上西 俊雄
[はじめに]
國語問題協議會の理事會で、國語を役所が差配するやうになってから、國語は常に最適化をもとめて進化するのが當然だとする風潮が世を覆ひ、ニンとメイの區別がなくなり、漢語と和語のつかひわけがなくなり、公人をもサンづけにすることが行はれるやうになったことを慨嘆したところ、さう憤ってゐては胃を壞しますよと注意されたのは4月10日であった。
實はその日はもう飮み食ひする力はほとんどなかった。日本言語政策學會のある部會で話をしたのが4月18日。この日は何時嘔吐するかが氣がかりで何も飮み食ひせずに出かけた。小人數だったので小聲で大丈夫だった。
翌19日は日曜日。苦しくて救急病院をさがし電話で相談すると何も飮み食ひせずに月曜日に來るやうにとのこと。
大學病院なので紹介状を書いてもらってでかけたところ、最初から説明しなければならず、苦痛を訴へたけれど、症状は何時からかと細かく訊かれてもはっきり答へることができず、お藥手帳といふのも知らなかったので癡呆老人とうけとられてしまった可能性がある。
再診日が4月27午後、上部内視鏡檢査が5月9日、下部内視鏡檢査が6月11日となった。
4月27日、午後までまてないと大學病院をキャンセル。最寄りの病院にいったところ直ちに入院、それから胃の全摘手術になるまでは、まるですべてが青信號の道を行くが如しであった。
連休明けの5月7日にはセカンドオピニオンのための資料も整ひ、その返事をまって5月19日に手術。結果的には非常に幸運であった。
入院してみて、漢語が忌避されてゐることをあらためて痛感した。麻醉藥といはず、うとうとする藥といふ類である。
何か手續きのことを説明するといふ。丁寧に聽くことにしたところ、聽き取れない語があったので聞き返した。今から考へると御入院といったのではなかったかと思ふのだけれど入院一般の説明であるから御のつくところではない。しかし、すらすらと説明してゐた流れを斷ってしまったので、説明する側としては困ったらしい。
NHKは五代目小さんさんなどといふのだから病院での敬語がめちゃくちゃなのは仕方がないけれど、敬語はつかはないよりつかった方がよいのだとするのを、さうではないと説明するのは難しい。
結局2ヶ月程入院。「頂門の一針」を讀むのが毎日の始まりであった。
體力がないといろいろのことに頭が囘らない。憲法改正や集團自衞權の議論など、膏藥と理屈はつけたいところにつくといふことをまざまざとみせつけらる思ひであった。憲法の解釋を論じるには條文としての憲法を外からみる契機が必要。戰後教育で育った憲法學者などはまづ失格者ではないかと思ふだけであった。
戰後教育ではすべては智識の問題になる。戰前ではまづ言葉遣の問題であった。たとへば、大正天皇實録の報道の場合、皇室敬語の響きをなぜその通りに傳へないのか。敬語をつかふべきところでただしくつかふ。さういふことが日本人を日本人たらしめたと思ふのだ。
胃の全摘を受け退院して1週間。食事の攝り方がまだ安定せず、一度高熱を發し、レントゲン撮影と點滴を受けたりした。
餘命いくばくとの聞いても對して驚かなかったのは、「頂門の一針」で思ひの丈を書いて來たといふことがあったからである。もっとも、「頂門の一針」がいつまでもつのかといふことは氣になってはゐた。主宰者は年長。休刊がつづくのがたまらなかった。
もし主宰者に萬一のことがあればどうなるのか。この問題については2871號(25.2.7)の反響欄で故眞道重明先生の主張をURLで紹介したことがある。眞道先生が鬼籍に入られたのは24年の暮。サイトはまだ生きてはゐるけれど、眞道先生の願ってゐたやうな制度がうまれたのかどうか。
もし制度ができてゐるのなら、「頂門の一針」も保存の對象になってゐるとは思ふ。
國土地理院の方式(平成十六年十一月十一日施行)を定めた菱山論文
http://www.gsi.go.jp/REPORT/JIHO/vol108/8.pdf#search='地名のローマ
字表記 國土地理院'
には參考資料として海津氏のサイト「ローマ字相談室」が擧げてあるので、これも保存の對象になるのではないかと思ふ。
獨逸からローマ字の國際規格を見直すべしといふ提案がでて檢討し直すことが決まって第1囘目の國際會議が流れて2年。もし再開となればTC46委員會の國内委員會で我國の方針を決めなければならないことになるであらうが、その場合は擴張ヘボン式も議論の對象になるかどうかを當局に問合せてみたところ、その可能性はほとんどなく、結局ヘボン式と訓令式とのいづれを選ぶのかの問題といふことになるのではないかとの返事であった。
アーネスト・サトウの先驅例なら日本アジア協會紀要第7卷所載。英國の科學雜誌 Nature 1879年8月21日號の雜報欄には
The new part of the [Transactions] of the Asiatic Society ofJapan, contains much interesting matter; the most important paper,however, is one on the the transliteration of the Japanesesyllabary, by Ernest M. Satow, of H. M.'s Legation at Yedo, whohas industriously applied himself to the study of the language forthe past eighteen years, and is one of the greatest authorities onthe subject.
とあるのだから、俎上に載る資格は十分にあると思ふものだ。
以上、前置きが長くなったけれど、掲題の文章を眞道先生のサイトから入力してみた。假名遣や字體、年號のことは好みに從った。入力ミスと思はれるところを訂正した箇所、助詞を補った箇所各一箇所。
[眞道先生のサイトから]
世界中には膨大な數のホームページやブログgが存在する。それらの開設者の中には何らかの理由で、本人の意に反して、閉鎖せざるを得なくなり、續けられなくなる場合が起こり得る。開設した以上多くの閲覽者に讀んで貰ひたい。どうすれば良いのだらうか? 2010/02/18
ホームページやブログを開設している團體や個人は、その開設の目的の如何を問はず、多くの閲覽者に讀んで貰ひたいと思ってゐる。同時にその内容が「有意義か否か」は別として、取り分け個人の場合はその人の「存在を後世迄殘したい」と云ふ意圖を持ってゐるのが普通であらう。良く當世流行りの自費出版で自叙傳を出版する人が在るが、その意圖の現れである。
他人の家を訪問した際、その家族の分厚い寫眞アルバムを見せられることがあるが、特別な事情がある場合は別として、何の係はりもない人々の寫眞なぞ面白くも何ともない。自費出版の自叙傳(自分史)もこれと同じで、わざわざ寄贈されて來ても、謝辭の手紙は出すが、興味がなければ一瞥したきり直ちに書棚の隅に放り込むなら未だしも、中には屑籠にポイと捨てられる運命にある。
友人の一人はパソコンに書いたものをCDに燒いて「讀んで呉れさうな友人に送る心算だ」と云ってゐたが、實行する前に他界して了った。現在に技術ではCDに燒いたものは十年ぐらいで燒き直さないと消えるそうだ。
ホームページなども編集し直してCDにして呉れる處もあるらしいが、結局は册子の自分史と基本的には同じ運命にあるらしい。
首記の問題に關連のあるサイトの檢索をしてゐたら、私の問題と同じことを取り上げて論じた「夢工房」氏の文章に出會った。内容は次の通りである。
<日本のすべての本は國立國會圖書館に納める事になってゐるらしいのですが、ホームページの扱ひはどうなってゐるのでせう。日々更新してゐるホームページを保管するとなると大變ですが、何とかして永久保存をしてもらへないかなと思ってゐるこの頃です。といふのはもし交通事故かなにかで急死した場合、プロバイダーに入金されなくなってホームページが消されてしまふと、もう私のホームページは誰も見る事が出來なくなってしまふからです。
内容はともかくこの世に生きた證として、ホームページの永久保存をしてくれるところを公共又はボランティアの手で作ってもらへないかしら。メモリアルページとして遺族や友人が見る事ができるし、百年後や二百年後には古文書としての價値が出てくると思ふのです。
各市町村からオンラインで死亡者のリストを入手して、プロバイダーが永久保存用の專用機關にその人のホームページを移すといふサービスはできないでせうか。あと30年もするとさういふ要望がぐっと増える氣がします。今のうちから考へてもいいのではないでせうか。江戸時代の平凡な日記が今では貴重な資料となってゐる事を考へると、平凡なホームページも後々文化財としての價値になりうる思ひます。
ホームページの「永久保存を代行するサービス」を行ってゐる處などもあるやうだが、其處が倒産すれば同じく Web の上から消えるだらう。國家が崩壞しない限り、國立國會圖書館などの組織は先づ存續するだらうからこの目的のためには最も相應しいものと思はれる。>
知人の Wilhelm さんはドイツのボン大學出身で同校で學位を取り來日してゐた。彼の專攻分野は「民族の民俗研究」で、資料收集には各國のホームページやブログの永久保存を主張して居た。數囘個人的面談をしたが、「日本の研究者はデジタル情報管理が遲れてゐる」、「ブログ日誌などで一見何でもない内容、例へば『今朝の朝食は漫畫喫茶でワッフルと珈琲で濟ました』と云った記事は一見餘り價値はないと思はれ勝ちだが、「實は民俗學の研究上では多いに役立つ」と主張してゐた。
情報技術の急速な發展によって、サーバーの容量はメガバイト、ギガバイト、テラバイト、ペタバイト、エクサバイト,更にはエクタバイト、ゼタバイト
(1.,000,000,000,000,000,000,000,000,)と天文學的に巨大化するだらう。近い將來には、素人考へだが、サーバーの容量問題は無くなるのでは無いか?
國立國會圖書館では「近代デジタルライブラリー」と稱して「インターネット上の情報を文化資産として保存することを目的とする WARP (インターネット情報選擇的蓄積事業)など、樣々な電子圖書館コンテンツが既に公開されてゐる)。
一國の情報資源の網羅的收集を役割とする國立圖書館として、國立國會圖書館がインターネット上で流通するネットワーク系電子情報をも網羅的に收集して保存することが檢討されてゐる。國立國會圖書館の納本制度の運用について調査と審議を行う諮問機關である納本制度審議會は、平成16年(2004年)に行ったネットワーク系電子出版物の收集に關する答申において、インターネット情報の收集と保存、提供を制度化するよう勸告がなされてゐる。、
過激なポルノや犯罪に該當する記事の除外、版權の問題など多少は面倒なのかも知れないが、超黨派的にこの問題を前進出來ないものだらうか?
切望している人々は私だけではなく大勢存在すると思ふのだが・・・。
[注記]
手續きの説明を受けてゐる途中で質問したので相手が困ったらしいと書いたのは言語學の比嘉正範先生の話が頭にあったからである。メキシコのことだったのか正確には覺えてゐないけれど、ガイドが立板に水の如く英語でペラペラと説明するのを遮って質問を挟むと、また説明を頭から繰り返したといふ。丸暗記の場合はかうなる。