2015年08月13日

◆祈りを運ぶ“風の馬”

湯浅 博



冬山登攀(とうはん)に熱中していた頃、ヒマラヤの山腹にあるチベットは憧れの地であった。高嶺(たかね)に吹き付ける強風が、祈りを込めた色とりどりの紙や布を激しく揺さぶる光景を見たいと考えていた。

そこに描かれた絵こそ、天を翔(か)ける風の馬「ルンタ」である。チベット人は、風の馬が人々の祈りを神々のもとに届けてくれると信じている。池谷薫監督の記録映画「ルンタ」の上映を知ったとき、そうしたチベット人の何人かの顔が思い出された。

そのうちの一人、当時、25歳のトガ青年とは、インド北西部のダラムサラのノブリンガ研究所で会った。彼は1998年11月、チベットからヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命し、チベット工芸を伝承するこのノブリンガで学んでいた。

トガ青年と兄を含む一行15人は、厳冬期にチベットからの脱出行を試みた。だが、夜間にネパール国境を越えるころ、大雪で行く手を阻まれる。中国警備隊の目をかすめるには、危険でも夜間の登山を敢行するしかなかった。

吹雪と胸までの積雪の中を、4日間もさまよった。仲間5人が行方不明になり、7人が凍傷にかかり、トガ青年も足がどす黒く壊死(えし)して動けなくなった。たまたまヒマラヤにトレッキングに来ていたドイツ人夫妻に救助された。

トガ青年が勉強するノブリンガが、映画の中でダラムサラを案内する中原一博さん(62)の設計であったことを初めて知った。

中原さんは早稲田大学建築学科を卒業すると、インド北部を旅行中にチベット仏教建築に魅せられた。1985年に亡命政府の専属建築家になると、家族とともにダラムサラに移住した。亡命政府の庁舎や僧院、学校などを手がけ、代表作がこのノブリンガ研究所であるから驚きだった。

1949年に建国した中華人民共和国は「帝国主義からの解放」を掲げて東チベットに侵攻した。中心都市ラサに進軍すると、59年にラサ市民が一斉に蜂起した。だが、圧倒的な軍事力に制圧される。ダライ・ラマは新たな帝国主義を避けてインドに亡命した。このとき、10万人のチベット人がインドに逃れたといわれる。

山岳民族のチベット人は元来が、山裾の高原で馬をあやつり、ヤクの放牧でも自由に草原を移動した。それが、中国政府は彼ら放牧民を管理するために草原をフェンスで仕切り、定住を促進して移動の自由が制限された。
 
2008年にチベット全土で抗議活動が始まると、中原さんはサイトを立ち上げ、チベット人の非暴力の実像を発信しはじめた。とくに、翌年に焼身抗議が始まってからは、ブログで彼らの情報を発信してきた。

彼は19歳で焼身した中学生のツェリン・キに心を揺さぶられた。さらに、17歳で焼身した尼僧サンゲ・ドルマが残した詩から、彼女の心情を想像する。いまも自らに火を放って抵抗を示す人々が後を絶たない。すでに141人(2015年3月3日現在)もの命が失われている。

映画の終わりに、放牧民の若者が競馬大会でその腕を競う場面が登場する。だが、その陰で警察が重武装で監視している姿が映し出されていた。批判するものは、身柄拘束されて拷問を受ける。

中国の暴政を逃れていまも、危険なヒマラヤ越えを敢行する人が絶えない。亡命チベット人たちにその理由を聞くと、自由と教育の機会を求め、なによりもチベットの精神的指導者ダライ・ラマ14世に会いたい一心、という答えが返ってくる。

映画「ルンタ」は、チベット人の非暴力の闘いと、その気高さを淡々と追っていく。それは、強風にあおられて疾駆する「風の馬」の姿に似ていた。(ゆあさ ひろし)
産経ニュース【東京特派員】2015.8.11
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