2015年05月30日

◆国家主席を悩ます刺客の影

中沢 克二
 


その日、中国国家主席、習近平の表情は疲労の色が濃かった。まぶたは腫れぼったく、睡眠が不足している。年に1度の晴れ舞台が始まるのに、上の空と 言って良い。

「心ここにあらず。別の重大事を考えているように見えた」

習ら最高指導者らがずらりと並ぶ人民大会堂のひな壇に近い席に座っていた中国の代表の声である。

3月初旬から北京で開かれた全国人民代表大会(全人代=国会に相当)と全国政治協商会議。北京に駐在する外国人記者らにとって「チャイナ・セブン」の 表情をじっくり観察できる貴重な機会だ。約2週間の開会中、ひな壇には繰り返し 習、首相の李克強、規律検査担当の王岐山ら政治局常務委員7人が長時間、並ぶ。

■女性スタッフを見つめる鋭い視線

おかしな事は他にもあった。ひな壇の中央に座る習。彼が会議中に飲むお茶用の蓋付き茶わんは、着席する直前に単独で運ばれてくる。他の政治局常務委員 6人とは違う特別扱いだ。大役を担うのは、容姿端麗なえりすぐりの女性サービスス タッフである。

彼女は恭しくお湯を注いでから蓋を閉じ、両手で茶わんを運ぶ。この日、女性スタッフの動きをじっと見つめる鋭い視線があった。2人の黒服の男性要員 が左右から監視したのだ。女性スタッフの一挙手一投足も見逃さないというように。

こうした男性要員が、目立つ形で登場したのは今回が初めてだ。会議の途中、着席している「チャイナ・セブン」が飲む茶のわんに、後ろから湯を足す役割 も、これまでの女性スタッフではなく、男性要員が担った。彼らには、お茶のサービ スだけではない特別の任務があった。

「毒を盛られないように始終、監視する役割だ。万一、壇上に暴漢が現れても訓練された男性なら対処できる」

北京の事情通がささやく。男性要員は身分を隠しているが、習らに極めて近い信頼できる人物である。逆に見れば、お茶くみの女性といえども今の習には信 用できない、ということになる。大量に捕まえた軍、公安・警察などの関係者が紛 れ込んでいる可能性を排除できないのだ。

2週間にわたって日々、ひな壇を観察していると、小さな変化に気が付く。女性スタッフのお茶運びを直接、監視する男性要員は終盤になると2人から1人 に減った。

一連の動きは何を意味するのか。実は3月初旬、全人代の開幕のころ共産党内部で緊張が高まっていた。謎を解くカギは、習らの警備責任者の相次ぐ交代に ある。

習は3月にかけて中国版シークレット・サービスを束ねる共産党中央警衛局長 と、北京市公安局長の交代を決め、実行した。不安に駆られて追い込まれた、と言っ ても良い。

■政敵側の人物が自らを護衛

習ら最高指導部メンバーの北京での執務、居住区は「中南海」と呼ばれる。特別地区の警備、要人の警護を担当するのが中央警衛局だ。中央警衛局は、共産 党中央弁公庁と人民解放軍総参謀部の直属組織で、多数の警護官は軍人である。

ただ、警衛局の人事を仕切るのは中央弁公庁主任になる。この役職には時のトップの側近が就任する慣例がある。日本でいえば内閣官房長官のような立場だ。

 歴代の中央警衛局長で有名なのが文化大革命の「四人組」逮捕で大きな役割を果たした汪東興だ。汪は1976年当時、中央弁公庁主任も兼ねていた。このポス トに信頼できる腹心を据えなければ、いざ政局が動いた際、迅速な措置をとれず、戦 いに敗れてしまう。警衛局長はそれほど権力闘争の現場に近い重職と言える。

今回の問題は、更迭された前任の中央警衛局長らの人事を事実上、取り仕切ったのが、習が先に摘発した前中央弁公庁主任、令計画だった点だ。令は前国家 主席、胡錦濤の側近である。

現在の中央弁公庁主任、栗戦書は習が信頼する側近中の 側近。とはいえ習の安全に責任を持つ現警衛局長が、捕まえた政敵である令と万一つ ながっていれば、夜もおちおち眠れない。

しかも令は「新四人組クーデター」を画策したと噂される。服役している元重慶市党委員会書記の薄熙来、起訴された前最高指導部メンバーの周永康、軍の 元制服組トップ級だった徐才厚(摘発後、3月に死去)と組み、習政権誕生を阻も うとしたと言うのだ。

習は不測の事態を恐れていた。命を狙われる危険を含めてだ。この1年間で習は各地を何回となく視察している。その際、いったん配置した警備要員を信頼 できず、自らが到着する5分前になって突然、数百人を入れ替えた異例のケースも あった。

このほど登用した新しい中央警衛局長、王少軍は昨年12月に習が江蘇省を視察した際、その左右で身辺警護をじかに指揮していた。

■「大虎」は公安の親分

「この数年、習主席は20回近くも命を狙われる可能性を指摘される場面があった。中でも最も危ないのが江蘇省。捕まえた大虎、周永康の本拠地だからだ。 しかも周は公安、武装警察の親分だった」

関係者が懸念していた江蘇省入りで王少軍を用いたのは、習が信頼している証拠である。

警備責任者の交代は当然だったが、摩擦、混乱も大きかった。それは習が中央警衛局長だけではなく、令計画につながる中央弁公庁や警衛局の人員の大量更 迭にも踏み切ったからだ。

党統一戦線部の部長を務めていた令の摘発公表は、昨年12月22日だった。翌年3月の全人代まで2カ月半もなかった。しかも2月には旧正月の長期休暇も あった。

極めて短期間で人員を大量に入れ替える必要がある。異例の事態だった。当 然、仕事は滞る。それは全人代の準備を含めた混乱を生み、習自身に跳ね返ってくる。

自ら仕掛けた「反腐敗」という名の権力闘争。その副作用が身辺の安全への不安だった。晴れ舞台を前に十分眠れない。それは中国トップにとって大きな 負担である。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デス クなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14 年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞日本経済新聞 電子版2015/5/20
                 (採録:松本市 久保田 康文)
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