2015年11月26日

◆三島事件の、ある直観的分析

泉 ユキヲ


きのう25日は自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫が自決して、ちょうど45年。昭和45年11月25日。

「三島事件」はなぜ、ああいう展開になったのか。

事件の25年後の平成7年に、西部 邁(すすむ)さんと秋山祐徳(ゆうとく)さんが語り合っている仮説がある。「それって、ありそう」と、耳を傾けてしまった。ご紹介したい。

何に書いてあるかというと、この本の第5章:
西部 邁・秋山祐徳 対談

『ポップコン宣言 偽りの戦後史を書き替える』

(光文社カッパサイエンス、平成7年刊)

絶版だが、Amazonで古本が手に入る。

「ポップコン」はポップコーンとはまったく無関係。

「ポップアート」の「ポップ」と「コンサバ」「ネオコン」の「コン」を組み合せた。強いて漢字訳すれば「民衆的保守」。語義的には「ネオコン」に近い。

■ 引っ込みがつかなくなった ■

まず、西部 邁さん(上掲書163〜164頁)。

 三島由紀夫についてのご発言は沢山あるのですが、その中でわたしがビビッときた箇所を引きます。

≪どんな小さなものであっても政治の場面で言葉を吐くと、たとえばおれは国会に突入してみせるとか、おれは共産党と闘い抜いて勝ってみせるとか、政治の場面で言葉を吐くと、どうしてもそれに責任をとらざるをえなくなる。

ないしは、責任をとらないということはいわば逃亡者になることで、それなりの道徳的制裁を周囲から受ける。≫

≪ちょっとマンガチックに言うと、三島さんのご遺族は怒るかもしれないが、楯の会のあたりで、おれは命を賭けて闘ってみせる、死んでみせる、という言葉を吐いた。

彼は三島ファンに取り囲まれていたわけですから、森田必勝(もりた・ひっしょう)だったかどうかは知らないけれど、「三島さん、そろそろ死ぬべきときが来たのではないですか」と迫られる。

「いや、待て、たかだか学生が新宿で暴れているくらいで、それと闘って死んでみせるというのも、どうも辻褄が合わない。

もうちょっと待て」と三島が言う。

それからまた何カ月かたって、まただれかが、「三島さん、私たちはいつまで待てば命を賭けて闘うことができるのでしょうか。

これから日本に戦争が起こるわけでもあるまいし、日本に強大な共産主義運動が起こる気配もない。

それならば、このままいったら、われわれは死ぬ死ぬと言いながら、自然死か病死で墓に入る顛末になるんじゃないですか。

やはりこういう場面で、命を賭けて闘ってみせることで国民諸君に国民のなんたるべきかを知らしめるべきではないか」と進言する。

そういうことが数度あるうちに、三島はおのれの言葉に責任をもった、あるいはもたざるをえなかった。

だから、死んでみせると言ったから死んでみせた、ということなんだろうと推論してみたわけです。≫

■ プライドが傷ついて ■

次に、秋山祐徳さん。ポップアート作家。

 いまは秋山祐徳太子(ゆうとくたいし)と名乗っておられます。50年・54年には東京都知事選にも立候補した人。

そのときのポスターや記録映像が東京現代美術館の収蔵品展で展示されたのを見て、四国出身のわたしなどは初めて祐徳太子さんのことを知った次第。

近著に『秋山祐徳太子の母』(新潮社)。

銀座4丁目の画廊で行われた出版記念の個展で、わたしも著者署名入りの本と著者のブリキ細工アートを買いました。

その秋山さんの発言から、ビビッときたところ。
上掲書167〜168頁。

≪じつは三島さんが亡くなったとき、直後ですが、ぼく市ヶ谷に行っているんです。現場主義ですから。

そしたらパトカーがいて、今でも目に残っているのは、長い竹竿を持った大きな日の丸姿の民族派の学生がいて、風景的に印象的でね。≫

≪結局三島さんは、バルコニーに出て垂れ幕をたらして、悲痛な声で、こう言っては三島さんに申し訳ないし、三島ファンに怒られるかもしれないが、甲高(かんだか)い声で、緊張してアジるわけです。

学生運動やったりしていた奴はアジテーションはものすごくうまいんだけど、三島さんは正直で、切羽詰まっているから、気の毒でね。

自衛隊員に向かって、おまえらも死ね、闘えということを求めたのだけれど、民主主義の発達した自衛隊のなかで、三島さんは浮いちゃった。

ぼくは見ていて、どう引っ込めばいいんだろう、三島さんはすごく侮辱を受けたなと思った。自衛隊員は「オーイ引っ込め」とか言っている。

あの時点で三島さんは、プライドが傷ついて、一気に死の瀬戸際に行っちゃったんじゃないか。

あの時点で拍手があったりしたら、死なないでよかったのか、それは結果論ですからなんとも言えませんが。≫

■わたしの記憶■

秋山さんの発言を読むと、当時三島由紀夫の演説はテレビ中継されていたのでしょうか。

わたしが三島事件について覚えているのは、朝日新聞の「ひと」欄で三島事件を担当する検察官だったか裁判官だったかが

「事件の背景を理解するために、三島由紀夫作品はこれから読んでみる」と発言していたのに対して、「声」欄の読者投書が「三島由紀夫作品を読んだこともないような人間が三島を裁こうというのはおかしいと、いちゃもんをつけていたこと。

当時11歳のわたしは、「三島由紀夫が好きなひとが裁判を担当したら、かえってまずいんじゃないの?

だから、三島作品はこれから読みます、みたいな人が担するのでいいと思うけど」と「声」欄の読者投書こそおかしいなと思ったことを覚えいます。

三島由紀夫をわたしが読んだのは、恥ずかしながら大学生になってからでした。

■直観的分析に共感する■

三島由紀夫さんは多面的なひと。西部さん・秋山さんの直観的分析こそ、案外真実なのかもしれないなと、亡くなった三島の年齢を11歳もオーバーしてしまったわたしは思うわけです。

三島由紀夫は、端正謹厳をときには装い、あるいは端正謹厳そのものでもあり、そのじつ、じつにお茶目な人でもあった。

 バシッと決めた美意識を貫こうとするウラで、シャイだし、不器用なところもあった。

だから、西部さん・秋山さんの直観は当たっていそうな気がする。

三島由紀夫の天皇観をわたしのことばで言い直すと、天皇は個人の人柄を云々される存在であってはならず、「人間くささ」を一切排除して、日本民族の枠組みを安定させる至高な重石(おもし)であるべきだ、というもの。

わたしは、統治機構のなかに人間臭さ・肉声が混じるとてもだいじなことだと考えているので、三島由紀夫の天皇観には共感できません。

人間臭さを排除した窮極の姿は、すべてが匿名の官僚らによって仕切られること。それこそ、おぞましい世界なわけですから。

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