宮崎 正弘
<平成27年(2015)8月10日(月曜日)通算第4620号>
■編集前記
(編集前記)というわけで、今度は旧ユーゴスラビア7ヶ国のうち、スロベニアを除く6カ国(セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア&ヘルツェゴビナ、コソボ)とアルバニアの合計7ヶ国を超特急で回り、9日晩帰国しました。
いずれの独立戦争、内乱、内戦を経て、依然として仲の悪い隣国関係を展開しているとはいえ町の復興はみごとなもので、空爆のあとは殆ど残っていません。近代的なビルが建ち並び、消費も旺盛でした。
小生の関心はいずれ中華帝国が崩壊し、分裂していくと仮定されるプロセスで、たとえば独立志向の強いチベット、ウィグルなどはバルト3国のように直ちに独立するでしょうが、民族が入り乱れるカフカスのような国々の独立はモスクワの顔色を見ていたように、中国東北地方は、そのパターンでしょう。
であるとすれば、あくまで仮定の話ですが、旧ユーロスラビアの七分裂は、中国の場合、どこの地域がどのように当てはめるべきか、比較したいというのが、これらの国々をまわった動機でした。詳しくはいずれ稿を改めます。