2015年06月06日

◆緒方竹虎氏の押し付け憲法論

阿比留 瑠比


月刊誌「明日への選択」6月号が、朝日新聞の主筆・副社長から政界に転身して吉田茂内閣で副総理・官房長官を務め、首相の座まであと一歩のところで急逝した緒方竹虎氏の憲法改正論を紹介していた。

緒方氏が昭和30年に、母校の福岡県立修猷館高校の創立70周年に際して行った記念講演を取り上げたものだ。筆者も早速、講演録を読んでみたが、改憲にかける熱情が伝わってくる。

緒方氏は例えば、こう訴えている。

「強制の事実が露骨」

「憲法の改正の理由の一つは、あの憲法が占領軍によって強制されたというその事実があまりに露骨になっている」

「強制された筋道があまりにはっきりしている。これでは私は国民の独立の気迫というものが浮かんでまいらないと思う」

「同じ憲法を起草するに致しましても、これを自主的に検討致し、もう一ぺん憲法を書き直す必要があるというのがわれわれの決意であります」

緒方氏はまた、連合国軍総司令部(GHQ)が昭和21年2月、米国製憲法草案を幣原喜重郎内閣に突きつけた当時、憲法担当相だった松本烝治氏の次の憤りの言葉を引いている。

「自分はそれ以来、日本の憲法は見る気がしない。どういう憲法が結局において起草されたかということについて知らないのだ」

その上で緒方氏は、母校の後輩たちにこう熱く呼びかけている。

「日本の国家興亡の基本をなしておりまするこの憲法が、そういう沿革を経たということが国民の間に浸潤しておりましては、国民の独立の気迫というものは私は湧いてこないと思う」

「どうか修猷館を卒業される皆様こそ、日本独立気迫の中心をもって任じ、将来、日本を立派な国に仕立て上げ、日本の3千年の歴史にこういう時代もあったが、九州の一角における修猷館の人たちによって、日本再建の推進が行われたということを、将来の歴史に残していただきたい」

長々と引用したが、明確なのは、緒方氏が「押し付け憲法論」を自明のこととしてとらえていることだ。

朝日社説より冷静

ところが、その緒方氏が昭和19年7月まで所属していた朝日新聞は現在、このように主張している。

「天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層にとっては、国民主権の新憲法は『押し付け』だったのだろう。この感情をいまに引きずるかどうかは、新憲法をはじめ敗戦後の民主化政策を『輝かしい顔』で歓迎した国民の側に立つか、『仏頂面』で受け入れた旧指導層の側に立つかによって分かれるのではないか」(5月3日付社説)

春秋の筆法によれば、朝日新聞は自社で主筆まで務めた緒方氏は「天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層」であり、国民の側に立っていないと決めつけていることになる。

「この(現行憲法の)成立過程について問題である、あるいは問題ではないという議論は当然あると思うが、この事実については当然認識しておく必要はあるのだろう」

安倍晋三首相は平成25年10月の衆院予算委員会でこのように答弁している。

「押し付け」だったと素直に認めることを感情的に拒否し、異なる意見にレッテルを貼ろうとするかのような朝日新聞の社説より、よほど冷静で理にかなっている。

 泉下の緒方氏が現在の朝日新聞の憲法論を読めば、果たして何と言うだろうか。
(政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2015.6.4
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック