2015年08月13日

◆平時と危機における法的安定性

大江 洋三


8月15日近くになると、各局競って平時法制(現在)で戦時法制(戦中)を裁くから困ったものだ。

これもまた「戦後」というべきであろう。

いつぞや述べた通り、自然権としての自衛権は法に書いてなくてもある。それに、国会で批准された「2国間条約>国内法」である。逆が成立したら大事である。

どうして、かくも平和安全保障法案をメディアが疑問視するか問えば憲法9条に内在する。

どう読んでも武力行使禁止条項で、読解力とすれば個別であれ集団的であれ自衛権の否定である。真っすぐ読めば、自衛隊の存在すら違憲である。集団的自衛権行使は立憲主義の立場から憲法違反だとする学者も「だから憲法を改正せよ」という者もいる。

村山富一が安全保障整備法案反対デモに参加し、国会議事堂前で叫んだ「せめて憲法改正してからにしてくれ!」

筋とすればよく通っている。

●だから従って、真の問題は「憲法改正するまでどうするか」である。現実は都合よく待ってくれないからだ。

この現実を扱うのが内閣府(行政府)である。立法府でもなければ裁判府でもない。

立法に基づき、不遡及の原則で過去の出来事に適否の判断を下すのが裁判府であり、未来を構築するのが立法府(国会)である。過去と未来の狭間(現実)を処理するのが内閣府(行政府)で、いわば過去と未来への箸渡し役である。

こうして、現実認識の当事者もまた内閣府にある。

どの位置が最も困難な立場にあるかは論を待たないであろう。

その内閣が東シナ海に危機感を抱いている。また半島有事は常に起こりうる。皆、黙っているが半島は東アジアの火薬庫であったし、潜在的には今もそうである。

従って、現内閣は平時に予め有事法制をしておきたいと提示しているのだ。

それが下記の「武力行使の新三要件」である。

 1.我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること

 2.これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと

 3.必要最小限度の実力行使にとどまるべきことよく読めば、自衛権を踏まえ現行憲法内で必死に現実に対応しようとしている姿が解る。いずれにしても平時における危機対応である事に違いはない。

回りくどいが、内閣は「イザとなれば必要最小限度ながら戦う」と述べているわけだ。主権国家だから当たり前ではないか。

そして、すべからかく国会で批准された日米安保の上に構築されている。

●平時法制のまま有事に対応したことが過去2回ある。

1977年の赤軍派によるダッカ日航機ハイジャック事件では、人命尊重という大義で赤軍派の無茶な要求を全面的に飲んだ。

昨年、スーダンでPKO仲間の韓国軍に小銃弾1万発を緊急提供した。他にもあるだろうが、いずれも超法規で、対外的には篠崎補佐官のいう通り緊急時には「法の安定性は関係ない」ことになる。法よりも使命が先にあるからだ。

つまり「使命>法」の現実認識も内閣が保有する。

スーダンのときは武器供与にも拘わらず野党は騒がなかった。大規模な小笠原領域侵犯においても東シナ海におけるシナ政府の活発な行動にも野党は大人しかった。

国会論戦を聞いていると、日本の安全が抜けて、とうとう「米軍の道連れになる」「自衛隊員のリスクが高まる」論にまで発展した。

60年安保闘争同様に「反米」が先にあり、シナ政府を庇うこと大である。10日に当メルマガで平井修一氏が紹介したごとく、米国議会の一部が「セイがない」と思うのは無理もない。

国内において「法の安定性」は必要であるが、対外関係になるとまるで異なる。特に、隣の大陸系は2国間条約を守ったことはない。欧米は「契約」の概念が通じるが、彼らには通じない。

その米国ですら、紆余曲折あって成長した1894年の日米修好通商条約を11039年に一方的に破棄した。つまり戦時法制に移動したことになる。

篠崎補佐官発言の全文を読んだわけではないが、メディアがいつもの通り、一部を抜き取り拡大しただけではなかろうか。

●戦時といえば、先の大戦を思い起こす人も多いだろうから釘をさしておくと、武器をもって両者ともに「国家総力戦」で勝負する事はもう起きない。

人類もバカではないから、国連がブレーキ役を果たす事になったからだ。世界史に影響を与えたこの種の総力戦は20世紀初頭の40年間に集中した。講和条約をもって勝者と敗者の決まる種類の戦争と言い換えてもいい。

並べると以下の通りである。

 ・ゼロ次世界大戦(日露戦争)・一次世界大戦・二次世界大戦朝鮮戦争やベトナム戦争があると言う人もいるだろうが、当時の半島やベトナムに主権国家はなく、統一国家を産むべく内戦が火種である。

最終的にベトナムは目的を果たしたが、半島は分断国家で固定した。いずれも、米国は割が合わないと思うとサッサと引き上げてしまった。正確には中・ソとの総力戦を避けたと思う。

その後において、双方ともに国家総力戦を探すと、1980〜1988年の地域限定版のイラン・イラク戦争ぐらいだ。これも国連が仲介してとりあえず休戦した。

その代わり、地域紛争はいたるところに起きたし、今もある。

それが現実であり、なにもかも「戦争」で一括りにする事に賛成できない。


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