眞鍋 峰松
以前、産経新聞に、“裁判には「プロの目」が必要”と題した次のような投書が掲載されていた。
『今年に入って、裁判員裁判の死刑判決の破棄が相次いだ。「裁判員裁判の判決の中には、過去の同種事件より相当量刑が重いものがあり、公平性を保てない」と指摘する意見もある。
最近はプロを軽視し、素人をもてはやす風潮がある。こうした風潮に影響されているのが、今の裁判員裁判の問題点ではないか。「素人感覚」といえば、新しい視点を提供してくれるような気がするが、畑違いの素人を現場の長に任命して、混乱を引き起こす例もある。
やはり現実には、長年の経験でしか養えない「プロの感性」がどんな現場にも必要だ。素人考えを必要以上に取り入れるのは誤りだと思う。もちろん、市民感覚を反映させるという裁判員制度の趣旨はわかる。裁判官も現実社会に学ぶ謙虚な姿勢が必要だろう。
しかし、判決が素人考えに偏るのは問題。高裁や最高裁はプロとして素人の議論に歯止めをかけ、修正してほしい』というのである。
投書された方の肩書には“元 校長”とあったから、多分、長い教員生活を送られ、最後には校長を務められた立派な人物なのだろう、と想像する。
ところで、この投書。 内容は裁判員制度に関するものだが、行政や教育現場への民間人登用問題にも相通じるものを感じる。
現在府内で実施されている公立学校の校長、大阪市の区長や交通局長などへの民間人登用に関して生じている問題と類似していると感じるのは、私だけだろうか。
中でも、その極め付けが、最近の府教育長の辞任騒ぎであった。つまり、投書の方の指摘されている「素人感覚といえば、新しい視点を提供してくれるような気がするが、畑違いの素人を現場の長に任命して、混乱を引き起こす例もある」と指摘されている視点が同じだ、と感じるのである。
勿論、民間人登用自体には、行政や教育の現場に多々見受けられた従来の慣習や先例に囚われ過ぎた閉鎖的社会へ新風を引き入れ、風通し良くするという意味合いは大きい。
ただ例えば、最近マスコミでも大きく報道されていたように、1〜2年という短期間に登用された民間出身の大阪市立中学校の校長11人のうち、退職や解任された人数が過半数の6人に及ぶといった事態は何としても避けなければならない。
これは以前の記述の繰り返しになるが、このような抜擢人事というのは殆どが自己申告や公募を前提としており、兎角何かと問題を生じ易いのが現実である。
古くは中国の唐時代の書物「貞観政要」の中でも、抜擢人事とも関連して、自己推薦制の是非について論じられている由縁でもある。
また、故谷沢永一関西大学教授は著書「人間通」の中で、抜擢人事について「我が国は年功序列社会だから順を追わなければ出世できないと言い慣らわすのは一面的な観察である。昔も今も例外的な抜擢は常に行われてきた。
しかし、世に抜擢ほど難しい決断はない。統計をとるなら成功率は決して高くないであろう」とし、抜擢人事が失敗する二つの型を挙げ、「その第一は抜擢された者が極度に思い上がって異様な振る舞いに及ぶ例である」と「第二の型は、根が小心であるため思いがけぬ処遇に接して心身が麻痺する。高所恐怖症である」と指摘されている。
差し詰め、府教育長の辞任騒ぎなどは、第一の型の典型だろうし、また、私自身も過去において、行政に関する基礎的知識に欠け、このためにややもすれば萎縮し適宜適切な指示を出せなくなったような第二の型の実例も見てきた。
もとより、民間人登用に当っては、その職に必要な最低必要な知識・見識を有する人物でなければならないことは言うまでもない。
とりわけ現場の管理職として登用される場合については、任命權者ひとりの判断ではなく複数の人間の眼を通じて選別を行うなど、人物の人柄と経歴・実績を十分に踏まえ、より慎重な判断が必要だろう。
まして、任命權者個人の知人であるが故の登用など有ってはならない。
また、同書において同教授は「抜擢の成功例はやはり稀れである。心根がよほど謙虚で神経が強靭な人物でなければ能力を発揮できないであろう。それ故、当面の間は心の支えをあてがわねばならぬ。能や歌舞伎の舞台では後見が控えていて、通常は小道具の出し入れを司るが、もし演者が何かでとちれば即座に取り繕う。
それと同じく抜擢された者には後見が必要である。」「所詮、抜擢は賭けである。抜擢を決断した勇猛心ある上司は、責任を全うするためのバック・アップを忘れてはならぬであろう」とも指摘されている。
実際、信頼出来る補佐役を配置するなどの支援体制も必要不可欠だろう。 同時に、登用後において、もし問題が発生した場合には、適宜適切な対応・後処理を行うとともに、事後には登用に当ってなされた判断にどのような誤りがあったのかを検証することも大事だろう。
現在では国・自治体を問わず、公的機関における上級管理職への民間人登用は、至極当たり前のことになった。それだけに、今後とも民間人登用を進めようと考える任命權者は、その任命責任をもっと厳格に自覚するべきだろう。
国においては、歴代総理大臣が任命した各省大臣に不祥事が発生した場合には、国会の場のみならず、新聞テレビなどのマスコミ報道を通じて、その任命責任が厳しく問われることが通例となっている。 場合によっては内閣総辞職に立ち至ったケースも珍しくは無い。
だが、自治体における任命權者たる首長に対する任命責任について、それ程に鋭く問われた例を寡聞にして耳にしたことがない。
マスコミで大きく報道される場合以外には、問題の所在自体が住民の眼に如実に露わにされることは稀なことであるが、いずれ住民生活に重大な悪影響を及ぼす結果に繋がる可能性も高い。
それだけに自治体首長についても、任命權者としての自覚と責任の所在の在り方についてより明確にすることが肝要というになろう。