2015年11月12日

◆鈴木善幸内閣誕生の経緯

渡部 亮次郎


誕生したとき駐在する駐在する外国人記者のすべてが「ゼンコウWh0to]と母国に打電した鈴木善行内閣誕生のいきさつにつえてそばで直接,見聞して知っているから、古いことだが、今や知る人も無区成ったようだから、この機会に書いておく。

2007年6月12日は総理在職中に急死した大平正芳さんの28回目の命日だった。朝日新聞政治記者だった国正武重氏が最近著した「権力の病室 大平総理最期の14日間」(文藝春秋)を読んで、その死を改めて回想すると共に「後継総理 鈴木善幸」と叫んだ田中角栄氏の判断は瞬時だったなぁと思い出す。

私は当時、既に大平内閣の外務大臣(園田直)の秘書官を退任(1979年11月8日)、一代議士に戻った園田氏の私設秘書をしていた。1980年5月30日には第12回の参院選挙が公示されたが、その初日に大平総理は倒れた。

入院先は国家公務員の指定病院としても名を知られる東京虎ノ門病院。発表された病名は過労が引き金となったと考えられる「狭心症」だったが、予ねて総理が自分と同じ糖尿病を持病としていることを知っている園田氏は「いやぁ心筋梗塞の1回目の発作だよ」と主張して譲らなかった。

果たして死後、解剖の結果は当にその通りだったわけだが、心筋梗塞の発作だとすると、近いうちに2回目の発作があるはずで、絶命するだろう、と早くから言っていた。

園田氏は30歳代で2型糖尿病を発症している。糖尿病のDNAを遺伝により所持しており、暴飲暴食、運動不足、肥満によって発症する。酒を嗜まなかったが、豆大福や焼き芋が大好き。3番目の結婚となった天光光(てんこうこう)さんとの結婚直後から大肥満。多分、これが引き金となって発症したのだ。

糖尿病患者は最終的にはインスリンというホルモンを毎日、1回から3回、注射で体内に補給する必要がある、口から入れても胃液(酸)で無効になるからである。しかし、武道の大家も何が嫌いって注射ぐらい嫌いなものは無いという人。

この後、生涯2度目の厚生大臣になり、患者が自分で注射できるよう、厚生省令の改正を決断するが、その恩恵に浴する事は無かった。理由は後述。

問題の12日は、私は都合で都心のホテルに泊っていたが、午前2時ごろ、園田さんから電話があり「ナベしゃん、総理が亡くなったらしいよ、調べてよ」という。なんでも信仰している新興宗教の教祖に霊感があったとい
うのだ。

古巣のNHK政治部に電話してみたが何も入っていない。結局は午前6時41分になって「5時54分逝去」が発表されてわかったが、やはり大平さんは午前2時25分に本当は絶命していた。後は蘇生が試みられたが空しかったということだったのだ。

5:54 総理死去。立ち会ったのは志げ子夫人、伊東官房長官、田中六助副幹事長、森田一秘書官、次男裕氏夫人、三男明氏夫妻ら。

5:55 鈴木善幸党総務会長
6:15 田中角栄氏
6:35 西村副総裁。桜内幹事長。

園田氏も遺体に対面した。午前7時ごろだったろう。彼は私を伴って「これから目白(田中角栄邸)へ行こう」と言った。予ての大福密約に従って、首班指名では嘗ての親分福田赳夫氏に背いて大平さんに投票したために福田派を除名されていた園田氏。政界「はぐれ鴉」なんて揶揄されていた。目白に行くしかなかった。

しかも誰かに奨められて痩せるためと称して利尿剤を多用。急激に体重を落としたため、人相が変わるほどやせて久しぶりTVの前に姿を現したため、マスコミは悪い噂を立てた。

田中氏とのサシの会談は1時間に及んだ。園田さんは明るい顔に変わって出て来た。後継総理には大平派の番頭鈴木善幸氏を推挙することで意見の一致を見たと言うのである。

「政界闇将軍」と「政界はぐれ鴉」で一致した「鈴木善幸総理」案は政界で誰一人予想しない奇想天外。もちろん鈴木さんご本人も岩手の漁師が総理大臣になんて想像したこともなかった。衆議院議長は目指していたが。

しかし乃公出でずんば(だいこう いでずんば)=この俺様が出ないで、他の者に何ができるもんか=と言ってきた福田氏も、今回は大平急死の下手人呼ばわりされる中では、田中闇将軍の仕掛けに抗する術はなかった。あれよあれよと言う中で鈴木内閣は平穏のうちに発足した。郵政、農林の閣僚経験しかなく、長く自民党総務会長としての地味な活動しかして来なかった政治家だけに、外国人記者は口をそろえて言った。Zenko Who?

園田氏は鈴木内閣には入閣しなかった。しかし3ヵ月後の9月に入って、女性の子宮や卵巣の摘出手術を乱発していた埼玉県の富士見病院事件が起き、ここから齋藤邦吉厚生大臣が千数百万円もの献金を受けていた事が発覚して辞任。

むかし厚生大臣の経験があり、すぐにも国会答弁で野党に対処できるとの鈴木派の栗原祐幸氏らの推薦で園田氏が後任に決まった。大平内閣の外務大臣を退いてから10ヶ月ぶりだった。私はまた秘書官に引っ張り出された。

さらにその8ヵ月後、今度は伊東正義外務大臣が途中退任、後任に園田厚生大臣が横滑りを命ぜられた。1981年5月18日、杉並区富士見が丘のNHKグランドで記者クラブとソフトボールの親善試合をしている最中だった。

この頃から園田さんの身体に糖尿病の合併症が表れるようになった。腎臓の機能が極端に弱り、浮腫みが酷くなりだした。終いには顔も浮腫むようになって閣議で驚かれたりした。

インスリンの患者自己注射を許可すれば、衛生材料メーカーは競って注射器を携帯用に小さくしたり、針を細くして痛みが軽くなるように研究する。

実際、あれから30年、針の細さは0・2ミリと世界一。毛の細さだから殆ど痛くない。だが許可が遅れたために大平さんも園田さんもその恩恵には浴せ無いまま、共に70歳にして糖尿病のためこの世を去った。2007・06・
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