2015年04月25日

◆“大阪都構想”論争に考えたこと A

眞鍋 峰松(評論家)
       

(承前) また、現在の“都構想”について、市民の間に大きな誤解を生じていると思われる点がある。
 
それは、大阪府を「大阪都」に変えるには、例えば「大阪府を大阪都にする」といった新法をつくらなければならない。だが、特定の自治体だけに適用される法律をつくるには憲法上、住民投票にはかる必要があり、府民全体に名称変更の是非を問うことになる。 

ほかに、名称を変更できるよう地方自治法を改正する方法も考えられるが、そもそも“都”という名称は何を意味するのか。常識的に考えれば、“都”は一国の首都を意味するのではないのか。 

それで果たして、現在当然の前提のように思われている“大阪都”というネーミングそのものが、法律名称として採択されるものだろうか、甚だ疑問である。
                    
さらに、大阪復興の観点からみれば、今の議論で完全に抜け落ちていると思うのが、学術・文化の発信機能の復権である。

元気なのは吉本興業系列ばかりという状況からの脱却である。考えれば、この問題もマスコミや印刷・出版界等のいつしか行われた首都圏とりわけ東京への一極集中に起因する事柄である。


橋下市長はこの問題にどの程度の危機意識を抱いているのだろうか。
                           
故会田雄次京大名誉教授は、文化面からの大阪の地盤沈下についてその著書「リーダーの条件」の中で『ハレとケの精神学:大阪は天下の台所、その住民も庶人気質を以て任じかつそれを売り物にして来た。だから大阪にはハレの場所は育たず、その機会もなかった。だが、そのことから思いもかけぬ結果が出て来た。大阪の地盤沈下である。

それは単に東京が政治の中心だということが原因ではない。それも大きな原因だろうが、その逆手をとる方法だってある。だが、そのケ主義のためケで満足する人は大阪に集まってもハレを求める人材は大阪に来なくなった。大学は育たない。出版社も生まれない。作法・デザイン文化は展開しない。インテリは住みたがらない。

ヨーロッパ風のおしゃれの町、日本調の凝った町、六本木風植民地的風景の町も出現しない。外人も興味を示さない。京都と神戸がなかったら大阪は巨大な場末都市になり終わるところだった。

こういう環境からは科学技術も、一般学問も醸し出されて来ない。情報文化は育たない。漫才と落語だけでは困るのだ。高度な知識産業の時代、情報化社会では大阪の地盤沈下は当然の結果であろう。』と、辛辣に指摘されている。

大阪府民・市民にとって敬聴するべき意見だろう。
      
最後に、橋下市長が問題提起するように、この狭い府域に、府知事と大坂市長という実際上同格の権力者が存在しているのは現実であり、二頭建て権力を一元化しようとする試みが“都構想”である。 

まさに橋下市長の言う「いまの大阪府と大阪市は中途半端な財布をそれぞれ持っている。大阪府と大阪市という行政体を1回ぶち壊して、新たな大阪をつくっていく」のだろう。
 
確かに「両雄並び立たず」「船頭多くして、船、山に登る」の状況は避けなければならない。 この点は誰しもが理解できるし、納得もできる。 


だが、果たして、大阪“都構想”がこの状況を解消のための唯一無ニの手法なのだろうか。

今、多大の経費をかけ採るべき手法なのだろうか。現在の知事と市長の法律上の両者間の権限分与が時代の変化に立ち遅れ、現状に合致していないのであれば、どう改変すれば良いのか、という判断もあろう。
 
もし都制にとなった事後に誤解と偏見に基づいたものであったと気付いても、今回のような巨大な体制・組織の本格的変更はそうそう簡単に修正の効くものではない。
 

本当に将来の大阪を真剣に考えるならば、マスコミの行った各種の世論調査の結果が“都構想の内容がもう一つ分からない”という回答が絶対多数を占める状態での住民投票の強行が果たして正しいのだろうか。 

また、こう言えば実も蓋もないことになるが、最近マスコミ等もよく指摘しているように、単なる就職先と化している状態の中での地方議員と首長との間の政党紛争や政策論争にのみ行方を委ねることにも危惧を抱く。 
過日の朝日新聞で記載されていた大阪大大学院北村亘教授(行政学)の話のように「大都市のあり方には様々な選択肢があっていいが、住民サービスへの影響が大きく、イチかバチかで進めてはいけない。提案者は街づくりの仕組みや教育、福祉がどう変わるのかしっかりと示し、市民がチェックできるようにすることが必要だ」との見解もある。 

また、同新聞で中田宏・元横浜市長(1964年生まれ。2002〜09年横浜市長。12年に大阪市特別顧問として橋下徹氏を支えた)は、「政令指定市長と知事は連携ができていない。二重行政やメンツの張り合い、責任の壁もある。大都市ではシステム論でないと改革できない。

指定市の市長経験者として限界は共有しているから、都構想の基本的方向性は大いに賛同します」としながらも、「橋下さんは正直、たいしたもんだとうなる力量です。ただ、結果は「100」か「0」かになってしまう。橋下政治のリスクは、結果が出るのかわからないというところですね」と指摘している。                                             
既に今月27日に告示、5月17日にはいよいよ住民投票が実施されようという現時点では若干遅きに失した感があるが、これらの発言からしても、私はやはりもっと地道な行政運営実態についての検証と政策提言の下、地方行政に精通した学者や識者の点検・検証結果を踏まえた上で、これを解り易く公開し、住民判断を求める方が良いのではないか、と考えるが、どうだろうか。(終)
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