「調整会議」を設置するという手法だってある。
その際、現在の大阪市が行なう港湾の管理や地下鉄の延伸、高速道路新設などのように広域にわたるインフラ整備、消防・救急の業務、下水道の整備、都市計画、天王寺動物園や大阪城公園など大きな公園の管理なども、専門スタッフを置いた「調整会議」で、より広域的な観点から議論すれば良いのではないか。
幸い、“都構想”論争のお陰で、ここまで府民・市民の眼前で問題点として浮上してきのだから、これを奇貨として府民・市民に公開して議論の上で解決することだって従来にもまして可能になった。
それよりも、行政運営という視点から重要視すべきなのは、本欄で記述された(4月20日 「大阪都構想の大嘘」と新潮45特集」早川昭三氏寄稿)『そもそも、今は「大阪府・大阪市」の二重行政が問題だと言われているが、その都構想が実現してしまえば、驚くべき事に「大阪府・プチ大阪市役所(一部事務組合)・特別区」という三重構造が現れてしまう。
かつてならこういう、モメ事は起きるはずはなかった。なぜなら、大阪市内の行政には、たった一人の「大阪市長」というリーダーがいたから収められた。ところが、「都構想」が実現し、大阪市が解体されて5つの特別区に分割されれば、そんなリーダーが不在となり、互いに利益の異なる5人の特別区長というバラバラのリーダーが存在することになる。
その区長は、それぞれの区民の選挙で選ばれた人達だから、選挙民の付託がある以上、選挙民の利益を最大化するために、他の区民の利益が損なわれようとも、自分の区民の利益を強く主張する局面は、必ず訪れる。
つまり、異なる区同士の間に「利害対立」が生まれるだろう。恐るべき混乱に陥るであろうことは必至だ。
ところがそこに、5特別区の間の調整に大阪府が介入してくるとなると、話はさらにややこしくなっていく。
すなわち、ここに大阪府の存在も考慮に入れれば、あっというまに何ともややこしい「三重構造」が生まれることになる 』という点だろう。
ただ、この視点もあくまでも大阪市域という範疇を出ず、“大阪”府域全体から視ればどうなのか。
この点も、“大阪”としての地域認識の差からの相違なのかも知れないが、確かに大阪市は“大阪”の中核都市であり、その中核である大阪市域で、5人の区長の独立性・独自性が強ければ強いほど、経験則から言っても、「一部事務組合」は機能不全に陥り、引いては行政運営が非効率になることは眼に見えている。(続く)