2015年08月13日

◆呆言爺の戦後70年談話

池田 元彦



今年も朝から猛暑だ。6日広島にウラン、9日長崎にプルトニウムと、敢えて2種の原爆を米国は爆破効果検証の為に落とした。日本の降伏を促し、日米軍人の更なる死傷者を防ぐ為止むを得なかったと、トルーマンは言訳した。日本の和平模索は当然知悉していた。1発で十分だった。

日本の和平は3月頃から模索され、6月頃から交渉が始まった。日本陸海軍や外務省暗号は、既に解読済のトルーマンは日本の降伏は時間の問題だと知っていた。が、畜生日本に原爆投下した。Hiroshimaは原爆被災地として世界に周知された。が、長崎は不思議と外人は話題にしない。

「Hiroshima atomic bomb」と英語でネット検索をすると1200万件ヒットするが、同じ検索でもNagasakiは36万件しかヒットしない。明らかに米国の隠蔽工作の結果だ。当時長崎には1万2千のカトリック信者がいたが、内70%以上の8500人を一瞬にして虐殺した後ろめたさがあるのだ。

当時東洋一の浦上天主堂も破壊されたが、高さ11mの南側壁やマリア像は辛うじて残り、原爆資料館に展示されるだけで、広島原爆ドームと同様の現場での保存を何故しなかったのか。議会の保存意向に拘らず、米国から帰国した田川務市長が突然再建を言い募り、廃墟は取り壊された。

米国は教会の原爆残骸を世界に晒したくなかった。再建資金提供もした。縁も所縁もないセントポール市を、長崎市の姉妹都市にした。

日本初の姉妹都市だ。現在長崎市と姉妹提携は10都市あるが、提携から37年間セントポール市からのモニュメント贈呈はなかった。1992年漸く実現した。

広島の原爆被災者慰霊碑の「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」とは、誰が主語か。誰が広島で謝っているのか。長年の論争の終結を期し広島市は「碑文の趣旨を正確に伝える為」1982年英語で、その後6か国語での翻訳説明板を掲示した。英語で主語が初めて判った。

「We shall not repeat the evil」。主語は紛れもなく日本人だ。あの悪事(the Evil)、原爆を落とした米国が謝るべきなのだ。倒錯した被虐史観に染まり、毎年核兵器廃絶を唱え世界平和が来ると本気で思うなら、歴代広島市長や長崎市長は、一度病院で精密検査を受けた方が良い。

ドイツ降伏3か月以内の対日宣戦を要請され、交換条件として千島、南樺太及び満州の全権益をソ連は要求し、5月8日ドイツが降伏するや期限ギリギリの8月9日満州侵攻、日ソ中立条約が1946年4月迄有効なのに一方的破棄をし、日本を裏切ったソ連の許せない国際条約違反だ。

日本は、唯一の中立条約締結国と信頼し、和平仲介をソ連に依頼する間抜けさだ。ノラリクラリのソ連に必死に交渉したが、実は全兵力を満州・極東方面に移動させ戦闘準備万端だったのだ。満州居住の日本人は、無抵抗のまま集団で銃殺、凌辱、強奪のあらゆる苦渋を味わった。

ポツダム宣言は、有条件降伏勧告だ。13項の条件中第5項は「我等の条件を以下に述べる」と当に条件を宣言し、以降の8項目は、第13項の日本軍の無条件降伏他8条項に亘る条件の列挙だ。明らかに有条件降伏なのに、トルーマンは意図的に無条件降伏と、戦後も言い募った。

当初の草案にあったソ連の署名と天皇の地位保全の2項目はトルーマンが削除した。ソ連の対米協力を隠し、天皇地位安泰を明記しないことで、日本側の降伏を遅らせる策略だ。ヤルタ会談はFDRの個人的密約だとして、アイゼンハワーは米国の公式条約でないと断言し、ブッシュは斯様なFDRの独断専行を強く非難した。「平和を愛する諸国民の公正と信義」等、お花畑の霞か雲だ。

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