2015年08月25日

◆「侵略」の一語でくくる危うさ

櫻井よしこ



ポツダム宣言受諾から70年、さまざまな歴史論争が展開されている。安倍晋三首相の70年談話も発表された。
 
そこで大東亜戦争の本質を考えてみよう。同戦争は大別して3つに分けられる。(1)日中戦争、(2)日米戦争、(3)ソ連参戦である。
 
3つの骨格を見るだけで「侵略」の1語で大東亜戦争をくくることが果たして適切なのかが、分かるだろう。
 
昭和21(1946)年4月まで有効だった日ソ中立条約を、ソ連は一方的に棄して満洲に攻め入った。その対日戦がいかに卑怯であったかについてはもはや多言を要しない。それでも8月9日付「産経新聞」1面トップの記事を、日本人は読むべきだ。

編集委員の岡部伸氏がスクープした英国立公文書館所蔵の極秘文書である。
 
それによると、ソ連のモロトフ外相はモスクワ時間の昭和20(45)年8月8日午後5時(日本時間同日午後11時)、佐藤尚武駐ソ連大使に宣戦布告文を読み上げ手渡した。

佐藤大使は直ちに本国に打電したが、この公電はソ連当局が電報局を封鎖したため、日本政府には届かなかった。
 
1時間後の、日本時間9日午前0時に157万人のソ連兵が3方向から満洲へ怒濤のごとく攻め入った。日本政府がソ連の宣戦布告を知ったのは9日午前4時、ソ連軍 侵攻開始から4時間後であり、情報はタス通信のモスクワ放送や米国のサンフランシ スコ放送などから得たものだった。

日本政府への正式な宣戦布告は、マリク駐日大使 が東郷茂徳外相に告げた10日午前11時15分、侵攻開始から実に35時間以上も後だった。
 
日本は真珠湾攻撃前に宣戦布告ができずに、「スニーキーアタック」と非難され、たちはその1件を恥じてきた。が、ソ連の卑怯な行動は戦勝国であるため に不問にされる。
 
次に日米戦争。日米戦争の本質は、マッカーサー氏が米国議会で述べた言葉に尽きる。彼は敵国であった日本を憎み、世に「マッカーサー3原則」と呼ばれ る考え方を示して日本国憲法の草案を書かせた。3原則の1つが、たとえ外敵に侵略さ れても日本は戦ってはならない、自衛のためでも戦ってはならないとする過酷なもの だった。
 
憲法草案を取りまとめたケーディス民政局長は、日本の生存権を否定する同条項は、さすがに行き過ぎだとして削除したが、そこまで日本を憎んでいたマッ カーサー氏が、日本の対米戦争は自衛のための戦争だったと議会で証言したことを受 け止めたいと思う。
 
最後に日中戦争。日中戦争は昭和6(31)年9月18日の柳条湖事件に始まる満州事変から昭和20(45)年の敗戦までを指すという考え方がある。その考え方に 沿って、満洲事変が「侵略戦争」の始まりだと主張する人々にぜひ読んでほしい本がある。
 
1冊は国際連盟が派遣したリットン調査団の報告書を渡部昇一氏が解説した『全文リットン報告書』である。もう1冊は、満州事変当時、在北京米国公使 だったジョン・マクマリー氏の報告書である。『平和はいかに失われたか』の邦題で 単行本になっている。
 
少なくとも右の2冊を読めば、日中戦争さえも「侵略」の1語で定義することがいかに危ういか、気付いてもらえるだろう。
 
歴史観ほど、国によって異なるものはない。個人も同様だ。国家間であれ、個人間であれ、歴史観の統一はなかなか難しい。私たちにできるこは、可能な限 り幅広く、当時の人々が見て、聞いて、考えてたどり着いた結論を学び、それらに基 づいて考えることだ。そうすることが当時の状況のより深い理解につながると私は信 じている。

『週刊ダイヤモンド』 2015年8月22日号 新世紀の風をおこす 
オピニオン縦横無尽 1096 
                 (採録:松本市 久保田 康文)

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