眞鍋 峰松
10月21・22日の両日、高校同期の仲間達との会合を高野山で開催した。これまでにも何度か本欄で紹介した年1回の仲間達との勉強名目の懇親会である。今年当番の大阪側幹事を私が勤め、東京からの3人を含めた総勢9人が参加した。
高野山は、今年が弘法大師開山1200年の記念の年に当たる。その上、今年春の会合案内時には健在だった仲間の一人が7月にはガンで急逝、メンバーで3人目の物故者となってしまった。そこで、共にガンに倒れ惜しくも逝去した3人の冥福を祈る絶好の場所として、会場を高野山金剛峯寺に隣接する総持院宿坊に決めた。
高野山は標高900メートル弱、10月下旬には木々の紅葉も始まる季節。開催した21・22日は時期的に若干早過ぎたのだが、それでもあちらこちらで鮮やかに赤や黄色に見事に色付いた場所が点在し、参加メンバーの感嘆の声を聞き、宿坊で出された夕食の見事な精進料理の美味とともに、幹事として若干面目を保ち得て、ひと安心。
ご承知の通り、高野山は和歌山県北東部に所在する高野山真言宗の聖地高野山を中心とする町。人口約3800人を有し、貴重な文化財・建造物・名所が数多く存在する。
2014年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産にも登録され、日本のみならず世界中から多くの観光客が訪れる。現地ガイドの説明では、町人口のうちお坊さんが約1000人住し、国内外からの参詣客や観光客が年間100万人を超える(今年は開山1200年で300万人を超える予想)訪れる、とのこと。
我々が歩いた山上の道筋の至る所で多数の外国人観光客、それも多くの欧米人を見かけたのだが、これも今や日本全国各地の観光地で見なれた風景である。
また、高野山真言宗の総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指し、普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内と言うのだが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺、とのこと。
「では、本堂はどこ?」という疑問も湧いてくるが、高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂。また、山内に点在するお寺は塔頭寺院(たっちゅうじいん)と言い、高野山全体を大寺(総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた小院のことで、現在では117ヶ寺が存在し、そのうち52ヶ寺には宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供している、とのことである。
今回宿舎の総持院はこの塔頭寺院の一つで、平安時代の久安年間に高野山第28世行恵総持坊により開創され、元々は現在の壇上伽藍の境内にあり、後に現在の金剛峯寺西隣に移ったという由緒あるお寺である。
また、同院の所縁の大名の一つとして肥後熊本の細川家があり、我々の食事場所に提供された大広間の床の間には、行列に使用されたと思われる豪華な細川家の大名興が飾られていて、少し驚いた。
その高野山の見所は、何と言っても、奥付きに弘法大師御廟が在る奥の院の散策。 鬱蒼とした木立の中を徒歩で2〜3万基とも称される苔むした沢山の有名・無名の人たちのお墓の中を通り抜け、御廟へ到る道である。静寂の中で、知らず知らずに人の生死について考えさせられる場所でもある。
今年の会合は、遠方のため懇談の時間が窮屈になり、通例のように事前にテーマを設定し報告し合うことも無かったのだが、それはそれ、メンバー各人がそれぞれ一家言の持ち主。懇談の場では色々と活発な話が飛びかった。
その中で、最も驚かされたのは、最近世上よく取り上げられる反中・反韓、嫌中・嫌韓に関する話題。 各人には強弱の差があれ、参加者の全員がこの感覚を共有していたことに驚いた。(続く)