2015年06月16日

◆相互理解深化が日中を打開 @

浅野 勝人 (安保政策研究会理事長)
  

わたしの著書「北京大学講義録 日中反目の連鎖を断とう」の中国語版「融冰之旅」(氷を融かす旅)が、今年1月出版されました。それを読んだ大学から、直接、著者の話を聞きたいという光栄な要請をいただきました。

北京大学の定期講義の機会に清華大学と北京外語大(東京外語大に相当)で、先頃、講義をいたしました。

<以下 その講義報告です。>


<清華大学のお招きをいただき、本日、皆さんとお目にかかる機会に恵まれました。清華大学は、習近平国家主席、胡錦濤前国家主席の母校と聞いております。今日は、わたしの人生にとって記念すべき日となりました。

「現在 開始 上課 吧」(それでは授業をはじめましょう)

先月22日、バンドン会議に出席するためジャカルタを訪れた安倍首相、習近平国家主席の日中首脳が、5か月ぶりに2回目の会談をしました。

北京で開かれたAPECの機会に行われた去年11月の1回目の会談は、握手をしても相手の目を見ない冷え冷えとした出会いでした。

それに比べれば、笑顔で握手を交わした今回は雰囲気が和(なご)んでいる印象を受けました。そして、双方が関係改善を推進する必要性を認め合って、アジアのリーダーとしての認識を示したことは内外の人々を安堵させました。

バンドン会議は、60年前、周恩来首相とインドのネール首相が立ち上げた国際会議です。全ての人類と国の平等を訴えた平和十原則は、東西両陣営が対立する当時の冷戦の中で、アメリカにもソビエトにも属さない平和勢力の存在を示した画期的なアピールでした。

周恩来の民族自決の原則とネールの平和主義が今も脈々と引き継がれているバンドン会議での出会いにしては、物足りない首脳会談でしたが、お互いに微笑んで握手をしたことに満足しましょう。


ちなみに、戦後70年の世界史の中で、私が尊敬する政治家は、周恩来国務院総理とユーゴスラビアのチトー大統領の二人です。

今回の会談で私が注目したのは、習近平が「一帯(イ―ダイ)一路(イールー)構想(陸と海のシルクロード経済圏)とアジアインフラ投資銀行(AIIB)設立の提案は、すでに国際社会から歓迎されている」と述べました。

これに対して、安倍晋三は「アジア地域にインフラ投資のニーズがあることは承知している。その認識に基づいてAIIBに関して詳しく検討していきたい」と応じたに止め、習近平の呼び水を拒んだ点です。

「日本も参加する」とその場で明言していたら、局面は一変して、日中関係は否応なしに安倍首相の主導権によって打開されました。

同時に、日頃からアメリカの鼻息ばかり窺(うかが)っていると思われている日本が、自らの決断を示して世界をアッと言わせるパフォーマンスになりました。

8年前、首相に就任した安倍は、最初の訪問先をワシントンを飛び越えて北京を選び、小泉時代に停滞していた日中関係を一挙に打開して中国側から「破(ポー)冰(ビン)」といわれました。

今度も踏み切っていたら、安倍晋三2度目の「破冰」となっていたのにとでも残念です。

ところで、日本政府がAIIBに参加しないのは、ガバナンスに問題があるという理由です。

発足する前から、中国は自分たちに都合のいい、いい加減な運用をするに違いないと決めつけるのは、隣国に対する礼儀を欠いているように思います。

福田康夫元首相は、
「アジアの発展途上国は、インフラ整備と人材育成に苦労しています。特に、道路、鉄道を中心とする交通網を整備して、大量輸送の手段を確保するためのインフラ投資を求めています。

インフラ整備に資金を提供しようとする試みを否定するような姿勢は、アジアの国々の共感を失うことになります。運用のガバナンスを徹底するように中国と十分話し合うことが必要です」と述べて、AIIBへの参加を政府に促しています。
私はこの見解に賛同します。

もし、ガバナンスに問題があると懸念するのなら、むしろ、AIIBに加盟して、機構の内側から組織運営の透明性を高め、融資審査や意思決定をめぐる不適切な判断を改める改革の役割を担うのが日本の中国に対する真の友情だと思います。

日米が主導するアジア開発銀行・ADBと中国が主導するAIIBは、綿密な情報交換を基礎にお互いに協力して、大切なお金を有効に使う協調の姿勢が重要です。

ですから、中国にも、日本に対してもっと真剣に説明を繰り返して、懸念を払しょくする努力が求められます。

日中両国の協力は、東南、南西アジア諸国、中央アジアから中東、トルコを通ってヨーロッパに至る一帯周辺の国々のために不可欠です。相互理解の進展を期待せずにはおられません。

あれは尖閣問題が燃え広がり、中国各地で反発が強まった頃ですから、2012年の晩秋のことです。

さまざまな反日活動を紹介する紙面の中に、上海のレストランが店頭に「日本人と犬、当店に入るべからず」という張り紙を掲示したという記事が目に止まりました。

これはあんまりだと思った私は、親しい北京の方に電話をして「こんな酷い嫌がらせは止めさせていただきたい。この種の記事は日本人の中国嫌いの感情をいっそう強めるだけです。百害あって一利なしです」と申しました。
 
この方の返事は「浅野先生のような中国の理解者でもそんな受け止め方をなさるのですか。おそらく上海のレストランの経営者は、祖父母ないしは両親から幾度も幾度も聞かされた積年の恨みを70余年ぶりに晴らしたにちがいありません。

日本軍に占領された上海では、中国人は人間扱いされませんでした。どの公園にも「シナ人と犬、入るべからず」という立て看板が立てられ、中国人は歯をくいしばって公園で遊ぶ日本人親子を見ないようにして堪え忍んでいました。

南京大屠殺(南京大虐殺の中国語)直後の長江(揚子江)は血で染まり、死体で河面(かわも)が埋まった様子を聞かされて育ちました。積年の恨みとはそうゆう意味です。浅野先生ならおわかりでしょう」
 
私は返答に窮しました。
こんな体験もあります。

外務副大臣の頃、私は内閣の方針に従って中高生の日中交流に力を注ぎました。当時の胡錦涛国家主席が全面支援をしてくれましたので大きな成果をあげました。

好評だったのは、日本を訪れた中高生が、3泊か4泊、一般家庭にホームスティをして地元の学校に体験入学する計画です。そして、帰国の直前、全員に感想文を書いてもらうのが慣わしでした。記憶に鮮やかな女子中学生の例です。

「私が訪問団に選ばれて日本に行く事が決まったことを家族に報告した時、おじいちゃんがたいへん心配しました。怖ろしい鬼がいっぱい棲んでいるところで行くのだからくれぐれも気をつけよ。町には軍人があふれている。軍服を着ているから直ぐわかる。けっして隊列を離れてはいけない。出来る限り老師のそばに居て隠れよ。お前が無事戻ってくることを祈っている」。

だから私は緊張して日本に来ました。来てみて、おじいちゃんは夢を見ていたのかと思いました。軍人はただの1人も見当たりません。日本人はみんな親切で、訪問団を心から歓迎してくれました。

私を迎えてくれて、4日間一緒に暮らした名古屋の家庭は、お父さんとお母さん、私と同じ歳の女子中学生と小学生の弟の4人家族でした。

歓迎の夕食のあと、女の子同士2人で寝ました。私は、直ぐ、何年も前から一緒に住んでいるような親しみを覚えました。やさしい4人の家族に囲まれて楽しい4日間があっという間に過ぎました。

別れの日、玄関で、お母さんは泣きながら私を抱きしめて離しませんでした。私も涙があふれて止まりませんでした。

集合場所の名古屋駅には、お父さんの運転でみんなが送ってきてくれました。いよいよ別れの時、後ろの方で涙をこぼしているお父さんの姿が目に入り、私もまた涙がこみ上げてきました。

私は、中国に戻ったら一生懸命勉強して、将来、中国と日本の掛け橋になるような仕事につきたいと思います。」

 皆さんは、この感想文をどんな思いで聞いておいででしたか。

誠に厄介なことは、このおじいちゃんと女子中学生は、どちらも間違っていないという複雑さです。日中間のperception gap 意識格差は、複雑多岐に錯綜しています。>(続く)
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