2015年10月20日

◆「そして誰もいなくなる」のか

石岡 荘十


表題は、いうまでもなくアガサ・クリスティーのミステリー小説の名作『そして誰もいなくなった』(米版And Then There Were None)をもじったものだ。刊行されてから間もなく75年ほどになるので、簡単にあら筋をおさえておく。

大西洋の孤島に招待された10人がひとりずつ殺されていく。そして最後に誰もいなくなる。犯人は誰か。クローズド・サークルと呼ばれる外界との往来が断たれた状況設定の代表的ミステリー作品だとされている。1945年ルネ・クネールのメガホンで映画にもなっている。

私がアガサ・クリスティーにのめりこんだのは学生時代の‘50年代後半ことだが、ここではその話をしようというのではない。最近のこの国の状況が、アガサ・クリスティーの表題を思い起こさせる。

この閉塞状況は大西洋上の絶海の孤島に似ている。情報は燦燦と降り注ぐが、この国の国民は情報リテラシー、つまりあふれる情報を読む能力に欠けているらしい。

就中、リーダであるべき鳩は情報が読めない。本メルマガだけでなく、あらゆるメディアが「ヤメロ、ヤメロ」の大合唱で、これらを読む限り、いまや退任が“既成事実”、決まったことと国民に思い込ませている。

思い起こせば、遡った10人ほどのわが首相はアガサ・クリスティーの描く絶海の孤島で、それぞれのバックグラウンドや経緯はともかく、消えていった。

めまぐるしくて細かいことは思い出せないが、ここ5人か10人は首相になった途端、「ヤメロ、ヤメロ」の猛攻撃に合って倒れたような気がする。そしていま「鳩ヤメロ、一ヤメロ」の大合唱だ。

自分たちが選んだ首相に、政治のプロ、評論家が罵詈雑言のシャワーである。なかには、物書きとしての最低限の品性をも疑わせる単語も駆使する御仁がいる。

日本人は人を謗るにしても、昔はこんな言い方はしなかったものだ。その尻馬に乗って、止せばいいのにど素人が訳知り面で「ともかくヤメロ」と絶叫。

結果、無邪気な選挙民はつい半年前、自分があの人を選んだのはひょっとしたら「間違いだった?」「騙された?」とモヤモヤ。やがてそれが確信に変わり、世論調査に答える。

が、それは本当の世論か、と最近思う。彼らは「そして誰もいなくなる」リスクに気がついているのか。 

そこで政治問題のプロ、評論家、それに連なる方々にお聞きしたいのである。世界の孤島で歴代の首相がつぎつぎに“世論”の餌食になった日本列島で、鳩は何人目のターゲットなのか。10人目だとすると、これはやばくないですか。

この島をリーダーのいない極東の孤島にしたいのか。そんなことないですよね。つぎは誰が最適か、ベストではないが誰がベターか、密かな思いはあるはずだ。決まってから、ああでもないこうでももないとケチつけることで口を糊するのは後出しジャンケンのようなものだ。フェアではない。

ここはひとつ、ど素人なのでよく分からないが、プロは当然のこと、追っかけ素人も「辞めろ」というなら、「辞めさせて、菅にしろとか、舛がいいとか」、はっきり個人名を挙げて宣言してもらいたいのである。それがプロの最低限の見識・責任ではないのか。

本メルマガで何度か同じ趣旨のアピールをしたことがあるが、誰も答えてくれなかった。なぜ?子育ては「褒めて(おだてて)育てる」っていいますね。そんなことも考えないと「誰もいなくなる」のでは?

それはそうと、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』で10人を殺した犯人は誰か。思い出せない。で、アマゾンでハヤカワ文庫を発注した。   
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