2015年06月07日

◆平和ボケは危機意識ゼロ

平井 修一



日本戦略研究フォーラム理事/政治評論家・屋山太郎氏の論考「集団的自衛権行使容認の国会審議 時局の危機に対応する法改正は政治家の責任」6/3から。

<日本をめぐる国際情勢の変わりように、早く対応しろと気が急く思いだ。新安保法制の国会審議が4月27日ようやく始まった。衆院の平和安全法制特別委員会で維新の党の松野頼久代表がトップ・バッターで質問に立った。

維新の橋下徹氏(大阪市長)は憲法改正派で安保法制改革者で知られ、松野氏は橋下氏の“親友”のはず。当然、安倍晋三氏の法改正には賛成かと思い込んでいたが、質問の締めくくりは「何か危機が迫っているのか。なぜ急ぐのか」という驚くべきものだった。

松野氏にはここ4、5年の中国の動きを危機とは感じなかったのか。鳩山政権の頃から中国による領海、領空侵犯が増え続け、尖閣諸島を漁船で取り巻いたり、漁船が巡視船に体当たりするなど、日本の出方が探られていた。

(中国は)日本の出方が敏感だと思ったのか、攻める矛先を南シナ海に転じ、ベトナム、フィリピンなどが所属を争うスプラトリー諸島の奪取に向った。中国はすでに人工島を造成しており、その面積は東京ドームの70倍ともいわれる。砲台が二門設置されたともいう。早々に軍事基地化するだろう。

この中国の泥棒のような行為は思い付きで行われたわけではない。10年も前から中国の軍司令官が米国の軍のトップに「太平洋を半分ずつ管理しようじゃないか」と持ちかけていた。もちろん米側が峻拒したので、冗談だったのかと思わせた。ところがオバマ・習首脳会談で習氏は「太平洋は2つの大国を十分、収容できる」と述べた。ごく最近も同様の発言が中国首脳部から出ている。

太平洋半分論からいうと、尖閣やスプラトリーはもちろん、フィリピンも中国の支配範囲に入る。かつてフィリピンは米軍を追い出した直後に環礁を奪取された。フィリピンはその後の中国の動きを見て米軍の駐留を認め、いま日比が防衛装備の移転協定を結ぼうとしている。米軍を追い出したあとフィリピン憲法は外国軍の基地を置かないと書き込んだため、十分な対応ができなくて困っているのだ。

中国は周辺国を経済的な手段で押さえつけている。フィリピンが公然と文句を言うとバナナの輸入を止めるとか、カンボジアなどは中国無しに成り立たない経済構造になっている。

今回の国会は「集団的自衛権を行使する」ことを前提に新日米ガイドラインに息を吹き込むのが目的。自衛権を日米では「集団的」と「個別的」に分け、個別的しか使えない、との解釈だった。

世界中の国の解釈は「集団的自衛権を行使するとは共同防衛もある国が攻撃を支援する場合もある」というものだ。今国会は世界の常識を“学習”する教室だと認識すべきだ。

米国とすでに同盟条約を結んでいる国が第3国から侵略されたことはほとんどない。特殊な例外は南ベトナムぐらいだ。

「なぜ法改正を急ぐのか」には国際情勢に対応するためというほかない。防衛法制が適当でなかったり時局に間に合わなかったら、政治家の責任だ>(以上)

当たり前の話だが、法律をつくったからと言って侵略から国を守れるわけではない。将兵と武器による戦闘で敵を撃退し、継続して守り抜くのだが、その能力はあるのか。

同じく日本戦略研究フォーラム政策提言委員・矢野義昭氏の論考「かつてのソ連とは次元が全く異なる中国の脅威 集団的自衛権の行使ができなければ日本は守れない」6/2から。氏は元第一師団副師団長兼練馬駐屯地司令、陸将補。

<*新ガイドラインで飛躍的に高まった日本の責任と自立防衛の必要性

今回のガイドラインも上(略)に述べたような日米の戦略構想が背景にあって、策定されたものと見るべきであろう。そのことは、「日本に対する武力攻撃が発生した場合」の考え方に表れている。

新ガイドラインの基本的な考え方として、「日本は、日本の国民及び領域の防衛を引き続き主体的に実施し、日本に対する武力攻撃を極力早期に排除するため直ちに行動する」とある。

これに対し、平成9(1997)年に制定されたこれまでのガイドラインでは、最後の、日本は「直ちに行動する」はなく、代わりに「その際、米国は、日本に対して適切に協力する」となっていた。

(つまり)日本は、有事には、米国の協力なしで「独力で」かつ「直ちに」行動しなければならないことになる。

日米共同作戦における米軍の運用構想も大きく変化している。これまでのガイドラインでは、「自衛隊及び米軍が作戦を共同して実施する場合」には、「双方は、各々の陸・海・空部隊の効果的な統合運用を行う」との文言があったが、この統合運用の文言はなくなった。

また、日本有事の「作戦構想」においても、これまで、「航空侵攻対処作戦」「海域防衛と海上交通保護作戦」「対着上陸作戦」に明言されていた、米軍の打撃力行使や地上部隊の「努めて早期の来援」に関する文言はなくなっている。

このことは、米国の日本での反攻作戦実施や地上部隊の来援は望めないことを示唆している。

新ガイドラインでも、「米国は、日本に駐留する兵力を含む前方展開部隊を運用し、所要に応じその他のあらゆる地域からの増援兵力を投入する」と記述されているが、戦闘部隊の「展開」や「増援」を直接保障する文言にはなっていない。「増援部隊」は「投入」されても、自衛隊を「増援」するとは限らない。

米国のASB(エアーシーバトル)構想では、同盟国の防衛は当該国の責任とされ、また米地上軍の本格的な増援は予定されていない。以上の条文は、この構想を反映した内容になっている。

すなわち、自衛隊は米軍の来援が、当面望めない状況の中で、国土と国民を一定期間独力で自立的に守らねばならない。では、どの程度の期間、守られねばならないのであろうか。

米国のシンクタンクなどでも、この問題は研究されているが、その一部の見積もり結果によれば、反攻作戦開始までに1か月以上はかかるとされている。

艦艇や航空機の主力を一度安全な数千キロの遠隔地の基地に退避させ、その後海上優勢を奪還し、部隊を再編して本格的な反攻作戦を開始するには、戦史の事例などから判断しても、1か月以上はかかるとみるのは妥当な見方であろう。

その間、日本は単独で日本の全領域と日本国民を守らねばならない。そのためには、まず当初のミサイル、特殊部隊、サイバー、対衛星攻撃などに対して、必要な防衛インフラを防護し、残存できなければならない。

このことを抗堪性と言うが、そのためには、施設などの堅固化、部隊や装備の分散、燃料、弾薬、装備などの地下化、偽目標(デコイ)の配置などの措置を平時からとっておかねばならない。特に南西諸島はその必要性が大きい。

その後も、1か月以上にわたり戦い続ける能力を維持しなければならない。この点で、自衛隊には予備役制度と予備力の不備という重大な問題がある。

予備自衛官制度はあるが、定数は平成26(2014)年3月末現在で、4万7900人しかない。世界各国では通常、国家として責任を負った予備役制度があり、現役と同等からその2倍程度の予備役を保有し、緊急時には速やかに招集し戦力化できる態勢が整えられている。

特に、スイス、フィンランドなど人口の少ない国では、有事には国民の総力を挙げて国防にあたる体制ができている。

また各国では通常、物資・施設、エネルギー、産業等の動員態勢もとられている。石油などの備蓄基地は分散して地下化されており、航空攻撃等にも耐えられるようになっている。民間力が最大限に活用できるよう、防衛生産のための予備力の確保や徴用も義務づけられている場合が多い。

しかしわが国ではこれらの予備役制度も動員制度もない。武器・弾薬・ミサイルなどの備蓄にも乏しく、緊急時の防衛生産の増大余地もほとんどない。そのため、今ある自衛力を使いきれば、それ以上戦い続ける能力がない。

一部の国民が緊急時に志願したとしても、訓練には最低でも数か月を要し、未熟のまま戦闘に参加すれば、いたずらに犠牲を増やすだけである。このような現況を前提とする限り、米軍の反攻まで国土と国民を守りとおせるだけの戦力を維持できる可能性は、極めて乏しいと評価せざるを得ない。

この点については、新しいガイドラインにも対策は示されていない。もしこのような生き残り、戦い続けるための態勢を急きょ整備するとすれば、現在の防衛大綱に示された予算規模や自衛官と装備数では、不十分なことは明白である。

早急に大綱を見直し、必要な予算や定数の増加措置をとることが不可欠である。しかし、安倍首相は安全保障法制閣議決定後の記者会見でも、防衛費増額について「この法制によって防衛費自体が増えていく、あるいは減っていくということはない」と述べており、必要な防衛予算増額への意向は示していない。

*危険かつ無責任な「歯止め論」

大半の政党とマスコミは、今回の安全保障法制に対し、「歯止めをかける」ことにより平和が守れると主張している。しかし、わが国を取り巻く安全保障環境は、冷戦時代よりもはるかに厳しくなっている。

冷戦時代、自衛隊は長らく、道北、道東の一角を数個師団規模のソ連軍の侵攻に独力で対処することを前提として防衛力を整備し、訓練を重ねてきた。当時、米軍は、有事には数週間以内に20万人に近い地上兵力を日本に増援し、空母の来援を待ち本格的な攻勢作戦を行うことになっていた。

今では、日本有事に本格的な地上兵力を増援するという構想は、米国にはない。中朝の日本を直接攻撃できるミサイル戦力も核戦力も増強されており、米軍は被害を避けるため、日本有事には1カ月以上、空母も含めて後方の安全な地域に退避することになると予想されている。

この「厳しい現実」を直視し、日本国民も各政党も、日本の安全のために必要な措置として、容認できることは容認し、協力すべきことは協力するとの姿勢をとるべきである。

国の安全保障に責任を負わない政党は政党とは言えない。反対のための反対をしている余裕は、いまの日本にはない。

日本を日本人自らの力のみで守らねばならない時代になった。日本独力で1か月以上守るには、奇襲に堪えて残存する能力と、戦い続ける能力の整備が待ったなしで必要となっている。

そのためには、他の国と同様に、自衛隊だけが守るのではなく、国民が総力を挙げて自らのために防衛に任ずる態勢を早急に作り上げねばならない>(以上)

日本は平和ボケで危機意識ゼロの人が多数派だ。国家総動員法もないし、危機に備えた防空壕や地下要塞もない。核による抑止力もない。ミサイルや弾薬の備蓄も限られている。防衛予算は通常の先進国はGDPの4%だが、わが国は1%しかない。将兵の数も少ない。

「9条があれば戦争はない」という、ほとんど天然記念物のような人が多く、戦意は低調だ。将兵以外の国民は命懸けで国を守るどころか逃げることを考えている。

70年間も惰眠をむさぼっていたから尚武の伝統も消えてしまったようだ。それとも有事の際にはDNAが甦るのだろうか。南シナ海での警戒活動、演習は良い訓練になるはずだ。そのうち小競り合いも起きるだろう。その繰り返しが将兵を鍛えることになる。国民の戦意も高揚するだろう。
(2015/6/6)
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