2015年09月10日

◆何清漣氏「抗日戦争の真実」

平井 修一



何清漣女史の論考「本当に抗日戦争紀念というなら歴史を真実に還すのが最上です」9/2は、人民がどういう歴史教育を受けているか、から論考を始めている。以下、驚くほどの歴史の改竄だ。

<8年にわたる抗日戦争は、中共のデタラメな嘘っぱちの山に埋もれてすっかり真相とは異なっている。

私が小学校のとき、5年生の教科書に毛沢東の「抗日戦争の勝利後の時局と我々の方針」という一文が掲載され、重点は抗日戦争の「果実」は誰に属するか、というものでした。

教師は生徒に全文を暗記させ、

「我らの解放区の人民と軍隊は8年来、いささかの外部の援助もない状況のもとで、完全に自らの努力だけにたより広大な国土を解放し、大部分の日本の侵略軍とすべての傀儡軍を打ち破った」

「蒋介石は峨嵋山の上に隠れて傍観しているばかりで(内戦)勝利へ実力を温存し内戦に備えていた。果たして勝利がやってきたときようやく山を降りて抗日戦争の果実を奪い取ろうとした」

「抗日戦争の果実は誰のものか? 明白である。例えば桃の木に桃がなったとする。これが勝利の果実だ。果実は誰のものか? それは果実を植えた人は誰か? 誰が水をやったかを問わなければならない。蒋介石は山の上に居座り一回も水をやっていないのに、手を伸ばして桃を獲ろうとするのである」

とありました。「桃を獲る」という言葉は1949年後の中国語では他人の果実をこっそり盗む、という意味になりましたが、その始まりはこの毛が書いた“勇ましい”文章でした。

何年も後になってやっと知ったのですが、実は8年間の抗日戦争の「水を運んだ人」は蒋介石であって、「桃を盗んだ人」が毛沢東でした。

しかし、私と同時代の中国人は多くが小中学校を卒業してからいくらも本など読みませんから、この毛沢東の文章と、かの「♪中国共産党がなければ新中国はなかった」という歌とともに、「中共が抗日戦争の大黒柱だった」という嘘っぱちをそのまま真に受けて信じていますし、抗日戦争の主要な戦場で95%以上の主力がすべて中国国民軍(共産党以外の軍)の軍隊だったということなどまったく知らないのです。

かの有名な淞沪会戦、太原会戦、徐州会戦、武漢会戦、長沙会戦だけでも何十万の中国国民軍の将士が戦死しました。彼らは当然、8年間の抗日戦争のなかで国民軍の死亡した将官は200人以上おり、なかには8人の大将、45人の中将がおり、(名だたる)人々が国のために殉じたのでしたが、もちろん(その歴史を)知りません。

そして自称抗日戦争の主役と主張する共産党軍はわずか2人の少将しか戦死していません。(中華民国の)黄埔軍学校は23期あって、そのうち1945年以前卒業したのは19期で合計3万7000人です。この卒業生の抗日戦争で犠牲となったのは2万人以上、6割から7割が戦死しています。

20世紀の80年代から、中共の築き上げた歴史に関する嘘っぱちはすこしづつうち砕かれました。世界がインターネット時代にはいって、真実の抗日戦争史がちょっとづつ民間に知れ渡ってきたのです。

しかし、本当の姿とはまだまだとても長い距離があります。例えば、最近の映画「カイロ宣言」の製作者は、なんと出席していなかった毛沢東の巨大な映像をポスターにつかっており、これをみても中共の歴史改ざんの悪習はなかなかなおらないことがわかります。

ですから、抗日戦争を紀念する一番良い方法は、歴史の本当の姿にもどって、もっとも大事な一環である、つまり教科書から正しいまともなものにしていくことです>(以上)

習近平は文革の混乱で中学もまともに出ていないから、毛沢東の嘘っぱち史観にどっぷり染まった中2坊主。多くの人民も似たようなものだろう。

無知蒙昧、暗愚の群。

以上も大いに勉強になったが、これに続く論考にはとても感動した。内容は大きく以下の3点だ。

1)「中共が抗日戦争の大黒柱だった」というのは嘘である。抗日戦争の主要な戦場で95%以上の主力は中国国民軍(共産党以外の軍)だった。

2)抗日戦で戦死した326万国民革命軍将士たちは、この土地を守るために命を犠牲にしたにもかかわらず、彼らが属していた軍隊が当時の国民党政府だったというだけで死後の安息の地まで破壊された。

中共政府がイデオロギーの桎梏から脱して、中国本土に抗日戦争の戦死した将士の紀念堂をつくってすべての戦死したひとびとの魂を名前とともに壁に刻んで、御霊の帰する場所とするとともに、中国人にこの歴史をしらしめてほしい。

3)百戦を戦い生き延びた将士に比べて、抗日戦争で戦死した将士の運命はひょっとするとまだましなのかもしれない。なぜならば生き延びたひとびとは国共内戦の3年間後、そのまま1949年の中共統治下の中国にはいって、階級闘争と政治運動の苦海のなかで苦しみ抜いたからだ。

かつて国民党の軍隊にいた、ということだけで彼らの一生は悲惨の極みとなった。「国民党の残党」として「地主、金持ち、反動、腐敗」の四分子と同等とされ、つねに辱めを受け侮られる政治的賎民とされ弾圧された。

一生耐え難い差別を受け、大多数はその差別と貧困と病のうちに死亡した。少数の命を長らえた人がここ数年やっと「五保戸」(生活保護所帯)にいれてもらってごくわずかの保障をえられるようになった。これらの老兵たちの唯一の願いは自分たちも抗日戦争参加者の紀念徽章がほしい、というものだ――

そして女史はこう結んでいる。

<日本の軍人と、台湾に連れて行かれた国民軍の兵士の運命は、中国にどとまった国民軍の将士よりはるかによいものでした。まず彼らは「反動軍人」という屈辱を味わうことはありませんでした。

そして、経済的待遇も悪くありません。日本の軍人は毎月、日本の天皇の「恩給」(約十数万円)が与えられ、さらに「定年退職費用」(平井:年金?)もあり、生活に心配はありません。

台湾の国民軍の老兵も「生涯年金」の対象となり一時払い、毎月払いが選べ、最少でも毎月6万台湾ドル(1台湾ドル=約3円)になります。

もっともよき抗日戦争紀念方式は、歴史の真相に還ることです。中国国民軍の抗日戦争将士は大陸では凄惨で不公平な目にあわされました。これは中国現代史における暗黒の一ページです。いま、中国にはまだ2000人の抗日戦争参加の老兵が生きています。

中共政府はすみやかに抗日戦争の真相をあきらかにし、栄誉と尊厳を、血を流して奮戦した抗日戦争の将士たちに還すべきです。それは生きている人たち、死んであの世にいる人たちを慰めるというだけではなく、さらに執政者の知恵と良識と政治的度量をみせる機会なのです>

何清漣女史は中共の更生を願っている。「いつかは反省して、まともになるのではないか」と期待をつないでいる。「中共は根っからのゴロツキ、叩き潰すしかない」と言う小生からすれば、ずいぶんナイーブだなあと思うのだが、それは「まだ小さな希望がある、そう思わなければあまりにも中国国民は悲惨、惨め、救いようがない」からなのだと言う。

靖国神社を(同行者に知られないようにこっそりと)3回訪れている女史は、国のために命を捧げた将兵を(指導者だろうが一兵卒だろうが)階級にかかわらず慰霊する心に共感したようだ。女史の全文は以下に。とても勉強になる。
http://heqinglian.net/2015/09/05/wwii-truth/

(2015/9/9)
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