2015年11月26日

◆私の「身辺雑記」(284)

平井 修一



■11月23日(月)、新嘗祭、朝は室温17度、曇、ちょっと寒い。水が冷たくて空気が乾燥しているために右手にひび割れができてバンドエイド、1/3散歩。

<新嘗祭を危険視した占領軍の左派勢力は、米国の Labor Day とThanksgiving Day を併せた Labor Thanksgiving Day という祝日を考案し、これを和訳したのが「勤労感謝の日」である>(ウィキ)

バカバカしいというか、滅茶苦茶だ。

大阪の選挙で橋下一派圧勝。横山ノックを選んだお笑い吉本興業的小4レベルの人々はそのままだ。アホとちゃう? 青島や枡添を選んだ中2の都民とどっちもどっち。目くそ鼻くそ。まったく成長しないというのはスゴイ。議会とのネジレをどうするのだろう。

欧州のお花畑リベラルは「テロに激怒しない」のが有効なのだという。ISは「奴らは敵だ、敵を殺せ」と正しく認識しているのに「過剰反応するな」とリベラルは言う。バカは永遠にバカである。

山本夏彦翁曰く「老人のバカはどうしようもないほどバカだ。バカが10人集まると10倍バカになる」。なす術なし。嗤うしかない。

昨日は疲労困憊した。湿布とQ&Pコーワゴールドで今朝はどうにかパワーが戻ったが、夕べのような大晩餐会、Great Dinnerはもう無理だろう。茶わん蒸しは大好評だったが、面倒臭いのに主菜にはなれない。結局、添え物、副菜なのだ。コロッケと同じ。脇役。

明治日本の洋食料理人の給料はすごかった。ホテルではGMよりも高給だった。黒岩涙香の萬朝報によると帝国ホテルのシェフは妾を持っていたが、それより驚いたのは当時のコロッケはビフテキと同じ値段だった。コロッケは手間がかかるから高いのだ。

それが今や貧乏人の食いものになった。♪今日もコロッケ、明日もコロッケ、という歌もあった。すでに小生が小3の頃(1960年)は肉屋の店頭で5円、小6の頃(1963年)は10円、子供のおやつになってしまった。その当時に親戚の家でお昼ご飯をごちそうになったが、主菜がコロッケでがっかりしたことを思い出す。コロッケは不当に差別されている、とも言える。

先月、カミサンは母と妹を箱根富士屋ホテルに連れて行った。小生からすれば分不相応の高級ホテルだ。山口由美さんはそのホテル創業者の末裔で『箱根富士屋ホテル物語』を著した。縁あって由美さんとは記者仲間になったが、家柄というのはあるもので、大層才色兼備だった。気品があったから手を出せなかった。ちょっと惜しかった。

創業者の山口仙之助は横浜の遊郭経営者だったそうだが、当時は遊郭は芸能界、テーマパークみたいなもので、大変な人気だった。人気の遊女は浮世絵やブロマイドになった。

芸者は「芸は売るが体(色)は売らない」が建前だったが、山本夏彦翁が(大いに苦労して)調べたところによると、お座敷の3割は「陰間」(かげま)、つまり売春だった。馴染みの客には体を売ったのである(今のホステスと一緒)。誰とでも相手にする芸者もいて、それは不見転(みずてん)芸者と言われて軽侮されたが、まあ遊女と芸者は親戚みたいなものだ。

斎藤緑雨によると、遊女曰く「女郎とはあんまりよ、せめてお娼妓さんとお呼びなさい」。娼妓と芸妓は姉妹みたいなものか。

明治の高官、たとえば伊藤博文や木戸孝允の正妻は芸者上がりである。当時、男に交じって堂々、丁々発止の会話ができるのは芸者(=数少ない職業婦人)しかいなかった、という説がある。芸者衆が欧米で日本文化を紹介した記録によると、芸者は武士道的な気概(女丈夫、気風の良さ、芸、誇り)があったから、その説は多分当たっているだろう。

芸者上がりが鹿鳴館時代をリードしたというが、不平等条約改定のために彼女たちも頑張ったのだ(洋装してダンスするなんぞはいささか屈辱的ではあるけれど)。

今は男も女もコロッケのようなカルーイ人々が多い。武士道的な気概、胆力、知性を持った人は少ない。それを死ぬまで目指したいものだ。

■11月24日(火)、朝は室温17度、晴、久し振りにハーフ散歩。

昨日は靖国を狙った爆弾攻撃があった。半島人の仕業だろうか。中共は豪州ダーウィンの港湾施設を99年間租借するというが、豪州政府は資源価格の下落で「貧すれば貪する」になったのか。アボットは立派だったが、ターンブルはかなり怪しい感じがする。

JBプレス11/19、北村淳氏の論考「オーストラリアと米国の同盟関係に中国がくさび 通商・軍事の要衝、ダーウィン港を中国が99年間租借へ」から。

<*ダーウィンはアメリカ海兵隊の拠点

「ダーウィン港99年租借契約」の締結が発表されると、オーストラリアのシンクタンク「オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)」はオーストラリア国防上の懸念を表明し、オーストラリア連邦政府による再検討を提言した。

アメリカ海兵隊部隊は過去数年間にわたって、数カ月交代でダーウィン郊外を訪れ、オーストラリア軍による水陸両用作戦能力構築を支援している。アメリカ海兵隊とオーストラリア軍による水陸両用作戦合同訓練も、ダーウィンを中心とする地域で実施されている。

沖縄の海兵隊基地問題が長らく解決しないことなどの影響で、米軍は太平洋地域の海兵隊展開を見直している。ダーウィン近郊における以上の米海兵隊の動きは、その一環である。現在進行中の計画では、2500名規模の海兵遠征隊を定期的にダーウィンに駐留することになっている。

ただし、オーストラリアでは法律によって外国軍の完全な駐留は認めていない。そのため、日本のように永続的な海兵隊基地をオーストラリア領内に設置することはできない。そこで海兵遠征隊は数カ月ごとにダーウィン郊外にローテーション展開する形をとることになっている。

その際、アメリカ海兵隊展開部隊は、ダーウィン港を使用して兵員・資機材の揚陸や、弾薬・食料の補給などを実施しなければならない。現在構築中のオーストラリア軍水陸両用部隊も同様である。

ASPIによると、軍が使用する埠頭そのものは租借契約には含まれていない。ただし、その埠頭に至る道路を含む各種港湾施設は嵐橋集団が管理することになる。

ダーウィン港は、アメリカや友好国の軍艦が毎年100隻以上も使用している。当然のことながら、アメリカ海兵隊やオーストラリア軍からは深刻な警戒の声が上がっている>(以上)

今日は終日、体調不良だった。風邪気味かもしれない。IS菌やら中共菌で地球もふらふらしたままだ。

■11月25日(水)、朝は室温15度、曇、1/3散歩。初冬になった。

三島・森田自刃から45年。押し付けられたGHQマック憲法を「改憲」することができないのならクーデターでガラガラポンし、自衛隊は国軍になるべし、との主張に殉じた。檄文は感動的である。

<我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。

かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。

われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。

シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。

繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。

沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。

われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。

生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。

われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである>(以上)

鳴いて血を吐くホトトギス。血は美しいけれどもイノベーション、レボルーションには至らない。今必要なのはGHQを上回る悪知恵、奸計、ガラガラポンで、内閣で棄憲→同時に暫定憲法公布施行→3年後に国民投票で可否を問う。これで日本人は真っ当な和製憲法を持つことになる。

GHQ憲法とそれに拝跪する憲法学者は汚染物として処理し、「昭和の不思議展」で巡回展示したらいい。併設展示は「洗脳 朝日・岩波があった頃」だな。「売国するは我にあり 朝日の3ホンダ」「懺悔の値打ちもない 共同通信記者の回顧録」なんていう企画も面白そうだ。

三島・森田らの怒り、嘆き、憂国の想いは、GHQ憲法介錯、棄憲、新憲法制定となって収まるに違いない。(2015/11/25)

 
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック