2015年11月04日

◆開山1200年高野山での会合 A 

眞鍋 峰松
     


実のところ、これには私も少々驚きだった。 私が7年前のこの会合で報告し、以前に本誌でも“ 微妙な関係?・・・日・中・韓 ”の表題で記述した内容、即ち「近年になって、日本と中国・韓国の間には一大外交戦争が起こっている。

重要なのは、それが外交という昔ながらの国家と国家との間の政治問題というより、国民と国民との間・国民の感情間の紛争の観・匂いがすることである。

ここ数年、特に平成17年は戦後60年という節目の時期であり、この紛争も、その節目に起こった国連改革問題とりわけ日本の安保理常任国入り問題が両国国民の反発を呼び、靖国参拝、領土問題等、戦後処理を巡る微妙な食い違いが一層顕在化してきた故であろう。

そして、何よりも世代交代が進む日本人側の、両国はいつまで謝罪と賠償を要求し続けるのかという嫌悪感と、過ぎ去ったと思い込んでいた戦争と戦後処理に関する意識を巡る感覚の変化が一層明確化してきたということなのだろう」との記述。 

あれから10年の歳月が流れ、戦後70年も経った今になって、日・中・韓の関係はいよいよ複雑化・深刻化してきたな〜、という感がする。                                    
その中でも、韓国との関係については「韓国側の極端な自民族優位主義(エスノセントリズム)意識を払拭しなければ(日韓関係の改善は)難しいのではないだろうか」と記述したのだ。

しかしこれに対し、前述の今年7月にガンで急逝したK君は当時、「それは違う。韓国の激しい反日感情はそのような小中華思想から発するものでなく、むしろ日本側の韓国への差別感情への反発から発するものである。韓国が日本に対し悪感情を抱くのは、戦前の植民地化と日本国内の差別意識への反感の故である」と激しく反論していた。

元々、K君は生家がお寺で、大学生時代には8月ともなれば衣を着て檀家回りをしていた人物で、少々頑固なところがあり、なかなかの理屈屋。 彼の反論を受け、私の立論も極端に過ぎ、やはり昔の日本の帝国主義行動への言及が不足した、という点を考え直したことを懐かしく思い出す。 
 
だが、今年の懇談の場の雰囲気は当時とは全く違った。K君流の意見は一切出されず、ほぼ全員が反韓・嫌韓の傾向。 むしろ、大学卒業後、在阪大手電器メーカーに就職し長年に渡る外国勤務を経て、現在でも貿易専門知識を買われて国立大学の非常勤講師を勤めるメンバーのM君までもが、“韓国は大嫌い”とまで感情を露わに断言したのには本当に驚かされた。

しかも、仲間の内では真面目で謙虚・温厚な人柄で知られた人物であるだけに、まさか彼から斯かる激しい意見が出されるとは・・・、と余計に驚き。
                   
もう一つ盛り上がったのが、高齢者の自動車免許証更新を巡る話題。 私は10月20日に来年3月末の更新時期を控え、府公安委員会から私宛てに自動車免許証取得のための高齢者講習通知書が郵送されてきた。

内容は70歳以上の免許証更新者への、講義等1時間、運転適性による指導1時間、実車による指導1時間の受講案内。 そこは全員が72歳の同年齢、この話題にひと盛り上がり。それぞれが“オイ、お前さんは認知症は大丈夫か?検査でひっかからないか?”と言い合う。                              
最近、高齢者の起した交通事故が連続して発生している。高速道路の逆走、鉄道踏切上での停止、ブレーキとアクセルの踏み間違い等々。

そう言えば10月29日の新聞には“宮崎で歩道暴走6人死傷:車の73歳の男性 認知症症状にてんかん病歴”と大きく報道されたばかり。私も運転に一番大切な動体視力が昔に比べて、著しく低下していることに最近になって気が付いた。

例えば、電車に乗る。色々な駅を通過する際に、以前は駅のホームに掲示してある駅名の文字を一瞬にしてピントが合うように車内からハッキリ読み取れたものだった。それが、今では視線が流れ、文字がハッキリ確認できない。いつしか反射神経や運動能力も、同じように衰えているのだろうと思うと慄然とする。これで果たしてこれから何歳まで自動車の安全運転が可能なのか。
     
6月の毎日新聞には「警察庁によると、免許を持つ10万人当たりの死亡事故件数(2013年)は75歳以上が75歳未満の約2.5倍。現行制度では、75歳以上で免許更新する際、記憶力や判断力を調べる検査が義務づけられ、認知機能の低下が進んだ「認知症のおそれ」と判定されたのは、13年に約3万5000人に上った」とし、「75歳以上のドライバーについて認知症の検査を厳しくし、場合によっては免許を取り消す改正道路交通法が成立した。認知症が原因とみられる事故が絶えないためで、やむを得ない措置だろう」と報じられていた。 

そこで、私も75歳になってから、自動車運転の可否を決めよう、と結論。 しかし多分、75歳になっても、なかなか自分自身では免許証破棄の踏ん切りがつかないのでは・・、やはり何とか80歳までは・・。

孔子は「七十にして心の欲する所に従へども 矩(のり)を蝓(こ)えず」と仰ったのだが、悲しいかな凡人の人生。 些細な事柄ながら、古希を過ぎても、様々な迷いが尽きない。 この発言には、メンバー全員から同感、同感との声が挙がった。 これが凡人の凡人たる由縁なのだろう。(終)

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