2015年09月02日

◆スタンドプレーの愚

加地 伸行



朝日新聞社主催の高校野球の試合をテレビで観(み)ていて、ふっと思った。ああ、今の日本人の様(ざま)をよく現していると。

それは、こうである。外野手の場合、フライであろうとゴロであろうと、抜かれた場合は別として、その他は、必ず自分の身体の正面で止めるのが原則。

ところが、みな片手捕り。それも来たボールに対してわざわざ身体を横にらしての上だ。これは、プロ野球のまねをしての、エエかっこしいである。

老生が野球少年だったころ、外野手は必ずボールを身体の正面で止めるのが鉄則。もし止め損じたならば、ボールは無人の野を転々とするからである。

そうした基本を選手は守らず監督も解説者も何も言わない。

基本を守る−これはスポーツのみならず、人間として当然のことである。ところが、最近の日本人は基本を守らず、いや忘れて片手捕りのスタンドプレー。そして捕り損なってボールははるか彼方(かなた)に転々。右往左往。それを何度もくり返している。特に国家問題においてだ。わが国の最大国家問題は外交と国防である。この2点において、ともに基本を忘れている。

まず外交問題。戦争があって、それが終結後、当事者間で講和条約(あるいはそれに類したもの、準じたもの。例えば日中平和友好条約。戦争はなかったが独立承認の日韓基本条約)を結んだ後は〈双方にそれぞれ不満があっても、それには一切触れない〉で未来への新しい関係を作ってゆく。それが講和条約の意義であり、基本である。

謝罪等々は、道徳的問題であり、法的問題ではない。法的立場に立つ政府は、謝罪等々の道徳的立場を国民から委ねられていない以上、謝罪等々をなすべきでない。

もし謝罪等々をすれば、国民の預託を超えた越権行為であり、過誤である。そういう片手捕りスタンドプレーをする限り、球は転々。

次に国防問題。近代以前、国家は王侯貴族国家であった。近代国家は国民国家である。すなわち、国家は国民のものであり、国民が国家を運営する。その運営方式はさまざまあるが、わが国は議会制民主主義の方針を採っている。

こうした国民国家である以上、自国は国民自らが守らなければならない。それが嫌ならば、亡国か外国の植民地になるほかはない。

つまり、国民国家である以上、徴兵制が基本である。自分たちの国家を守るためであり、徴兵と言っても、王侯貴族国家時代の〈税としての徴兵〉とは決定的に異なるのである。

もちろん、基本は徴兵制としても、志願兵制や一部は外国人傭兵(ようへい)制もありうる。

ところが、近ごろの議論の大半は徴兵制を悪とする論調である。それは国民国家とは何かということがまったく分かっていない感情論である。こうした片手捕りスタンドプレーが国家を誤らせる。

『礼記(らいき)』大学篇(へん)に曰(いわ)く、「心 ここ(対象)に在(あ)らざれば、[物事を]視(み)れども見えず、聴(き)きても聞こえず、食(く)らえどもその味を知らず」と。 

(かぢ のぶゆき・ 立命館大フェロー)

産経ニュース【古典個展】2015.8.30
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