2015年05月27日

◆木津川だより 相楽神社 A

〜 郷土の式内社 〜                

白井 繁夫



式内社「相楽神社(サガナカ)」は、古代の郡名(旧相楽郡木津町:現木津川市)を負っているところから、相楽地方の中心的神社の一つと考えられて来ました。

木津川沿いの左岸に在り、水陸交通の要衝として、重要な大和の玄関港「泉津」の地に佇み、外交にも関係する神社でした。

重要な拠点に在る神社と云われた訳は、藤原京、平城京建設に必要な膨大な資材等が木津川の水運を利用して、全国から「泉津」へと集められ、陸揚げ仕分けされて、木津の浜(奈良街道)や吐師の浜(歌姫街道)から大和へ運びだされたからです。

例えば、藤原京建設の檜材の場合:近江の田上山(たなかみやま)大神山の峰々(大津市田上)から宇治川経由で檜を筏に組んで木津川を遡上し、泉津まで運び大和飛鳥へ陸送されました。

天武天皇は壬申の乱後、中国の唐の都を参考にした「都城」(新しい律令国家に相応しい都):藤原京建設のプランを立てたのですが、我が国最初の条坊制を布いた本格的な都城「藤原京」の完成は、夫の遺志を継いだ持統天皇から文武天皇まで要した、大事業になりました。

「都城」は、飛鳥淨御原宮から694年藤原京へ遷都して、10年後の704年やっと完成したのです。

奈良時代の泉津(木津)は平城京の外港として整備されました。

その結果、相楽地方の重要度が更に高まり、相楽神社近くには郡役所である相楽郡衙(大里付近)や大寺院(東大寺、興福寺等)の木屋所等が出来ました。政府の泉木屋所では領(うながし)が塩、海産物なども取り締まっていました。

泉津の周辺は、中央官司や大寺院の荘が建ち並び、川船が頻繁に出入りし繁栄しましたが、
陸上交通の場合も、平城遷都後の幹線道路網は奈良盆地の南起点から平城京中心に再編されました。

和銅4年(711)正月、各幹線道路には岡田駅(うまや)などの諸駅が設置され、北へ向う東山道と北陸道は泉津で木津川を渡るようになりました。律令制支配の深まりと共に、交通量も増加し、渡河点(泉津)の重要性はさらに増してきました。

この相楽村の産土神は同時にここを通る旅人の安全も守る神社でもありました。

祭神 足仲彦命(仲哀天皇) (たらしなかひこのみこと)
   誉田別命(応神天皇) (ほむだわけのみこと)
   気長足姫命(神功皇后) (おきながたらしひめのみこと)
  (武勇の神でもある、八幡神を祭祀しているので、「八幡宮」と呼ばれてきたのです。)

★相楽神社の有形文化財

相楽神社本殿  明治44年(1911)重要文化財に指定されました。
   室町時代初期に造営:三間社流造檜皮葺(さんけんやしろながれつくりひわだぶき)
   本殿は技法から南北朝期の建立と推測されています。身舎(もや)正面の欄間や蟇
   股(かえるまた)の透彫などを初め各所に秀麗な建築彫刻が施されています。
 
若宮神社本殿(末社) 昭和60年 京都府登録文化財に指定されました。
   室町時代後期に造営:一間社春日造檜皮葺
   相楽神社本殿の左(南側)にあり、室町後期の古式を留めている造営です。
   末社は他に南側に3社、北側に2社、拝殿の南側に豊八稲荷社が祀られています。 

その他
 氏子より寄進:
手洗石 ... 旱魃で苦しみ雨乞い祈願が成就 寛政5年(1793)
   鳥居  ... 大坂での商い成功       元禄14年(1701)
        氏子が信じる神の加護に感謝し、寄進された礼物です。
 
無くなった建造物:
   神宮寺(不動寺) 明治の廃仏毀釈の結果、廃寺となり境内から撤去
(昔からの土着の神教と伝来の仏教との神仏混淆が廃止されたのです。)
   能舞台      明治29年、鎮守の森の東部を小学校用地に提供した結果、
            大正6年倒壊 現在は礎石のみ (台風の破壊力に敗北)
 
南座籠所の南側にあった鐘撞堂からの朝夕の鐘の音も、不動寺の廃寺と共に消えました。
相楽神社所蔵の大般若経600巻(欠巻11巻)の僧の声明も唱えられなくなりました。
しかし、鳥居をくぐり、神社に参詣する神社正門は古式豊かな四脚門の寺院形式を留めており、南山城地区の神社では、貴重な遺産です。

★相楽神社の無形民俗文化財

「相楽神社」の宮座は南北両座合わせて、9座90人の十人衆が輪番で、一老(又は二老)が当番神主(宮守)となり、宮座祭祀を執り行ってきました。昔は宮座の上部に「一族:帯刀を許された郷侍.郷士」がいて、秋の大祭の場合、流鏑馬等の神事を采配していました。

その後、一族は江戸時代末、文化3年(1806)以降、藤井.吉田の二姓のみになり、権力も弱まり、流鏑馬も無くなりました。代わりに宮座(村方)から「競べ馬」が奉納されました。しかし、現在はそれも有りません。

「相楽神社」の行事として、無形民俗文化財に指定されている正月行事「豆焼:降水量占」や「御田祭:豊作祈願」、2月1日の「餅花祭」、秋の大祭等に関して大変ユニークな祭事の伝統文化を綿々と伝えてきています。

それらの文化は次回につづけます。

参考資料: 木津町史 本文篇  木津町
      相楽の民俗    京都民俗学談話会 南山城調査会

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