2015年11月02日

◆行方不明の秋田音頭

渡部 亮次郎



秋田生まれの私にとって「秋田音頭」こそは性教育の原典だった。田植えの終わった後の宴会「早苗振り」とか稲刈りのあとの「酒盛り」で男たちが次々の歌い続けるのである。また戦前は隣町の民謡歌手鳥井森鈴(とりいしんれい)がレコードに吹き込んでいたから、これでも覚えた。森鈴が作詞、作曲したものと思っていたが、要するに農民たちが歌い継いで歌詞を増やしてきたものらしく、秋田弁とは言いながら地域によって詞は多少異る。

とにかく本歌は凄いのだ。

「おみゃがた(あなたがた) おみゃがた 踊りこ見るとて 立って見るな 立っていいのは電信柱とあんちゃ(兄さん)のがも(マラ)ばかり

「オラ家のあねちゃ(嫁)田の草取りに行って 穴コさ泥鰌いれたあねちゃもあねちゃ 泥鰌コも泥鰌コ あちゃこちゃぶつかって出た時ゃ ほんわ ほわ

「他人(ひと)の嬶(かかあ)すりゃ、忙しもんだと来たもんだ湯文字紐解く褌外す、 いれる もちゃげる 気をやる いく抜く 拭く 下駄めっけるやら逃げるやら

「ぎっちもち ぎっちもち 板の間ぎっちもち たましコ(幽霊)来たかと 念仏コ申したら 鼠コ夜這いに来た


「白玉食(く)にあべ(行こう)、白玉食(く)にあべ(行こう)
白玉食に行ったら 上から白玉 下から金玉 腹中(はらなか)玉だらけ

「おら家の爺様と隣の婆様と この世の名残に 一発ぶっぱめた 行くよ
行くよと 気ばかり焦って とうとう夜が明けた

「あの税 この税 役場の税金 息つく暇もねぇ いっそこれだば 有る物 ぶち売って 1発 ぶっぱめて 死んだほいい。

『ウィキペディア』では恰好ばかりつけて真実を語らない。<秋田県の民謡。1663年(寛文3年)秋田藩主佐竹義隆に上覧した時に成立したといわれる。三味線、笛、太鼓、鐘などの伴奏で滑稽な歌詞をリズミカルに並び上げるのが特徴>などとあるが、要するに、昭和三十年近く、秋田にも民報ラジオ局が出来た。

追っかけるように「放送コード」なる艶物の自主規制基準を作って自縄自縛を始めた。誌面で読むだけでも「刺激的」なのだから、小母さんたちに「教育上・・・」と居直られるとNHKも放送しなくなった。

だが「秋田音頭」そのものを失くすのは惜しいとばかり、替え歌を作ってお茶を濁した。

<出だしの「ヤートナー」というかけ声以外はあまり音程がなく、7-7-9を基本としたリズムに乗せて台詞を述べ上げるだけである。いわゆる地口のようなもの。

多くの歌詞があるが、「秋田名物八森ハタハタ…」と秋田名物を並べたものが有名である。その他にも、小野小町が秋田美人の代表であるなどを歌った有名な歌詞がいくつかあるが、即興でおもしろおかしい事を歌うというのが本来であった。

このため、時事の風刺や、卑猥な話が歌われる事も多い。これを春歌というが、秋田音頭はもともと春歌だったという説もある。>

馬鹿なことを書いては困る。秋田音頭は「春歌だったという説もある」どころでは無い。春歌そのものだったのである。

「女という奴、純情な顔して鬼よりまだおっかね。生きたヘンノゴ(マラ)生でまぐらて(食って)似たよなガギ(赤子)こしゃる(作る)」と聞けば立派な性教育だった。

「難産だ、難産だ、難産した時ゃ、一生すめぇと神コさ願かけた。(高言ぬがしゃがて、と唄う地域もある)3日も経たたねで むりっと入れたら 嗚呼 これだば死んでも止められね」。

<(ヤートナー)コラ、秋田音頭です(ハイ、キタカサッサー、ヨイサッサ、ヨイナー)

コラ、いずれこれよりご免こうむり音頭の無駄をいう(アーソレソレ)お耳障りもあろうけれどもさっさと出しかける
(以降、歌詞の終わりに「ハイ、キタカサッサー、ヨイサッサ、ヨイ
ナー」のかけ声が入る)

コラ、秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ(アーソレソレ)能代春慶、桧山納豆、大館曲げわっぱ」>

ここまでは元歌にもあった冒頭の掛け声である。だが後がいけない。まるでぶち壊しだ。替え歌は理屈ばかりで可笑しさが全く無い。

<コラ、秋田の国では雨が降っても唐傘などいらぬ(アーソレソレ)手頃な蕗の葉さらりとからげてサッサと出しかける

コラ、秋田の女ご,なんとしてきれ(い)だと聞くだけ野暮だんす(アーソレソレ)小野小町の生まれ在所お前(め)はん知らねのげコラ、お前(め)がたお前がた踊りコ見るならあんまり口開(あ)ぐな(アーソレソレ)今だばええども春先などだば雀コ巣コかける >

放送では以上のような歌しか歌えないだろう。全く空疎である。本物の秋田音頭は失踪して久しいわけだ。放送の普及が本物を隠し、県民に忘れさせたのである。秋田の文化である以上、地元の放送業界は守護に責任を感ずるべきだと思うが、そんなホネのある奴は地元には帰らないらしい。

本名 鳥井儀助は「秋田追分」や「秋田馬方節」の普及に功績があったとして昭和46(1971)年に 民謡の分野で秋田県文化功労者に選ばれている。

潟eイチクエンタテインメントが制作・販売している「日本民謡名人撰」CD10枚組/カセット10巻組・全160曲の中に森鈴の「秋田追分」と「秋田馬方節」が収録されているが、最高の力作「秋田音頭」は入っていない。「秋田音頭」は行方不明になったのだ。

放送が文化遺産を消滅させる。2008・10・23
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