渡部 亮次郎
園田直(そのだ・すなお)は昭和59(1984)年の4月2日に70歳で死んだ。九州・天草の村長から代議士となり、衆議院副議長、厚生大臣、官房長官、外務大臣2期、再度厚生大臣に続いて3期目の外務大臣を務めた後3年して死んだ。病名は腎不全。
ところでこの人は、戦場に11年もいた。しかも日本陸軍落下傘部隊第1期生、天雷特別攻撃隊(いわゆる神風特攻隊)隊長を経験した。
そのかん中国、東南アジアで銃撃戦を体験し、最後の特攻隊では原爆を積んだアメリカの艦船に体当たりすべく飛び立つ予定だったが天候不良に阻まれ、では17日に飛べ、と言われたが15日に敗戦、万事休すであった。
その経歴をみて気づくのは彼ははじめから「死」を求めて戦っていたことである。それなのに生き延びたのだ。それだからこそ、戦場においていかに死の恐怖を乗り越え、いかに部下を統率すべきかをよく聞かされた。
私がNHK政治記者を辞めて彼の秘書官になったのは、そういう彼の戦争哲学に酔わされたためだった。秘書官になってからは出張先の外国のホテルのスイートで、従いてきた外務省の役人が夜は勝手に遊びに出掛けたあと、自身、酒を呑めないものだから、大酒呑みの私に自らウイスキーの水割りを作ってくれながら話をした。初め、私42歳、彼は65歳であった。
1.ジャングルで道が2股に分かれている。右に行こうか、左にしようか。部下たちが一様に注目する。私も判断がつかない。私が敵だったらどうするかと考えると、来て欲しい道は来て欲しいように整えるだろう。
そうだ整備されてない道を行こう。それが正しかった。良い道の先では敵が待ち構えていた。初めはそれが判らず失敗した。それで会得した。だから失敗を恐れちゃいかん。
2.代議士になってすぐ今で言う不倫を野党の女性代議士と起し、相手を妊娠させた。どうするか。事態から逃避できないわけじゃないが、あえて妻と離婚しこの代議士と結婚した。
随分非難されたが、選挙区の女性は好意的だった。事件への対処の仕方が真面目だ、というものだった。そのせいか以後も落選しなかった。
3.逃げる時は一番先に逃げなきゃいかん。2番目は撃たれる。トーチカ(ロシア語。コンクリートで堅固に構築して、内に銃火器などを備えた防御陣地=広辞苑)にこもって敵と対峙する時がある。
膠着状態だな。最後にいざ出て逃げようとした時、初めに出た人は助かるが、2番目の奴は必ず足を撃たれる。相手は あ、逃げた、撃てというが、今まで長い事、待っていたものだから、あ、と一息ついちゃうんだね、一番の奴はそれで逃げられるが、二番手は足を撃たれる事になる。
だから何でも逃げる時は一番先に逃げなきゃ駄目さ。戦場では日中条約を遅疑逡巡する福田さん(当事の首相)のような人の態度はダメだ。遅疑逡巡していては戦争は出来ない。
部下の信頼を得られない。それと、弾というのは逃げる奴を追ってくるような気がするよ。弾に対してこちらが向かっていけば弾が俺を避けたよ。
4.野戦では、弾の流れが見えているうちは大丈夫だよ。見えなくなったらコトだ。そうだろう、こっちに向かっている弾は点になるもの。点になって初めて緊張すればいいんだ。初めから構える事はないのさ。部下にバカにされるよ。
戦争とか喧嘩とかは常時、緊張しているわけじゃない。いわゆる戦機というものが必ずある。その時だけ緊張すればいいのさ。あとは風の吹くまで待とう風車。
5.どんなに今のようなコンピューターが付いたって、大砲の射手は連続して同じ着弾点に命中さすことは不可能だよ。だから、さっきの弾の炸裂した穴に飛び込めば、弾には当たらない。「弾に向って進めば弾がよけてくれる」と言ったな。一番良くないのが逃げること。
そのうちに部下たちも心得たものだ、みんなそうするようになって1人も戦死者が出なかった。逆にいえば人生、同じ失敗を2度繰り返すのはかなり難しいものだということでもあるね。
6.ある時、士官学校出の若い隊長が着任した。いやに張り切っとる。ダダダダダ。いきなり敵が撃ってきた。隊長、上がってしまった。「あれは敵か、味方か」そればっかり。士官学校では銃の撃ち方は習ってきたが撃たれ方は習うわけがない。
それが着任と同時に撃たれたのだから舞い上がって仕舞うのは当然だ。撃った事はあるが撃たれた事はない。ところが、こっちだってどっちの弾かわからん。でたらめに「あれは味方でございます」といってやったらフッとため息をついてたっけ。まだ22か3だものね。
角さんが幹事長、私が国対委員長のとき佐藤総理が法案の採決強行が遅いと角さんをどなりつけたらしい。おまえ何とかなだめてくれと言うからなだめてきた。
「総理、今日は仏滅、明日は大安」と言ったら総理は「そうか」と納得した。角さんが「ほんとにそうか」と聞くから「わしゃ知らん」と言ってやった。要は総理が採決の延期を納得すればいいわけだから、理屈はいらん。
7.ある隊長は銃撃戦のさなか、先頭に立とうとするが、戦死されて困るのはこっちだから、みんなは「隊長、そこでは危のうございます」と言うばかり。士官学校出が危ないと言われて引っ込むわけに行かない。ますます弾に身を晒そうとする。
仕方ないから出て行って「隊長、そこじゃ戦況が良く見えません、どうぞこちらへ」と岩陰に案内したらため息をついていた。そんなもんさ。誰でも怖いものは怖いんだよ。
8.角栄は俺のことを「俺は人を殺した事は無い」と言う。殺したくて殺す奴なんかいないよ。殺さなければ殺されるから殺すんだ。戦争好きなんているのかね。
9.人間は何時死ぬか分からないから生きていられるんだよ。癌で余命幾許も無いと宣告されて自殺する人居るじゃないか。すぐ死ぬのに。特攻隊でも「明日出動」の命令がくだった途端、クビを吊る奴がいたよ。何時死ぬか分からないから生きていられるんだとつくづく思ったね。
逆に言えば明日とわかってなお生きている奴は大変なものだ。オレはそこらに落ちているちり紙を拾い、他人の鼻をほほにこすり付けていた。それに「生」を感じ取ったのだろう、と思い返すね。
最後に国会対策も女口説きも戦争と同じ、違うところは弾と口説と言ったので、顔を見た。戦争は人間をかくも鍛えるものか。
ガン治療の蓮見ワクチンの蓮見博士から「喉頭ガンの疑い濃厚です」と診断された帰り、車の中では高鼾だった。真実は糖尿病による腎臓の機能低下を死神が捕えたのだった。
田中角栄は国民要求の最大公約数を即座に実行して人気を得た。園田氏の頭脳は同じぐらい良かったが、ただ言ったりやったりすることに奇策が多かったので、並みの人は従(つ)いていけなかった。だから派閥を作れなかった。日本の政治家として唯一最大の欠陥だった。(再掲)