2015年04月30日

◆散る桜に静謐を感じる春のひととき

櫻井よしこ


その光景にしばし私は見とれてしまった。不思議な光景だった。庭の桜の木から、ハラハラ、ハラハラと花びらが舞い落ちてくる。風もない凪の中で、ただ花びらだけが散り続ける。四方に広がる枝々から、静かに散り続ける。まるで優しい雨のように、舞い落ち続ける。
 
その様子はあたかも桜の木に意思があって、今がその時と、時刻を決めて、一斉に花びらを散らし始めたかのようだった。
 
私は秘書たちと打ち合わせをしていたのだが、桜の様子に気付いて、皆一斉に桜の静かな舞いに、しばし息をのんだ。全ての世の中の喧騒を消し去るかのような、静謐で不思議で美しい風景だった。
 
自分の能力を超える仕事を抱え、幾つものことを同時進行で考え、何とかこなしていこうとしている忙しさの中で、音もなく、ただ散り続ける桜の花の姿は、私の心を深い芯のところで落ち着かせてくれた。
 
ハラハラと舞い落ちる桜の姿はしっかりと生き、生き続けることによって存在の意味を生み出す営みなのだと、私は思い知らされた。そんな私の思いを知ってか知らずか、1本の桜の木にこれほどの花びらがあったのかと思うほど、桜は長い時間、花びらを散らし続けた。
 
私の脳裏にもう1つの場面が浮かんでくる。椎の大木の落ち葉である。近所の神社さまの境内には何本もの椎の大木があり、広く枝を張っている。常緑樹の椎の木は、夏には涼しい日陰をつくり、境内の気温を街中のそれより2〜3度は下げてくれている。秋にはたくさんの実を付けて、その実が熟れるころ、地面いっぱいに落ちてくる。
 
私は椎の実を両掌いっぱいに拾ってきては、旧式の金網で作ったいり器でいって、おやつにする。そんなとき、子供のころに歌った懐かしい歌、「ぼくらは椎の実、まぁるい椎の実、お池に落ちて泳ごうよ、お手てに落ちて逃げようよ……」などという歌を自然に歌っている自分に気が付く。
 
初夏のころだっただろうか、その椎の木が突然、ハラハラ、ハラハラと葉を落とし始めたのだ。桜の花びらと比べれば、椎の葉はよほど重くて堅い。従って、椎の葉は散るとき、カサカサ、パラパラというかすかな音を立てる。
 
最初に私の注意を引いたのは、このかすかな音だった。つられて周囲を眺めてみたら、あちらの枝からもこちらの枝からも、葉が一斉に散り続けていたのだ。
 
私はなぜか感動した。常緑樹が常緑であり続けるために、古い葉を落とし新しい若緑の葉と交代しようとしているのだ。去年の葉は、1年間、太陽の光を吸収し、養分を木に与え、実を実らせ、今その役割を終えて次の世代の葉に居場所を譲ろうとしている。1つの役割が果たされたことを葉も幹も知っていて、一斉に、葉は枝から離れ、枝は葉を散らしているのだ。自然の営みの賢さが、カサカサ、パラパラという素朴な音楽となって伝わってきた瞬間だった。
 
東京の真ん中に住んでいても、このかいわいにはたくさんの自然が残っている。先日のことだった。わが家の庭に白い大きな鳥が舞い降りた。机に向かっていた私は白い影を視覚の隅に捉えて庭に目を転じた。するとそこには長い首を真っすぐ天に向けて立つ白い鳥がいたのだ。くちばしまで背丈は1メートルもあるだろうか。真っすぐ天に向けたくちばしの色は黄色く、先端がしゃもじのように幅広になっていた。
 
鳥類図鑑で調べると、ヘラサギの特徴とピッタリ合う。だが、ヘラサギはかつて、冬の間、日本に飛来したが、近年はまれだと解説されている。あの鳥がヘラサギだと仮定して、珍しい来訪者は私がとっさに、池で泳ぎ始めたメダカのことを心配したのを察知したのか、すぐに飛んでいってしまった。

『週刊ダイヤモンド』 2015年4月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1079
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