2015年10月27日

◆琥珀の瞬き(またたき)

馬場 伯明



小川洋子(53歳)の「琥珀のまたたき」を読んだ。2015/9/9・講談社・第一冊発行・1500円(税別)。変な小説である。しかし、読み終えたら、懐かしいような不思議な感動が込みあげてきた。

あらすじなどを詳しく紹介するのが本意ではないので、本の「帯」の文章を転載する。なお、拙稿を書く前にはWEBなどの他者の「書評等」は読まないこととする。

《 もう二度と取り戻せないあの儚くも幸福な一瞬》(背)

《 古びた図鑑の片隅に甦る、失われた時の輝き。閉ざされた家で暮らす子どもたち。彼らだけの密やかな世界は、永遠に続くはずだった―――。小川文学の粋が結晶した最新長編小説。》(表)

《 『壁の外には出られません』最も大事な禁止事項を、ママは言い渡した・・・・。妹を亡くした三人きょうだいは、ママと一緒にパパが残した別荘に移り住む。そこで彼らはオパール(長女)・琥珀(こはく・長男)・瑪瑙(めのう・次男)という新しい名前を手に入れた。閉ざされた家のなか、三人だけで独自に編み出した遊びに興じる・・・・(裏 以下略)》。

でも、これではよくわからない。思わせぶりなPR。結局、読むしかない。

小川洋子は、登場人物を限定された空間に配置し、その中の彼らに寄り添い、その一挙手一投足を見つめ、その静謐な団欒と安寧な雰囲気とを、あたたかい目線で丁寧に描いていく。

世間の常識からすれば「とても危うい」4人家族なのに、いつの頃か、自分も経験したような、していないようなある種の臨場感や既視感がある。「うんうん、そうやったかもしれん」と妙に納得してしまった。

三人の子供らは「図鑑」専門の出版社の社長だったパパが残した「こども理科図鑑」から新しい名前をもらう。閉鎖された空間であっても彼らには想像する自由がある。図鑑の読み方などを工夫し、学習し、ゲーム化し、無邪気に、しかし、知的に遊ぶ。

小学5〜6年生の夏、猛暑の図書館の片隅で、採集した蝶や収集した鉱石の名前を「図鑑」で必死に調べ判明した・・・あのときの興奮を私はありありと思いだした。

また、言葉の組み合わせで「オリンピックゲーム」を楽しみ、庭では、ロバのボイラーと遊び、ひっつき虫を投げる。幼い瑪瑙が得意のオルガンを演奏する。庭や池、古びた別荘の壁の中で幸せの日々が続いた。

では、この硝子細工のような珠玉の生活はどのように展開し、いつまで続いて行くのか。ママと次第に成長する三人の子供の未来はどうなるのか。(子供はそれぞれ11・8・4歳から、次女は3歳で死去している)。

彼ら家族の「めでたし(Happy ending)」を願いながらも、ありきたりな「崩壊」をついつい予想してしまう。ママの永遠の願望と成長する三人の子供の均衡が崩れる日が来るのだろうか。

この小説では(老人ホームらしい)「芸術の館」で暮らしているアンバー氏(琥珀)の晩年の今の姿が並行して描かれる。しかし、別荘時代とその後の長い空白は語られない。読者は自分で想像の海へ漕ぎだすしかない。

三人の子供の名前は象徴的である。オパール(長女・Opal・蛋白石)、琥珀(長男・こはく・Amber・アンバー)、瑪瑙(次男・めのう・Agate・アゲート)。いずれも地中深くにあり長い長い年月を経て美しく結晶し、そして、いつの日にか掘り起こされる。

鉱石や化石は不滅で永遠の存在であり、人間の命と営みは危うく幻のようなものである。私たちは、身の程もわきまえず、鉱石や化石の美しい俤(おもかげ)を、儚く追いかけているだけかもしれない。


「読書感想」的なことはここまで。本書の中で気になった下世話な関心事などをいくつか記す。

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