2015年05月30日

◆日独復活で世界の軍事均衡を

平井 修一


冨澤暉(ひかる)氏は元陸上幕僚長。昭和13(1938)年3月、東京生まれ。父は冨澤有為男(芥川賞作家)。妻の父は藤原岩市(戦中、マレーハリマオ工作・インド国民軍工作担当のF機関長、戦後、自衛隊調査学校長・第12師団長・第1師団長)。

岳父が藤原F機関長だなんて、なんと素晴らしいのだろう。それにしてもお懐かしゅう。

<F機関と藤原の最も大きな功績は、インド国民軍の創設である。当時タイに潜伏していた亡命インド人のグループと接触して、彼らを仲介役として藤原は英印軍兵士の懐柔を図った。

藤原は、降伏したインド人兵士をイギリスやオーストラリアの兵士たちから切り離して集め、通訳を通して彼等の民族心に訴える演説を行った。この演説はインド史の一つのトピックである。インド国民軍は最終的に5万人規模の大集団となった>(ウィキ)

情報宣伝・諜報工作の血が自衛隊にも脈々と受け継がれているのだろう。

冨澤氏の論考「自衛隊は強いのか弱いのか、の疑問にお答えしよう 毎年平均して25人の死者を出す過酷な訓練は何のためか」(JBプレス5/25)から。

<自衛隊員は入隊時に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」と宣誓している。

現実に、隊員たちは極めて厳しい訓練に参加しており、安全管理に徹しつつも残念ながら、自衛隊発足時から60年間に1500人(年平均25人)を超える訓練死者(殉職者)を出している。

この殉職者方は死ぬつもりはなかったはずだが、この訓練は極めて危険な厳しいものだということを承知のうえでこれに臨み、亡くなった方々である。

帝國陸海軍は当初訓練死者を戦死者と認めなかったが、第2次大戦後半以降、国内における訓練死者をも靖国神社に合祀するようになった。つまり、訓練殉職者は戦死者なのである。

ところで最近の安全保障法制の変更や新ガイドラインの改訂に関連して、これらの質問とは真逆に「これまで戦死者を出さなかった自衛隊から、1人でも犠牲者を出してはいけない」という意見がマスコミ上を賑わしている。

私ども自衛隊員であった者たちに言わせると、これまた誤解に満ちた困った意見である。

*1人の死者も出していない海外派遣

確かにこれまで自衛隊は、国内でもよくあるような事故死の例を除き、海外で1人の犠牲者をも出していない。その間、自衛隊が進出した地域の付近で、何人かの日本人ボランティア・ジャーナリスト・警察官・外交官方がお気の毒にも亡くなっている。

その海外派遣総員数と殉職者の比率を比較するならば、自衛隊がいかに訓練精到な組織であるかがお分かりかと思う。

これまでの自衛隊海外派遣において1人の戦死者も出さなかったことは、むろん幸運に恵まれたということもあるが、何よりも先に述べたような「平時からの覚悟とこれに基づく命がけの訓練」のお陰だということを知ってほしい。

だから自衛隊は、国民の総意を代表する最高指揮官たる内閣総理大臣の出動命令が出た時には「身の危険を顧みず」その命令に従うのである。

*国民が強ければ自衛隊も強くなる

「自衛隊は強いのか」という質問は、実は「国民は強いのか」と言い換えて、国民一人ひとりが自問自答すべきものなのではないか、私は、そう考えている。その意味で徴兵制の有無にかかわらず「国民の国防義務」を明記した多くの諸外国憲法は参考になると思う。

さて、そうしたことをようやくご理解いただいた方でも「我が国防衛のためならそれは仕方ないが、外地に出かけてまで、危険なことをする必要はないだろう」とさらに言われるかもしれない。

実は、これまでに日本に蔓延っていた「一国平和主義」とは、まさにこの考え方であり、極めて利己的なものである。

私どもは「世界の平和」があってはじめて「日本の平和」があることを認識し、「日本の平和」のためにもまず、「世界の平和」に貢献することを目指すべきではないだろうか。

日本と同様に第2次大戦のトラウマを持つドイツは1990年代以降各種の多国籍軍やPKO(平和維持安全活動)に参加しており、犠牲者の数もボスニアでの19人、コソボでの27人などと増大させている。

アフガンでの多国籍軍ISAFでは後方兵站部隊派遣に徹したにもかかわらず55人の戦死者を出して大きな国内問題となった。しかし、平和主義者として高名なアンゲラ・メルケル首相は極めて危険なアフリカ・マリのPKO部隊を、断固として撤退させないでいるということである。

「世界の平和」を守ることは、世界の各国が危険を承知の上で協力し合って初めてできるものなのである>(以上)

国会では中共の走狗が神学論争にうつつを抜かしているが、リアリズムで世界を見れば冨澤氏の主張するとおりである。

バランス・オブ・パワーで見れば、世界は今、日独復活による軍事均衡というリバランスが求められている。

ソ連崩壊、冷戦終結で緊張感が薄れたのだろう、西側諸国の軍事力は弱くなっているようだ。先日、有事の際にフランスが短時日で用意できる兵力は3万人しかないと報じられていたが、西側諸国は似たようなことなのかもしれない。これではロシアや中共、北の急襲に対して後手後手にならざるを得ない。

ブレット・スティーブンズ/WSJ外交問題コラムニスト・論説欄副編集長の論考「冷戦以後、西側諸国は弱体化している? 変わりゆく世界の軍事バランスを考える」(ダイヤモンドオンライン5/19)は示唆に富んでいた。以下全文転載。

<30年前と比較すると、世界の海をパトロールする米軍の艦艇は半減している。社会保障費の増大や、際限のないテロとの戦いに「撤退」ムードを強める米国と、同じように軍縮を続ける欧州。世界の軍事バランスを『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』の著者でもある、ピューリッツァー賞受賞・WSJコラムニストが分析する。

*弱体化する「西」側国家 NATO諸国の軍事の現状とは現在のアメリカ軍のプレゼンスは近年で最も縮小している。1964年、アメリカ海軍は859隻の艦艇で世界の海をパトロールしていた。それが1984年には557隻になり、現在は289隻しかない。

1984年と2014年の違いの大部分は、冷戦の終結によって説明できる。だが、いまはもはや冷戦終結後の穏やかな時代ではない。たとえオバマ政権がそうであるかのように振る舞っていても、現実は違う。

アメリカは世界的なテロの脅威と、さまざまな主要国からの新たな挑戦を突きつけられている。さらに悪いことに、世界におけるアメリカ軍のプレゼンスは、第二次世界大戦前の水準まで縮小している。

ペンタゴンはここ数十年、コストや規模や技術的な可能性を忘れて、質的な軍事的優位を確保することばかり考えてきた。このため海軍は、超ハイテクのシーウルフ級原子力潜水艦を29隻調達するはずが3隻しか調達できなかった。

空軍はF22戦闘機650機の調達を計画していたが187機で終わった。宇宙時代に対応するDDG1000ズムウォルト級ミサイル駆逐艦は、32隻を調達する計画だったが、3隻建設しただけで終わった。多用途性を備えたF35戦闘機の開発の遅れ、開発コストの大幅な上昇、そして保守整備上の課題は、ほとんど伝説となっている。

全部合わせると、ペンタゴンは21世紀に入ってからの10年間で中止プロジェクトに460億ドルも費やした。最終的な配備数が少なすぎてその莫大な開発費用を正当化できないか、実戦に効果がないプログラムにも数十億ドルを費やした。

重要なのは、架空の戦争のために超高額・超最先端・超ハイテク兵器を少量確保することではない。より安価だが、応用範囲が広く、長期間使える兵器を大量に補充することだ。言い換えるとF35は減らして、改良したF15やF18を増やすのだ。ペンタゴンは軍事革命ではなく軍備を進化させる重要性を学び直す必要がある。

割れ窓理論に基づく警察活動を機能させるには、地元の協力が必要だ。NATO憲章は、加盟国にGDP比2%以上の軍事支出を義務づけている。

ところが2014年にこの最低ラインをクリアしたのは、アメリカ、イギリス、ギリシャ、エストニアの4ヵ国だけだった。フランスは1.9%、トルコは1.8%、ドイツは1.3%、ポーランドは1.8%、スペインは0.9%どまりだ。

冷戦終結時、ドイツは36万人の兵力と、装備の整った12師団を有していた。現在、ドイツのGDPは3兆4000億ドルに上るが、兵力は6万2000人、戦車は225両、攻撃ヘリコプターは40機しかない。

*冷戦下の緊張感を失った欧米と危険性を増す「境界線」

NATOの初代事務総長を務めたイギリスのヘイスティングス・イスメイ卿が、NATOの目的は「アメリカを取り込み、ロシアを締め出し、ドイツを押さえ込んでおくことだ」と言ったのはよく知られているが、もはやその目的は書き直す必要がある。「アメリカを取り込み、ロシアを締め出し、ドイツを復活させることだ」と。

ヨーロッパは経済が苦しく、これ以上は国防に予算は割けないという主張があるが、これは眉唾ものだ。イギリスはおそらく第二次世界大戦後最大の不況に見舞われた1979年に、GDPの4.9%相当を国防費に当てていた。同年、フランスもGDP比4%を国防に支出した。

当時でさえ、この予算は脅威の大きさに見合った規模ではなかったが、少なくともその取り組みは真剣だった。もう一度同じように真剣に取り組む必要がある。

アメリカがやるべきなのは、規範を定めてそれを世界で行使することだ。つまり基本的にどのような振る舞いが期待され、どのような行動には是正が求められるかを示すことだ。これは実効性が疑わしい国際「法」を宣言したり認めたりすることとは大きく異なる。またこれはアメリカがずっとやってきたことでもある。

アメリカは1983年にグレナダに侵攻して共産主義革命を転覆し、1989年にはパナマに侵攻して、アメリカへの麻薬輸出に関与していた体制を転覆した。

1991年の湾岸戦争ではクウェートの主権を回復し、1990年代には旧ユーゴスラビア紛争に介入してサラエボ包囲に終止符を打ち、クロアチアの対セルビア戦を支援し、コソボにおける民族浄化を終わらせた。

さらに台湾海峡に空母を派遣して中国の攻撃を阻止し、9.11テロ後にはアフガニスタンのタリバン政権を転覆した。2011年にはリビアの独裁者ムアマル・カダフィの打倒を支援した。

ソマリア内戦への介入は、破綻国家の再建ではなく飢饉の緩和に目的を絞り込んでいれば成功していただろう(そしていまごろ忘れられていたに違いない)。

ヘンリー・ナウ(ジョージ・ワシントン大学教授)は論文『アメリカの国益』で、アメリカの「地球イデオロギー」的な利益として、「自由が最も重要な意味を持つ場所、つまり既存の自由社会(と自由でない社会)の境界線に注目するべきだ」と論じている。

それはアジアの自由な国々と中国や北朝鮮との境界線であり、ヨーロッパの自由な国々とロシアとの境界線、そしてイスラエルとアラブ諸国の境界線だ。

「これらの境界にある国々が脅かされたら、アメリカも脅かされていることになる」と、ナウは主張する。「なぜなら独裁国家の妖怪が民主主義世界の中核に近づいてくると、世界は住みにくい場所になるからだ」

ナウが挙げた場所に加えて、コロンビアとベネズエラの境界線、インドとパキスタンの境界線、そしてイランと近隣諸国すべてとの境界線が、アメリカが注視するべき場所として挙げられるのではないか>(以上)

まことに「世界の平和」があってはじめて「日本の平和」がある。ダチョウのごとく日本列島に閉じこもって「窮状憲法」を拝んでいては中共の攻撃を防げない。ロシアやIS、北の暴挙を抑え込むのは軍事力だ。

わが軍は近隣に遠慮して兵器の攻撃力を弱めているが、これでは勝てない。一国平和主義、専守防衛という時代錯誤の妄想に基づく戦略/戦術を脱し、勝てる軍隊、抑止できる軍隊に強化し、平和のためには地球の裏側だろうと遠征しなければならない(ジェット機でわずか20時間のご近所、地球は狭くなっている!)。

世界は今、日本とドイツに、米国と連携して「世界の警察官になってくれ」と言っている。少なくともアジアは日米が主導して安定させなければ中共の海と化す。防衛費の増加、核ミサイルレンタルなども喫緊の課題だ。

中共は日本が準備不足のうちに戦端を開くはずだ。今日明日にも衝突するかもしれない。時は戦争前夜、軍民ともに常在戦場の覚悟が必要だ。第一列島線死守、中共包囲殲滅戦へ。靖国で会おう! ヂイヂの出番も用意してくれ。戦う権利は国民が等しく持っている自然権だ。参戦権を大いに行使したい。(2015/5/29)


      
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