渡邉征一郎(評論家)
地元住民として町内に弥生時代の「安満遺跡」があるということは、漠然と承知していました。
つまり、承知していた「安満遺跡」とは 大阪府高槻市八丁畷町(旧京大農場跡地)にあり、面積は、22.4ヘクタールだとういう程度のものでした。
一度はこの地元遺跡現場をこの目で見てみたいと思っていたのですが、幸いなことに数日前、「安満遺跡」発掘調査説明会が行われことを知りました。
絶好な機会に巡りあったと思い、近所の知人を誘って、「安満遺跡」発掘調査説明会に出掛けたのです。
現場に行ってみたら、「安満遺跡」は、弥生時代初期(2500年前)から後期(約700年間)の遺跡で、数層に重なっており、また住居跡、水田、畑、墓も整っている遺跡がここだけと知りました。まず驚かされました。
弥生時代の稲作は、推定揚子江流域から北九州(板付遺跡)、山口を経由し高槻まで、ほとんど間を置かずに直接伝わったそうです。説明会で初めて知りました。
やはり遺跡の範囲は、22.4ヘクタール(旧京大農場跡地)と、確かめることが出来、安心しました。
しかしこれには訳があり、昭和2年京大農場の開設時に、「安満遺跡」を発見し、その時「調査範囲が上記遺跡範囲」と限られていたというのです。
ところが、高槻東部を流れる桧尾川の扇状地に沿って、水田が開墾されていることから、八丁畷町にとどまらず、高槻市の多くの場所にも、更なる「遺跡」の広がりがあるということでした。(調査に携わった学芸委員もその可能性は否定できない、と言っていました。)
説明会は、6月27日、6月28日の2日間、行われましたが、延べ3000人以上の人が参加され、府外からの参加者もあり、大盛況でした。
筆者は心が弾んで初日の説明会出向きましたが、遺跡現場をみながら説明を聴くと、弥生時代初期(2500年前)から後期(約700年間)に、数層に重なり、また住居跡、水田、畑、墓も整っている遺跡がここだけと知り得た上に、弥生時代の住民たちの生き様が脳裏を走りだし、胸に「夢」が広がりました。
遺跡の説明会に参加することは、「古代日本」の素晴らしさを感じることであり、皆さんに是非、「遺跡現場訪問」をお勧めします。
ところで、現地は平成31年に完成予定の{(仮称)安満(あま)遺跡公園}として整備され、一般に公開される予定です。どうぞお越し下さい。(終)