2015年06月05日

◆私の「身辺雑記」(227)

平井 修一



■6月2日(火)、朝は室温25.5度、快晴、フル散歩。

夕べは有事発生、間もなく4歳になる男児発熱で集団的子育て発動。5時ごろに連絡を受けたが、作り始めた2人前の1合ご飯と料理(エビコロッケ)を5人前にはできないので、予備兵の弁当用冷凍コロッケも動員してどうにか間に合わせた。完売したので、小生は卵かけごはん。ヂイヂは粗食で十分。

男児は食欲はあまりないが、2歳女児と大騒ぎし、小生は手作りの耳栓で専守防衛していたが、長女が「サイレンシア」という耳栓をくれ、指導に従って装着したら、もうびっくり。「そうりゅう」型潜水艦もかくやという無音の世界、水中にいる気分だ。能書きにはこうあった。

<古来人類は大きな「音」にさらされない生活をしていました。大きな「音」は大災害や猛獣の出現など、大きな「危険」を伴うものだったため、人間の脳は大きな「音」=騒音を危機と感知するための信号として認識します。その結果、騒音にさらされた脳は、危機から身を守る防御態勢をとるため大きなストレスを感じます。

騒音が知らず知らず現代人にストレスをもたらしています。サイレンシアでシンプルリラックス。普段からお使いになるだけでなく、ゆっくり休みたい休日の前など、夜寝る時にお使いになれば体が芯から休まって、疲れもすっきりリフレッシュ>

なるほど。中韓を黙らせないとストレスがたまるということだ。

騒音の激しい現場、つまり南シナ海の戦場などで働く人のためのプロ向け製品もあるそうだ。厚労省によると騒音による難聴は労災保険の対象だが、治療法がない、従って休業補償がない。離職してから難聴の認定(=仕事により難聴になった)を受けて障害補償金を受け取るのだという。

ところでわが軍将兵が背嚢に携行する緊急医療品(ガーゼや止血剤など)は実戦を想定していないのでオソマツだという。戦死、戦傷の備えは大丈夫なのか。

今日は皆が帰ってくるまで男児を預かる。松岡洋右のように実によくしゃべり、小生は難聴になりそうだが、やがて元気なルンバと遊んでくれ、疲れたのだろう、そのままコテッと寝た。あまり手間がかからないので助かった。

ネットでは今日も興味津々のネタが多かった。日本製の背嚢の話、東洋経済6/2「海外セレブも愛用!ランドセルの意外な魅力 外国人記者が見た不思議の国ニッポン」から。

<円安などの影響で日本への観光客が増えているほか、世界的にも日本の食やカルチャーへの関心が高まっている。日本人にとって「当たり前」の文化や生活習慣、流行はときに、外国人によって別のトレンドに生まれ変わる。今の日本は外国人からどのように映るのか。英ロンドン発のシティガイド「Time Out Tokyo」の外国人記者レポートする。

             ・・・

セレブたちの背中を彩る最新のトレンドの発祥となったのは、ファッションショーのステージではなく日本の小学校だ。そう、どこにでもあるランドセルが、今や小学校を卒業した人々にとっての憧れのアイテムなのである。

ランドセルは本来、重い教科書を持ち運ぶために子どもたちが背負う実用品だが、今ではどうやらファッション通にとってのマストアイテムとなっているらしい。

ハリウッド女優・歌手であるズーイー・デシャネルが赤いランドセルを愛用しているだけでなく、ファッションに敏感な外国人男性が背負っている姿もファッションブログなどで見かけられる。

ズーイーがニューヨークで真っ赤なランドセルを背負っている姿を目撃されるよりずっと前、日本の少女たちはフリルのついたスカートとランドセルを絶妙に組み合わせて、原宿の通りを歩いていた。

自然な流れとして、日本の流行はすぐに海を渡ることになり、ランドセルは今や(映像投稿サイトの)「Pinterest」や「Instagram」の世界で定番となった>(以上)

ネットの普及で世界は非常に狭く/近くなり、ほとんどタイムラグなしに情報は世界中に拡散される。それ以前はマスコミが教会のように君臨し、マスコミ産業にとって都合のいい情報だけを“下賜”していた。この上意下達(じょういかたつ)の構図はネットの突破によりとっくに壊れた。

今は百家争鳴だ。この「世界文化大革命」は既成秩序、既得権益、価値観、常識的なるもの、不正、不合理を破壊するパワーを持っている。新しい平和な秩序を創造できるのか、それとも破壊→創造→破壊→創造を繰り返すのだろうか。

ネットは玉石混交ながら多様な情報をもたらした。アラブの冬、IS、サイバー攻撃、炎上という動きもネットから生まれた。

世界はこれからどんなことを経験するのか、既往の延長ではなさそうだ。先が読みにくい不確実な時代、不安定な時代、一寸先は闇という時代なのかもしれない。

南シナ海の波高し。我々は最悪の事態に備えていかなければならない。最悪のエボラ中共菌は天然痘のように地球から絶滅すべきだ。

夕刻、2歳女児合流。兄ちゃんから風邪をもらって微熱、胃腸が機能不全。飲食するとゲボる。長女やカミサンにしがみつきながらゲボるから、皆ゲロだらけ。シャワーできれいにしてようやく寝床へ連れていったら、ここでもゲボ。布団カバー、タオルケット、シーツなど甚大な被害。夜中に洗濯機3回まわし、干し終えたのは零時過ぎだった。

育児の現場を知らないと「ママさんも外で大いに働け」との妄言になる。育児と外職は両立しない。外職女性、キャリアウーマンで有名な先達は平塚雷鳥だろうが岡本かの子だろうが宮本百合子だろうが女中の「おしん」がいた。セレブは指示監督するだけで、現場の家事はしない。育児は乳母が担当した。

もしママさんを外職させたいのなら、1日最長(園児送迎、家事全般)10時間3000円/日、月20日間で6万円で老人を雇えるようにしたらいい。今の家政婦は1万5000円/日、月30万円だ。30万円の費用でママさんの月給が30万円。差し引きゼロ。バカバカしくて外職しない。家政婦は雇えない。

老人は「リタイアしたけれど社会貢献したい」と思っている人は多いだろう。社会貢献してお小遣いが得られるのなら女中/男中、シッターを志願する人も多いはずだ。「女性の社会進出」を促したいのなら家事育児にシニアを活用する――制度設計してさっさと始めるべし。保険会社をかませろ。

■6月3日(水)、朝は室温26度、小雨、散歩不可。

2歳女児は朝からゲボ連発。長女は休みを取って小児科へ連れて行った。今日一日は固形物は不可とのことで、土鍋で重湯を用意した。

トウ小平の指示「韜光養晦」(とうこうようかい)。才能や野心を隠して周囲を油断さて、力を蓄えていくという意味だが、習近平はパンダ=平和的台頭の着ぐるみを脱ぎ捨ててしまった。

なぜこういうバカなことをやったのかと永年考えていたが、「中国の国際秩序観と東アジア国際秩序をめぐる競争」(防衛研究所地域研究部アジア・アフリカ研究室研究員・山口信治氏の論考5/15)を読んでようやく分かった。

要はこういうことなのだ。

「わが国は後進国の弱者だった。しかし今では世界2位の経済力をつけ、軍事力も強大になった。今や米国に次ぐ大国だ。それなら世界はわが国にふさわしい態度、処遇で接すべきであり(華夷秩序、朝貢・冊封体制)、わが国も大国にふさわしく周辺一帯の土地と海を領土・領海とし支配下に置く。これこそが中華民族の栄光の復活、中国の夢だ」

気持ちは分からないでもないが、国際社会や国連では大国だろうが小国だろうが1票は1票。対等だ。ハイエナの着ぐるみを着て勝手に領土領海宣言し、岩礁に軍事基地を造る掟破りを容認するわけにはいかない。習近平は見事にドジって国際社会から孤立した。

「韜光養晦」は危険な国が世界を欺く手法のようである。「『祖国と距離を置き右傾化せよ』金正日氏が総連に下していた幻の極秘司令」(デイリーNK6/2)から。

<金正恩氏が5月25日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の結成60周年に際し、「偉大な金正日同志の意を体して在日朝鮮人運動の新たな全盛期を開いていこう」と題した長文の書簡を送った。

こうした書簡は朝鮮総連内部で「労作」と呼ばれ、今後の運動の指針となる。

前回は1995年5月、朝鮮総連が結成40周年を迎えた際に、金正日氏から「在日朝鮮人運動を新たな高い段階へと発展させるために」と題した書簡が送られている。

もっとも、北朝鮮の最高指導者から朝鮮総連に下される指示は、このように公然と伝達されるものばかりではない。むしろ秘密裏に下される指示の方にこそ、指導者の「ホンネ」は込められている。

朝鮮半島問題専門の月刊誌『現代コリア』(2001年1・2月号)は、そんな「極秘司令」をすっぱ抜いている。「独占公開・1999年4月20日 金正日が徐萬述総連第1副議長に与えた教示」というのがそれだ。

タイトルの通り、徐第1副議長(後の議長・故人)に対して与えた指導なのだが、その内容は朝鮮総連の運動に大転換を迫るものだった。

《総連では同胞群衆との事業方法を決定的に改めねばなりません。在日同胞の中で祖国愛を発揚するには、総連が統一戦線組織という外皮を被る方が、朝鮮労働党の地区党であるとの印象を与えるよりいいでしょう。とくに世代交代が進んだため、新しい世代との事業方法を彼らに合わせるように転換すべきです。

今はあまりに原則一辺倒で脱線を恐れるので、同胞群衆が次々脱落してい
ます。

私たちは許宗萬責任副議長と若手たちが「改良主義」の外皮をまとって事業をしながら、内実を充たそうということです。

総連がこのように事業方法を転換すれば、祖国の諸々の機関が非難を浴びせるでしょう。それには聞こえないふりをして耐えなければなりません。私だけがトンム(同務=同志)たちを理解していればいいのです。

思想事業方法を敵区(日本)の実情に合わせ根本的に改めねばなりません。『朝鮮新報』の内容は日本の環境と同胞たちの要求に合わせちゃんと編集されていないばかりか、総連の新聞としての特色が生かされていません。

ゴーリキーの『母』という小説には革命という言葉はひと言もありませんが、読めば革命の必要性を感じるようになります。人々の感情と嗜好に合う話をして人々が自ら真理を見つけるようにしなければなりません。

総連は対外事業を自らの立地条件に合わせていかねばなりません。そうしてこそ朝日関係で総連の位置が明白になります。総連は祖国を代弁するだけでなく、祖国と日本をつなぐ掛け橋の役割を務めなければなりません。

祖国が日本に対して高圧的に出ると、総連まで同じようにするので日本人は気を許しません。われわれに近寄ろうにも近寄る術がありません。総連が日本当局にもっと接近し、彼らの心の内を探り出すこともひとつの闘争方法なのに、ただ頑強さを打ち出しているだけなので、そのような仕事がきちんとなされていません。

反動勢力とは正面から対決するばかりでなく、回り道することも知るべきです。今は対立すればするほど弾圧が激しくなり、その方法も狡猾になっています。

我々の目標は総連の群衆地盤の拡大です。「総連が事業方法を改め右傾化している」という話が敵の間で広がってもいいのです。それで私が総連をひどく叱りつけたという話が出ても問題ないし、私が「(総連は)敵の中で改良主義に走ったようだ」との話が出回ってもいいのです。

今の情勢の下で赤旗は心の中に秘めて前に掲げてはなりません。必要な時に掲げれば良いのです》云々>(以上)

総連は金正日の大事な財布だった。タニマチだ。総連が組織を拡大し、商売も上手くやることが彼への送金の拡大になる。日本人を敵にまわすな、上手く付き合え、本心は隠しておけ、ということだ。

徐萬述は確かにこの「指導」に従った節がある。

<2001年5月、同年2月に病死した韓徳銖の後任として中央常任委員会議長に選出される。就任後には日朝首脳会談の実現に関与し、2006年5月17日には長年対立していた在日本大韓民国民団と和解し共同声明を発表する(後に破棄)>(ウィキ)

徐の後任である許宗萬に北はどのような指導をしているのか。許は総連本部ビルの維持に現在のところは成功している。金正恩との関係も良いようだが、正恩はいつ消されるか分かったものではないから、許は距離を置いているのかもしれない。

北のことはよく分からない。市場が増えており経済が活性化し、プチブルが育ってきたという話の脇で、今年は飢饉になるとか、来年は大暴動が起きるとか、玄永哲人民武力部部長が処刑された、いや自宅待機だとか。

庶民曰く「将軍様(金正日)は『白頭山の天気』のように場当たり的だった。その人が『(後継者)は自分より10倍も優秀』と言っていたということは、元帥様(金正恩)は、若気の至りで後先考えずに10倍ひどいことをするのだろう」(デイリーNK6/1)。闇のような国だ。

■6月4日(木)、朝は室温23度、快晴、フル散歩。避暑地のような風だが、今週あたりに梅雨入りか。

1989年の六四天安門大虐殺から26年。中共による国内の言論弾圧はますます激しくなっている。対外的には明確に武力による覇権を主張し始めた。世界のために一日も早い中共殲滅が必要だ。一日遅れれば被害と危険性はさらに高まってしまう。

わが家は今日も集団的子育て。2歳女児を預かるが、カミサンが休みを取ったので助かった。

(株)資産デザイン研究所代表取締役社長・内藤忍氏の論考「起業して、後悔している7つのこと」6/2から。

<「起業して、サラリーマン時代より良かったと思う7つのこと」(平井:これは疑問だらけ)の続編として、今日は「起業して、後悔している7つのこと」を書いてみようと思います。

1)「お金を借りる力」が無くなった

自分の会社を作って感じたことは、今まであった勤務している会社からの信用が無くなったことでした。銀行から不動産投資のお金を借りようと思っても、3年間の決算書が必要と言われ、ようやく今年になってから、少しずつ借入ができるようになりました。起業する人には、その前に必要なお金を借りておくことをおススメします。

(平井:借金して起業するのはリスキー)

2)何でも自分でやらなければいけなくなった

大きな会社では誰かがやってくれることも、自分でやらなければなりません。会議室の予約から、プリンターの紙の注文、交通費の精算まで、自分でやる仕事の範囲が大きくなりました。忙しい時には、このような細かい事務作業は大きな精神的ストレスになります。

(平井:当たり前だ)

3)仕事が無くなる恐怖感が強くなった

毎月決まった日に給料がもらえる生活から、通帳に振り込まれた収入から生計を立てる生活へ。定期的に入ってくる収入(連載している原稿料、不動産の家賃)などもありますが、それ以外は仕事をやった分だけお金がもらえる生活になりました。

仕事の依頼が無くなったら? セミナーに人が来なくなったら? そんな恐怖感を、起業当初は強く味わいました。

(平井:みんな悩んで大きくなった)

4)会社の名前を覚えてもらえなくなった

知名度の高い会社から、「資産デザイン研究所」という会社に名前が変わって、なかなか社名が覚えてもらえません。社名ではなく、個人のキャラクターで認知してもらわないと、誰にも知られることはないと思い知り、露出を広げることの大切さを痛感しました。

(平井:いい仕事をすれば知名度は自ずと上がる、評判が評判を呼ぶ)

5)仕事がいつも心の片隅に存在するようになった

大手の金融機関にいた時は、金曜日の夕方になると仕事の懸案事項も、一旦スッキリと忘れて週末を迎えることができました。今は、旅行に行っても常に心の片隅に仕事が存在します。仕事が「自分事」になったということでしょうか。

(平井:年中無休の24時間操業、全身全霊仕事に打ち込まないと、生まれたての会社はすぐにへたる)

6)遊びと仕事の区別がつかなくなった

独立してからは、趣味でやっていたことが仕事になったり、仕事も趣味のようにやることが重要だと感じるようになり、遊びと仕事の区別がつきにくくなりました。自分で新しい仕事を次々に考えていくことが大切ですから、遊びの仕事化を常に意識するようになりました。遊びを遊びとして100%楽しめないのは、何だかつまらないと思ってしまうこともあります。

(平井:遊びたいとか、楽をしたいとか、そんなことを思ったら、死ね、鉄矢!)

7つ目は、どうしても思いつきませんでしたが、今一番後悔していることは、「もっと早く起業すれば良かった」です。私が起業したのは48歳ですが、もし20代、30代ではじめていたら・・・。後悔の無い人生を送るためには、「やらないで後から後悔すること」をできるだけ減らすことだと、強く思います。

(平井:小生の起業は1984年、33歳だった。35歳くらいまでが起業適齢期のような気がする。若者を周囲は応援してくれるし、現場で仕事を発注してくれる人は25〜35歳くらいだから、同世代だと使いやすいのだ。これはとても大きなメリットになる。若者は遠慮があるから中年には発注しない。編集の世界はそうだった。

失敗しても30代なら十分やり直せる。腕に技があれば世間は放っておかない。若者よ、絶叫マシン「スタートアップ」にチャレンジを!)>(以上)

夜は4歳男児の誕生パーティ。2歳女児も快復しつつある。鶏の唐揚げ、ケチャップご飯、刺身などを楽しむ。(2015/6/4)

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