2015年10月06日

◆南スーダン自衛隊殉職が政権直撃構図

杉浦 正章



国政選挙を前に安保の寝た子を起こすな
 

あえて国連平和維持活動(PKO)での国際貢献の尊さを知ってのうえで意見を開陳するが、南スーダンのために安倍政権がその命運を賭ける必要は無い。派遣される自衛隊員が1人殉職すれば国政選挙で10人落選、10人死ねば内閣の基盤が揺らぐ。それくらい重要かつ高度な政治判断マターだ。


安保法制が実現したからといって、やみくもに地の果ての、そのまた果てまで行って戦死者を出し、国内政局を直撃させる価値があるのか。駆けつけ警護といっても石油利権もあって1000人も駐在している中国兵を警護するのか。


邦人が多数危機的な状況になった場合の救出作戦などよほどの事態が発生しない限り、駆けつけ警護は認めるべきではない。国政選挙を前に、安保敗北の脳振とうで寝たきりになった野党のドラキュラを元気づける必要は無い。
 

要するに我が国の自衛隊は海外で弾を撃ったことがなく、PKOにおいても幸い殉職者を出していない。法案成立により、PKOでの駆けつけ警護と施設共同防衛など安全確保業務が加わった。


だからといってこれを前提に南スーダンに自衛隊を派遣するということは、部族間の紛争の色彩が強い内戦に、自衛隊が武力を行使し、1万3千人はいる反体制派の少年兵を相手に戦うことになりかねないことだ。スジの悪さにおいては札付きの場所であり、古い言葉で言えばそのために殉職する義理など全くない。
 

いうまでもなくPKOは平和維持活動により、新政府を支援して民主主義国家を樹立するという崇高な目的がある。南スーダンの人道危機も重要だ。しかし、戦争による“殉職馴れ”している国と、戦後一発も銃弾を発射していないばかりか戦死者ゼロの日本のケースは別次元の問題だ。


行くにしても従来通りスーダン派遣部隊は、得意分野を活かしたインフラ整備、国連施設の整備や道路補修、国際機関の敷地整備等の施設活動などにとどめるべきで、間違っても安全確保業務などに参加させてはならない。PKO活動の拡大を約した首相・安倍晋三の国連演説は、一般論であり南スーダンでの駆けつけ警護を意識したものではあるまい。
 

ただでさえ安保法制反対派は、自衛隊派遣で「レッテル貼り」を再開しようとしている。いまや「反安倍・反安保法制」の“鬼”と化している評論家・孫崎享に到っては9月24日の文化放送で、自衛隊の南スーダンにおける駆けつけ警護について「『我が国の存立が根底から脅かされ、国民を守る為に他に有効な手段がないとき』がスーダンの平和の存立とどう関係があるのか。


『国民の生命財産、幸福追求の権利が根底から覆される』のか。違うでしょう」と反対論を展開した。元外交官ともあろう者が国際平和協力法と集団的自衛権行使の条件とを混同して「理路整然と間違う」論旨を展開しているが、国民大衆の知識はこれよりは上回っていても、似たり寄ったりとみなければならない。要するに野党が音頭を取って、政治的に利用しようとすればこれほど楽なプロパガンダはない。
 

おまけにPKOの戦闘による死亡者は 2012年22人、13年36人、14年39人と増加傾向にある。万一殉職のケースが生ずればリベラル系新聞が「南スーダンで自衛隊員3人戦死、安倍政権窮地に」と、紙面を突き抜けるような見出しを踊らせるのは確実だ。


これに例によって高学歴ながら低判断力の家庭の主婦らが乳母車を引いてデモに呼応するのも目に見えている。要するに戦後70年にわたって死者を出していない自衛隊に、国民の“慣れ”がないまま戦死者を出すことが何を意味するかだ。
 

おそらく政局が分かっている上司がいる報道機関は「駆けつけ警護、来春にも」などという報道はしないだろう。政局など全く知らない防衛省担当記者レベルに判断を委ねている社が、この方向を打ち出しているのだろうが、これは究極の政治判断マターであり、政治部長の判断能力が問われる。


ただし朝日が書き立てているのは、「そこに導きたい」意図がありありと出ている。安倍を倒すに絶好の材料であるからだ。春に駆けつけ警護をさせ、自衛隊に殉職者が出れば、参院選挙を「それ見たことか選挙」にすることができる。安倍がダブル選挙を選択してもダブルで破れかねない重大なる政治テーマなのである。
 

加えて、時期尚早な理由を挙げれば、安保法制を受けて戦闘行為の開始と継続、限界を定めた部隊行動基準(Rule of Engagement)がまだ策定されていない。またゲリラが設置する路肩爆弾(IED)専用車や路肩爆弾の効力を失わさせる専門官育成など装備面での態勢確立も必用だ。


さらに最も重要な点は「政治の判断」をどこで織り込むかである。他国のように「気楽」に派遣できる政治状況に日本はない。国民が「戦死」に慣らされていないからだ。


日本の場合は現地の司令官から戦闘行動に入ってもよいかどうかの許可を最終的には首相官邸に求めざるを得ないだろう。政局直撃マターであるからだ。そうなれば「殉職」の責任はすべて首相にかかってしまう。
 

こう見てくると、安保法制は成立したが、参院選を来夏に控え、場合によってはダブル選挙もあり得るし、総選挙単独でも来年中か再来年には断行される状況下において、「南スーダンでの殉死」は政策判断としてノーテンキすぎる。


繰り返すが政府・与党は自民党議席を直撃する政治判断は下すべきでない。安倍を経済・外交に専念させるべきであり、有り体に言えば山積する重要課題に「南スーダン」が入り込む余地はない。


防衛相・中谷元が「これからしっかり準備をし、検討をした上で、 判断をしていくわけで、このような新しい任務の遂行に関しては、慎重に十分に検討をした上で実施をしたいと考えている」と述べている判断が正しい。まだ少なくとも5年は早い。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)
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