2015年06月21日

◆国産ビール発祥地は大阪

毛馬 一三



いよいよ夏が近づく。どこでも夕食の食卓では、缶ビールをコップに移して一気に飲んで喉を潤す習慣が出来ていると聞く。

今やアルコールを飲めない人でも、アルコールの入っていない缶ビールを買い求めて、ビールの味を愉しむ時代にもなっている。ビールはもはや全盛時代だ。

以前、北海道のサッポロビール工場で、出来立てのビールをジョッキ杯で飲んだ経験がある。下戸の私は、ジョッキ杯飲みに躊躇いがあったが、喉越しに胃袋に入っていったその時の美味さは、何とも未経験の清々しい味だった。

その時ビールは、樽に入れて遠方へ運ぶと、清々しい美味さを失って仕舞い、ビール工場でのむ味とは、全然違うと聞かされた。

しかし最近では、ホテルや居酒屋などで飲むビールも、時代と共にビールの質向上技術が進んだのか、出来立てのサッポロビールの味と同じような感じがしだしてくるのを、下戸ながら感じ出した。

そんな中、「国産ビールの発祥の地」が、大阪だというという「碑」を見つけた。全国いたるところにあるといわれているビールの発祥の地が、まさか大阪だとは驚いた。

その「碑」は、大阪市営地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅から 東に300mほどの大阪・北新地のANAクラウンプラザホテルのすぐ側に建立してある。

よく見ると「碑」と「説明プレート」が建っている。

「碑」は、高さ1m50pで、隣接している「説明プレート」は1mの四角形。いずれにも大阪市教育委員会の説明が添えられている。

こう書いてある

<わが国におけるビールの醸造は幕末に横浜で外国人がおこなっていたが,日本人の手によるものとしては,澁谷庄三郎がこの地で醸造したのが最初といわれている。

当初は大阪通商会社で,明治四年(1871)に計画された。これは外国から醸造技師を招いた本格的なものだったが,実現には至らなかった。この計画を通商会社の役員のひとりであり,綿問屋や清酒の醸造を営んでいた天満の澁谷庄三郎が引継ぎ,明治五年三月から,このあたりに醸造所を設け,ビールの製造・販売を開始した。

銘柄は「澁谷ビール」といい,犬のマークの付いたラベルであった。年間約三二〜四五キロリットルを製造し,中之島近辺や川口の民留地の外国人らに販売した。―大阪市教育委員会>。

しかし気になることがあった。「日本ビールの発祥地は、横浜」と言われていたことを思い出して、気になった。

そこで、調べてみると、

明治3年(1870年)、米国人のウィリアム・コープランドによって横浜・山手にビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」が設立され、日本で初めてビールの醸造・販売が開始された。

外国人の手による日本初だが、実は麒麟麦酒(キリンビール)がこれの流れを汲んでおり、世間的にはこれが「横浜が日本のビール発祥の地」と定着していたようだ。

更に、小規模なものなら、江戸時代にも日本でビールが造られていたらしい。文化9年(1812年)に、長崎の出島でオランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフによる“自家醸造”で、これが「日本で初めて醸造されたビール」とされている。

となると、大阪の「発祥地」とはどういう意味なのかということになる。

そこで、時系列に追って整理すると、

・1812年(文化9年) 日本で初めてのビールが長崎でオランダ人によって醸  造される。

・1869年(明治2年) 横浜で、外国人による日本最初のビール醸造所が設立される。

・1872年(明治5年) 大阪堂島で、渋谷庄三郎によって、「渋谷ビール」という、日本人によって「初めて産業的にビールが醸造・販売」される。

そこではっきりした。「横浜」は、外国人によって「日本で初めて産業的にビールがつくられた地」であって、「大阪」は、日本人の手によって、初めて「国産ビールがつくられた地」だったということになる訳だ。

この「大阪の碑」の周辺は、今は不景気で活性化が無くなっている遊楽街「北新地」だが、「碑」に辺りに「国産ビール発祥地」を明らかにする施設や跡地は、どこにも見当たらない。

だが、現代のビール産業がこの場所から発祥したのだという事実は、この「碑」を目にしたことよって、先駆的だった大阪の時代があったこと改めて感じさせられた。これから何事でも全国を引導していく「大阪」になって欲しいものだ。

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