2015年11月15日

◆黄色い花はあたたかい

馬場 伯明



「チューリップ」は古い唱歌だ。戦前1930年につくられた。作詞:近藤宮子(当時23歳・主婦、父藤村作〈東京帝大助教授・幼稚園唱歌研究部に関わる〉から依頼を受け作詞)、作曲:井上武士(東京高等師範学校附属小教師)(Wikipediaより)

♪さいた さいた チューリップの 花が
ならんだ ならんだ 赤 白 黄色 
どの花みても きれいだな (以下、略)

そうだ。花だったら赤・白のつぎは黄色い花だろう。早朝、通勤のため自宅からJR稲毛駅へ10分歩く。途中の家には玄関や庭に木々や草花が植えてある。晩夏から仲秋にかけての「黄色い花」を辿った。

(申し訳ありませんが、メルマガには写真掲載ができないので、花はWEBや図鑑で見ていただきたく、よろしくお願いいたします)。

黄色い花はあたたかい。黄色は愛・尊厳・信頼をあらわす色であり、黄色い花は希望と幸せの花という。心を温めてくれる。朝から黄色い花を見れば、昨日の雑念は消え、やる気が湧いてくる。
     
米国では「黄色いリボン」は愛する人の(戦場からの)帰還を願う印。高倉健は映画「幸福の黄色いハンカチ」で、網走の刑務所から妻の住む夕張へ戻る男を演じた。「家の前の黄色いハンカチ」には感動した。

近所の丸小山公園を右手に歩く。まだ黄色い「カンナ」が残っている。緑の葉とともに街路の風景に馴染んでいる。同じ花でも夏の艶やかだった深紅のカンナとは対照的である。
 
公園を通過したら微風が「キンモクセイ(金木犀)」の香りを運んできた。大きく一つ深呼吸をする。曲がり角のレンガ造りの家の生垣には黄色い「キク(菊)」の一群がある。
 
新築の家の門前のプランター(2台)に真っ黄色の「ペチュニア」が咲いている。3台目には秋咲きの「パンジー(三色菫)」だ。花びらの芯の部分は紫色だが外側は黄色だ。この家の勢いが顕われているようだ。

隣の古い庭には立ち枯れの「ヒマワリ(向日葵)」がある。元気だった黄色の花はすでになく、首は折れ、こげ茶色の種がまばらに残っている。

ところで、後期印象派のゴッホは「ひまわりの画家」と呼ばれた。ゴッホはアルルでの7点(全12点中)をゴーギャンとの共同生活を夢見て描いたという。ヒマワリの花は希望と幸福を意味したから。(だが、二人の共同生活は2ヶ月で破綻した)

名前を知らない黄色い草花が洋風の家の玄関や庭に植えてある。(名前を調べた)。「マリーゴールド(黄)」と「ユリオス・デイジー」だった。
  
10月。長崎へ帰省した。実家(雲仙市南串山町)へ向かう道端には「セイタカアワダチソウ」が茂り小さな黄色い花があった。だが、一斉風靡したこの帰化植物も最近自生の「クズ(葛)」に追い込まれ減っている。

自動車で実家へ向かう途中、諫早市の民家に満開の黄金色の「コバノセンナ」あった。春の帰省時にはその近くに「ミモザ」の花が咲いていた。枝は花で覆われ太陽のように眩しい黄色だった。

ミモザと言えば、諫早市に縁が深かった洋画家、野口彌太郎はとくにミモザの花を好んだという。諫早の人たちは毎年春分の日に「ミモザ忌」を開催しこの画家を偲んでいる。
 
今年も長崎の実家の庭の日陰に「ツワブキ」があった。古い屋敷の100年の宿根である。力強く伸びた茎に分厚い深緑色の葉が乗っており、その真中に鮮やかな黄色い花が咲いている。

父はよくツワブキの絵を描いた。暗い背景に黄色い花が浮きあがる。小学生の頃ツワブキの茎を抜き、皮を剥いだ。指先と爪の間が黒くなった。母は茎を煮て甘辛味の常備食を作った。熱いご飯に乗せて食べた。
 
千葉へ戻った夕暮れどき。稲毛駅から歩いて帰る稲丘町の空き地に「オシロイバナ(白粉花)」の群生がある。名前の通り大半が白色で桃色の花もある。ところが、点々と黄色い花も混じっている。

その隣家の庭。朝には高らかな音色が響きそうな勢いだった黄色の「エンゼルトランペット」もだらりとしている。横には季節外れの小ぶりの黄色い「バラ(薔薇)」がぼんやり見える。

11月の夜は冷える。秋も終わり「黄色い花」も順番に姿を消していく。これからどんな黄色い花を待てばいいのだろう。

年が越える寒い如月には、淡黄色の花と芳香で人を幽玄の世界に誘う「ロウバイ(蝋梅)」が咲き、4月の公園には明るい黄色の「チューリップ」があるだろう。開花が待ち遠しいな。

また、「クラスペディア・ゴールドスティック」という珍しい黄色い花も見たい。真ん丸い球形の花、あたたかい黄色い花である。(2015/11/9千葉市在住)
 
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