◆鬱なる時代(3)
真鍋 峰松
今の勤務場所は大阪梅田の界隈、御堂筋沿いのオフィス街と北新地の近く。
昼も夜も、四六時中、大阪で最も人の賑わう場所の一つ。この界隈で勤め出して5年近くになるが、この間の街の様相は相当な変貌振りである。 勤務場所がビルの高層階なので、窓越しに見える風景の視野は広く、良く見える。
その変化の第一は、この界隈での巨大ビルの増加。目に映るだけでも大阪駅ビルの大改造・増築、阪急百貨店の全面建替えと事務所部分の増築、富国生命ビルの全面建替え等々、この5年間に数えるだけで7〜8棟。その多くが事務所ビル。
だが、遠目で観る限り、既に完成されたビルでも使用されているフロアーはあまり多くなく、むしろ見た限りでは空室の方が目立つ。
7月1日のサンケイ夕刊に「大阪目立つ無人ビル〜ミニバブルで供給過剰」の見出しの下、新築オフィスビルの空室率は5割を超え、一等地に建ちながら借り手がまったくない状態のビルも、との記事。その現実が目の前にある。
そして、大阪ビルディング協会の事務局長談として「在阪企業は自社ビルにこだわるところが多く、オフィスを借りるのは大阪に支店を持つ企業が多い。東京一極集中で支店機能が小さくなり、大阪で必要なオフィス面積も小さくなっている。ミニバブルによる供給過剰だけが問題ではない」と嘆いているとのこと。
変化の第二は、この数年間で、大阪駅前地下街地下1,2階の店舗地区の空室が急速に増加してきたこと。それも、長期間も空きのままの箇所が多い。偶に入所する箇所の多くはパチンコ・ゲームセンター、それにチケット売り場。 通常の物品販売店や飲食店の新規入居は極めて稀だ。
この二つの変化は相互に関連している。つまり、サラリーマンなどの利用サイドの減少と、これを反映した事務所・店舗などの提供サイドの減少だ。昨年5月のサンケイのコラムでも、大阪の企業とサラリーマンの減少について触れられ、とりわけ堺筋、松屋町筋沿いの企業のオフィス数の減少が目立つとの記述もあった。
最も象徴的なのが、昨年2月の朝日朝刊に載っていた「さらば 大阪の名門 〜商船三井、本店を東京へ」との見出しの下、前身の大阪商船が1925(大正14)年にこの地(大阪中之島 ダイビル)に本店を構えて以来の84年の歴史に幕を下ろし、登記簿上の本店所在地を東京虎ノ門の東京本社に移すことを発表した、との報道。
東京への企業の移転傾向は、全国的にもかっての高度経済成長期を通じ首都圏への集中という形で加速的に増加したのだが、ここ大阪でも、今では名実ともに大阪企業と呼ばれる大企業は数えるほども残っていない。 大阪の沈滞の主要原因はまさにこの一点にあることを、誰しも知らぬことでもあるまい。
実際、東京・大阪間を頻繁に行き来する多くの友人・知人も、最近の大阪の状態に触れて、「東京は人の集まる繁華街がどんどん増え、どの場所も物凄い賑わい振りだが、反対に大阪へ戻って来ると、見るたびに元気が無くなっているな〜と感じる」と言う。
この大阪の衰退に歯止めをかけようと、橋下知事が最近声高に言い出したのが、起爆剤としての府庁の移転と大阪都制への改革。
その府庁WTCへの移転問題。
立地場所の風格欠如や交通不便等もさることながら、一番の問題は危機管理体制。WTC自体の埋立地ゆえの軟弱地盤や塩害対策も問題だが、イザと言う時の警察本部やNHK放送局との連携はどうするのか。最初はやや否定的であった関西経済三団体も、一転、移転支持を表明した。察するに橋下知事への応援に回ったのだろう。
その理由が、湾沿岸部の活性化による大阪の起爆剤への期待ということなら、構想に具体性を齎せるために、府庁移転に引き続き在阪大企業の中で移転を表明する企業が一社でもあって可笑しくないのではないか。
同時に、それこそ三団体の代表者は団体事務所ビルや、自社の本社事務所ビルを湾沿岸部へ一斉に移転するという意見表明でもしたらどうなのか。今でも用途不明の用地を確保したままの大企業も多いのだから。それでなければ、単に橋下知事へ尻尾を振っただけということにならないのか。
橋下知事も、府庁移転後何年でこの地域がどう変わるという具体的な数値で青写真を明らかにするべきだろう。
それでなければ、湾沿岸部の活性化による大阪の起爆剤への期待も絵に描いた餅に終わり、何ら意味無く府庁を移転させたという無責任が後々明らかになるという結果だけが残るのではないだろうか。現在の大阪府財政の病理体質の根源となった過去の開発行政と、それこそどこが違うのかということにならないか。
さらに、大阪の都制制度の問題。人気者の知事が最近言い出し、俄かにマスコミも平松大阪市長との確執と併せ、毎日面白可笑しく書きたてているようだ。
だが、この都制問題も私が社会人になる以前から議論の的になった古くからの問題。その当時から、東京・大阪二眼レフ論の幻想の下、府市の二重行政と阪奈和合併論や道州制導入問題とが輻輳し、毎回関係団体・関係者の思惑や利害の相克でポシャってきた、古くて新しい難題。
しかも、府民・市民にとって、利便性や総合性確保等がどうなのか、誰も確信を持てない難題である。 それだけに、維新の会といった得体の知れない政党を結成するよりは、もっと足が地に着いた地道な検証と論議が望まれる。
一体、朝に言い出し、夕べに引っ込める性癖の橋下知事に果たして己の過信以外に、どのような客観的な確信があるのだろうか。それにしても、府職員が言ったという、「思いつき」が「思い込み」になり、今や「思い上がり」になっているとの表現には、私も橋下知事への的を得た批判だと感心するばかり。
さらに、大阪復興の観点から気懸りで、今の方策で完全に抜け落ちていると思うのが、学術・文化の発信機能の復権である。元気なのは吉本興業系列ばかりという状況からの脱却である。
考えれば、この問題もマスコミや印刷・出版界等のいつしか行われた首都圏とりわけ東京への一極集中に起因する事柄である。橋下知事はこの問題にどの程度の危機意識を抱いているのだろうか。
外目には、知事自身のパフォーマンスばかりの発信のようにも思えるのだが。
考えれば考えるほど、大阪の将来への憂欝がますます強くなるばかりである。(終)
2015年09月12日
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