2015年09月11日

◆“鬱”なる時代(その2)

真鍋 峰松



昔 朝日新聞朝刊が「日本のいまとこれから」をテーマにした全国世論調査の結果の記事が載せていたことを思い出す。
 
その中で、「いまの日本は自信を失っていると思いますか、そうは思いませんか」との設問に、自信を失っているが74%、そうは思わないが22%と言う結果だったのだ。

この自信喪失の原因では、政治の停滞、国財政の悪化、経済の行き詰まりを挙げた人が多かった。 また、「これからの日本にどの程度不安を感じてますか」という設問に、大いに不安を感じているが50%、ある程度不安に感じているが45%、あまり不安を感じていないが4%であったことを、あらためて思い出す。
 
ここから見ると、現在の日本人の多数が日本という国に関して、現在のみならず、未来においても不安が一杯という結果が読み取れる。
 
だが反面、日本の自信回復への底力の有無については、有るが56%、無いが28%であり、また、日本という国についての見方として、日本への誇りの有無についての設問では、持っているが75%、持っていないが19%という結果だった。
 
この日本に関する全く違った、一見矛盾とも思える調査結果をどう受け止めたら良いのか。

私には、過ぎ去った繁栄への想いを残しつつ、現在及び未来に対する自信を喪失し不安に脅かされているものの、将来への希望を捨ててはいない現代日本人の迷いと期待の心象をそのままに表しているのではなかろうか、と思えるのだが。
 
また、その他の二者択一の設問のうち、概ね70%以上の回答率を占めたもの、つまり、現在の日本人の多数が抱く共通の感覚だけを拾い出すと、

・「日本人は精神的に豊かな生活を送れていると思わない」73%、
・「勤勉さが報われない社会と思う」69%、
・「目指すべき国の形として、豊かさはそれほどでもないが格差の小さい国」73%、
・「経済の主役がもの作りから金融やITなどの業種に移ることは好ま しくない」77%、
・「土木・建設業などから福祉産業や農業への転換に期待する」  78%、
・「いまの日本は国際的議論をリードする力を持つ国と思わない」 85%となっていた。
 
この調査結果を読んで、すぐに思い出したのは、以前、木村尚三郎氏(東大教授 西洋史)の著述「男時・女時の文明論」だった。

その中に、<男時、女時とは、世阿弥(室町初期)の風姿花伝にある、舞台の上には、ついている時(男時)とついてない時(女時)があり、舞台の上での芸がスッ、スッと巧くいき、観客の評判もいい時が、男時である。 

反対に一生懸命しているのに巧くいかず客の評判もよくない時が、女時である。 ・・・未来に対する情熱、未来をしっかり見つめ、自分の手に勝ち取ろうとする闘争心、総じて男性的な時間の観念は後退した。
 
代って、どうやっても自分ひとりでは事態は急に好転しそうにもないとの予感から、明日の栄光を考えるよりは今日の幸せと充実に意を用い、現在を調和的・平和的、協調的に生きようとする、女性的な空間感覚が前面に押し出されつつある。
 
その意味で現代は、確かに世阿弥のいう「女時」であるに違いない>との記述がある。
 
同氏は文章の最後に、<しかし、時代がどう動き、急転するにせよ、世の常識を保ち続けつつ、変化に即応しうる柔軟な心、どこにでも住める心と身体、そして自らの力によって時の流れを捉えうる鋭い五感が、これからの時代と社会に不可欠であることは同じである。そして、このことこそ、今日の女時が教える、最大の教訓であるのに違いない>

と結論付けておられる。
 
この記述は30年以上も前のものだが、現在こそが同氏の言われる女時に当たるのではあるまいか、と改めて思う。
                                                       現代の日本人が抱えるのは、将来に対する不安感である。それが現実に直面する恐怖なら対象も明確で対策の打ち様もあるだろうが、不安となると、その対象は不明確であり漠然としている。
 
また不安も人間の物欲と同じように際限が無い。それだけに、こと現代の日本人に限らず、人間という弱点だらけの存在にとって、その根差した不安は、未来永劫に完全な払拭というのも困難極まりないことである。
                         
論語の顔淵第十ニ、孔子が言った、門人である子貢からの政冶に関し、兵・食・信のいずれが最も大事かの問への最後の答えが、「信、無くば立たず」である。
 
つまり、民が政治を信じなければ、政治は成り立たないというのである。この人間社会、政治に限らず、経済・個人への不信が極限までいけば、社会そのものが崩壊してしまう。 社会そのものが信無くば立たず、なのである。
      
では一体、「信」とは何なのか。それは同じ規範を持っているという信頼感であり、これを培ってきたのが伝統であり、文化なのであろう。
それが崩壊した組織・団体については、現代では少しも珍しくないから、その恐ろしさはすでに多くの人が語っている。
             
果たして、今の政治の力でどの程度、「信」の回復が可能なのだろうか。それでは、一部政党が出張するが如く、民に全てを「知らしむ」ことで「信」を獲得できるのか。
 
私には、到底「できない」としか思えない。 こう考えれば、これからの地方統一選挙、ついで参議院議員選挙に問われる課題は、途方もなく重い。

“憂欝”になる由縁である。(つづく)

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