2015年06月16日

◆戦争は「歴史の必然」

平井 修一



戦争とは何か。「戦争は一種の強制行為であり、その目的は相手の抵抗力を完全に無力化し、自らの意志を強要することである」とクラウゼヴィッツは書いている。「相手を完全に無力化」するまで戦うというのは今はなく、大体が停戦で終わるようだ。

戦争はなぜ起きるのか。いろいろな答えがあるだろう。一般的には、自分はこうしたいと思い、他者はそれに反対する。話し合いでは何の進展もない。それなら戦争に訴える、となる。

たとえば現在のウクライナとロシアの戦争。勢力図を見ると、西から欧州、ウクライナ、ロシアがある。欧州とロシアは歴史的に対立している。ウクライナは緩衝地帯になっており、その西側国境はロシアにとって「外堀」、東側国境は「内堀」だ。

ところがウクライナは欧州と一緒になりたいと、外堀を埋め立て、欧州勢力を引き入れた。ロシアは内堀でウクライナ・欧州の圧力に耐えなくてはならなくなった。そこで武力で西側へ押し出し、内堀を強化、一応の停戦になった。

これによりロシアVSウクライナ・欧州のパワーバランスは危ういながら保たれている。

戦争は我にも正義、彼にも正義のぶつかり合いで、双方ともに「自分は自衛のために侵略者と戦った」ことになる。

翻ってわが国が大負けした大東亜戦争とはなんであったのか。ウィキから――

<GHQが公職追放令を発布して間もない1946年(昭和21年)1月12日、雑誌「近代文学」の座談会「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」で小林は、出席者の本多秋五による小林の戦時中の姿勢への言及を受けて以下のような発言を行った。

「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。
大事変が終った時には、必ず、若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。

必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起こらなかったか。

どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。

僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」

一部には、これを敗戦後に戦前とはうってかわって、「右翼的文化人」から「左翼的文化人」に変貌した当時の大多数の知識人らと比して立派であると評価する声もある。

「反省しない」という言葉を用いて、戦前の言動を正しかったとか、悪かったとか、戦後の世間一般の価値観でもって自分自身を肯定・否定しているわけではなく、戦争に負けたとたんにその立場を180度転換した戦後の世間一般の価値観でしか己の立場を決定できない人々を小林は「頭がいい人」と揶揄し、批判したのである。

戦時中は軍国青年で、戦後はすぐ左に行ってしまったと自ら回顧する吉本隆明は、敗戦の放心状態にあって小林のこの発言の一貫性について膝を打ったという旨のことを、第五次小林秀雄全集によせたインタビューで述べている。「事変に黙って処する」というのは小林の事変当初から強調した表現だった>

現代ビジネス6/14「旧日本軍の将兵たちはあの戦争をどう振り返ったか 7年の歳月をかけて戦争体験者の肉声を追った亀井宏氏に聞く」から。
<亀井宏(かめい・ひろし)氏の略歴:

1934年生まれ。'70年『弱き者は死ね』で小説現代新人賞受賞。30代半ばより太平洋戦争に関する調査を始め、戦場体験者の証言を聞くために全国をまわる。'80年『ガダルカナル戦記』で講談社ノンフィクション賞を受賞。

主な著書に『ドキュメント 太平洋戦争全史』『ミッドウェー戦記』(いずれも講談社文庫)、『東條英機』(光人社NF文庫)などがある。

亀井氏が著した戦記ドキュメンタリーは、今日では誰も成しえない、不朽の名作である。昭和40年代、旧日本軍の将兵たちがまだ存命だった頃に直接取材を果たし、書き上げたものだからだ。その亀井氏に当時の取材背景を聞いた。(構成/松木 淳)

――ガダルカナル戦は、戦闘ではなく飢えや病気による死者が多いという悲惨な戦場でした。その点から話したがらない人も多かったのではないですか。

ガダルカナルに関しては1973年の秋ごろから取材を始めたのですが、このころになって聯隊史や中隊史といった記録が私家版で出始めた。つまり、生き残った人が自ら所属していた部隊について語り始めたんです。

そんな時期に遭遇したというのも幸運でした。もちろん取材に消極的な人もいましたが、そうした人はむしろ例外で、積極的に協力してくださる方が多かったように思います。

インタビューの現場で私はほとんど言葉を発しません。インタビュー相手が1時間でも2時間でもずっと話し続けてくれるからです。なかには号泣しながら話してくれた人もいます。語っても語り尽くせない、そういうものを胸の奥底に沈めて戦後を生きてきた人たちなんですね。

例外としては、インタビューに応じてもらうのに約2年かかった人が2人います。1人は元大本営作戦参謀の瀬島龍三さん。ちょうど瀬島さんが主人公のモデルといわれた『不毛地帯』(山崎豊子著)が出たころで、それで神経質になっていたんだと思います。

如才ないというか隙がないというか、完璧に理論武装しているように、私には感じられました。だからなのか、巷間言われている話がほとんどで、目新しいことは何もおっしゃいませんでしたね。

もう1人は、私がお会いできた唯一の俘虜体験者、丹羽幼三さん。戦友同席の場で話すということを条件にようやく承諾をもらえた人です。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を叩き込まれた元軍人が取材に応じてくれた勇気には、本当に頭が下がる思いがしました。

――『ガダルカナル戦記』には1人のコメントが20ページにわたって続くような例もありますし、方言もそのまま活字にしています。読んでいてまるで肉声を聞いているかのような気持ちになるのですが、これには何か意図があったのですか。

『ガダルカナル戦記』は生き残った人たちの証言集にしようと思ったのです。着手してから脱稿まで足掛け7年を費やしたのですが、その間にも既に取材をしたあの人が亡くなった、この人が亡くなったと連絡が入りました。今では本書に登場する方はほとんどが亡くなられていると思います。

つまりガダルカナルを体験した人の証言を得るのには、私が取材した期間が最後のチャンスだったんです。

率直に言えば、必ずしもすべての証言に私が納得しているわけではありません。記憶違いというか、自分に都合よく記憶が組み替えられているというか・・・。それでも、私の主観による取捨選択をあえてしなかったのは、あの時代の日本人がどういう考え方をしてあの戦争に対処したのかを、ありのままの証言から理解してほしいと思ったからです。判断はすべて読者にまかせようと考えたのです。

*想い出深き人々

――脱稿まで足掛け7年とはまさしく労作ですね。関心も知識もなかったテーマにそこまでのめり込んだ理由は何ですか。

それまで漠然と抱いていたイメージと実際のところが違っていて、本当はどうなのか、そこへの興味が大きな理由の一つです。

東條英機を例にお話しします。戦後の日本はそれまでの歴史を全否定することから始まったんです。私もそういう戦後民主主義教育を受けて、東京裁判を100%肯定して「東條英機は悪い奴だ」って思っていたわけです。

それが調べていくと、どうも違うなということになった。東條は首相と陸相を兼任していたんだけれども、大本営会議で陸相には発言権がないし、首相に至っては出席すらできないんですね。

のちに大本営参謀総長まで兼任するんだけど、それ以降のことはともかく参謀総長就任前の事柄まで責任を負わせるほど“大物感”を感じさせないんですよ(笑)。そうした発見がいくつもあって、次第に夢中になっていったということですね。

もう一つは取材で出会った人たちの存在です。面白い人が多かった。淵田美津雄さんは真珠湾攻撃で空襲部隊の指揮を執った人で、自宅で話を聞いたんですが、なぜか居心地が悪い。よく見ると本棚なんかが歪んでるんですね。

あとになって聞いたことなんですが、家も家具も手づくりだったそうです。海軍の軍人だった人なのに「山本五十六は凡将だ」とはっきりと言って憚らないユニークな人でした。

あと二見秋三郎さん。ガダルカナルで十七軍の参謀長を務めた方です。私が会った元軍人の多くは時代の流れとともに言葉遣いなども変わってしまっていたものですが、この人は違った。

軍人の生きた化石のような人で、私を「おまえ」と呼び、いきおい私は二見さんを「閣下」と呼ぶ。自宅で怒鳴られながら取材をしたんですが、終わったら最寄りの駅まで見送ってくれるんです。

別れ際に「俺は昔の威張る癖が治らんのだ、勘弁してくれ」と言われました。その後、線路脇の柵のところに立って電車が走り出してもその場を離れませんでした。訪れる人も少なくなって、じつのところは寂しかったんだと思います。

井本熊男さんは陸軍大臣秘書官を務めた人で、いわば東條の側近です。東條が悪の親玉だから、その秘書はどんな人物かと思って、例のごとく(取材依頼の)手紙を書いた。その際、2行くらいの質問を添えたんですが、しばらくしてそれに対する回答が封書で届きました。

封を開けてみると便箋10枚くらいにびっしりと書かれているんですね。また質問を書いて送ると同じように封書で返ってくる。誠実というか純粋というか、そうした人柄が文面から伝わるんですね。実際にお会いしても、印象は変わらなかった。

*何が起きたかを知ってほしい

――私生活を犠牲にされて書き上げた作品なのですね(平井:7年間、収入が乏しく奥さまは去ってしまった)。ところで先ほど東條英機の名前が挙がりましたが、亀井さんは戦争責任についてどう思われますか。

東條についていうなら、責任はあるけど、全責任を負うほどではないと思う。

私は「近代文學」の座談会(1946年2月)での小林秀雄の発言に共感を覚えます。彼は「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか・・・利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか(冒頭で紹介したもの)」と発言しています。

私も東條ら一部の人に責任を押し付けるのは間違っていると思います。

開戦前、国民は日本が朝鮮半島や満州に進出するのは当然の権利だと思っていた。メディア、といっても当時は主に新聞ですが、部数を上げたいから読者が喜びそうな記事を書く。世論が「軍は何をしてるんだ」と尻を叩いて戦争に突入していったという側面もある。

ならば国民やメディアにも責任はあるだろうと。

そんな戦争責任を負った者のなかで、いちばん悪質だと思う者をあえて挙げるとすれば、それは新聞ジャーナリズムです。小林の言う「利巧な奴」ですね。敗戦まであれだけ戦意を煽っておいて、敗戦と同時に凄まじい東條バッシング。

あれはそうしなければ「お前たちこそ日本を戦争に誘導していったじゃないか」と自分に火の粉が降りかかってきたからでしょう。ナチスに協力したドイツの新聞はすべて廃刊されていることと比較すると愕然とします。

日本人の精神性なんでしょうか、オール・オア・ナッシングとか、黒か白かとか、二元論的思考で問題を矮小化する傾向があるように思います。小林が言うように戦争は歴史の必然ならば、なぜ戦争が起きたのかはそんな単純に判断できることではない。

私の父親も陸軍の軍人でした。私が20代半ばのころ、父に向かって「日本はなぜあんな愚かな戦争を始めたのか」と突っかかっていったことがありました。父は吐き出すように一言「仕方なかったんだ」と答えました。

そのときは内心「何て言い草だ」と失望したものですが、今ならその意味がわかるような気がします。

――講談社文庫の『ミッドウェー戦記』や『ガダルカナル戦記』を手に取る人には、亀井作品に初めて触れる若い人も多いと思います。そんな読者に対してメッセージをお願いします。

『ガダルカナル戦記』には、飢えや病気に苦しむ兵隊のなかで「もう駄目だ」と口に出した者は必ず死んだという証言があります。逆に、生きて還ることに最後まで光明を感じた者が生き残ったと。戦争は人に苦難を強いますが、そもそも人が生きていくこと自体が苦難に満ちているものです。

ここに描かれている世界は戦争という非日常ですが、困難のなかに光明を見出すという姿勢は、現代人の日常にも通用するものではないでしょうか。
死線を乗り越えて生還した人々、そんな日本の先達から現代を生きる日本人へのメッセージ――そんなふうにとらえていただけたらうれしいです。

また、あの戦争で日本人がどのように考え、行動したのか、ということを知ってほしい。まずは知るということが大切です。昨今かまびすしい歴史認識問題について議論するのであれば、一部のメディアの言い分を鵜呑みにするのではなく、その前に何があったのかを自分の知見として持ち、判断してほしいと思います。私の作品がその一助になれば幸いです>(以上)

中2レベルの国民の多くは「一部のメディアの言い分を鵜呑みにする」のだが、一部どころかほとんどのメディアは自虐史観だから、もう除染はできない。本人がその気にならないのだから現代史なんぞ勉強もしないし、関心もない。そもそも紙媒体であれネットであれ、「文字を読む」ことさえしない人が増えているのではないか。つまり思考力がない。

国会ではリアリズムを無視した無意味な神学論争に明け暮れている。マキャベリ曰く――

「リヴィウスの『ローマ史』を読んで、そこからなんらかの教訓を得ようと思うならば、ローマ市民と元老院のとったすべての行動をじっくり検討する必要があるだろう。その中でも特に次のことは重要だと思う。

それは、軍隊を率いる司令官たちに、どの程度の権限を与えて送り出したか、ということである。答えははっきりしている。

古代ローマ人は、この人々を、絶大な権限を与えて送り出したのであった。

元老院は、新たな戦争を始めるときと、和平を講ずる場合の決定権しかもっていなかった。その他のことはすべて現場の指揮官たちの意志と判断に任されていたのである。

これと反対の例は、ヴェネツィアやフィレンツェでのやり方である。この二つの共和国の指揮官は、大砲を置く位置からなにから、いちいち本国政府に指示を仰がねばならない。これが現在の惨状の原因になったのであった」

六法全書を片手にもって戦争できるのか。法律守って国亡ぶ。中2坊主が中2レベルのアホ議員を国会に送ったのだ。愚の骨頂。超法規でやるしかない。

愛国者は粛々と備えを固め、練度を高め、士気を高めるだけだ。(2015/6/14)
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