2015年12月30日

◆杉原千畝は日本国に背いてはいない

泉 ユキヲ


東宝映画「杉原千畝(すぎはら・ちうね)」が上映中だ。予告篇が繰り返し言う。杉原は国家・政府に「背いた」外交官だと。だから観に行く気にならない。

靖國神社社務所が発行している月刊『靖國』の平成20年12月号に、上杉千年(うえすぎ・ちとし)さんが「ユダヤ難民を助けた日本人」と題して、杉原千畝が何を行ったのか、
納得のいく形でまとめておられた。

そもそも、ほんとうに杉原千畝のビザが日本国に背いて発行したものなら、日本国政府はユダヤ人難民に向かって冷徹に「残念ながら、そのビザは違法なもので、無効です」
と言えばいいようなものだ。

上杉千年さんの一文ではじめて腑に落ちるものがあった。

わたしは当時それをブログに紹介した。ぜひ読んでいただきたく、以下転載します。

(メールテキストより読みやすいブログは こちら:「ユダヤ難民を助けた日本人 上杉千年さんの講演録に納得」http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200812290000/


■ なぜ杉原千畝は日本人ゼロのリトアニアにいたのか ■

杉原千畝がユダヤ人難民にビザを出すとき、具体的に外務省からどういう難題を突きつけられたのか、わたし(泉)は勉強不足で よく知らなかった。

ミュージカル「SEMPO」で杉原千畝はユダヤ人難民へのビザ発給を始めるとき「違法なビザを出すつもりはない」とはっきり言う。

外務省側の裁量で受入れ人数に制限があるのを無視したが、とにかく形式だけは満たした、ということのように思われた。上杉千年さんの講演録を読むと、興味深い事実がいろいろ
分かった。

いずれも常識に照らし合わせて腑に落ちるのである。

≪杉原千畝はリトアニアにただ一人で行っているのです、
領事代理として。
奥さんがついて行ってアシスタントをやっているわけです。

一人で行って何をやっているか。領事というのは日本人の保護、貿易、そういうことをやる仕事です。

ところがリトアニアというのは日本人はただ一人もいない。結局、陸軍の要請で外務省が派遣したものだと思うのです。

あそこは第1次大戦以降独立国ですから、ソビエト、ポーランド、その辺の動向の情報をとるということで行っている。それで日本人が行っても情報がとれませんからユダヤ人を使うわけです。

何人かのユダヤ人を使って情報収集している。そこでユダヤとの関係が必然的にできてくるわけです。≫


■訓令は何と言い、本庁はどう指示したか■

う〜ん、なるほど! 

ミュージカル「SEMPO」では、リトアニアはカウナスの街角で出会ったユダヤ少年のソリー・ガノールとの会話がユダヤ人との接点の始まりとなっているが、まぁ 現実は
もっとドロドロしていたろう。

ヒトラーが昭和9年8月19日に総統となりユダヤ人の国外追放を始める。(これまた上杉さんの注記で知ったが、ユダヤ人虐殺が始まったのは昭和16年以降であり、それまでは「国外追放政策」だった。)


≪難民として出てきますから、それに対してどう対処するか。昭和10年にユダヤ人問題に関する帝国の方針が決まる。

帝国政府は、白系ロシア人(【泉注】ロシア革命後、ソヴィエト政権を受け入れずロシア国外に脱出・亡命した旧ロシア帝国国民)に対するのと同じように扱うことに決めたわけです。

どういうことが決まったかというと、日本の勢力圏を通る通過ビザについては250円、日本滞在を目的とする者は1,500円見当の見せ金を示せと。

それと通過ビザについては受け入れるところのビザが要る。

そういうことが、昭和10年3月12日 『独逸(ドイツ)避難民ニ関スル件』という訓令として決まったわけです。≫


ああ、そういうことだったのか。

たしかに、東京の街がホームレスと化したユダヤ人難民であふれたら大変だから、ちゃんと生活資力を持った者だけを受け入れるようにという訓令が出されたのは理解できる。

 そして、杉原千畝の眼前に集結したユダヤ人難民がこの条件を満足できぬことも。


■ たとえて言えば、こういうこと ■


≪杉原千畝が「ビザを発行していいか」と伺ったのに対して、本省からの訓令は「ビザを発行してはいけない」とは一言も言っていない。

「ビザ発行条件にしたがって発行しろ」と。

当たり前ですね。切符を売るのに、切符を売る条件にしたがって駅長は切符を
売るわけでしょ。ただで切符をくれる馬鹿はいないわけです。

そこで杉原千畝は今でいう公務員、官吏ですから、訓令通りやらなきゃいけないわけです。

ところが、ビザの発行条件に合わない人がいっぱいいる。そこで彼はどう考えたかというと「ここでとにかくビザを発行し、条件は日本へ着くまでに満たされればよい」
と。

だから、特例としてビザを発行している。

ウラジオストックに行くまでに、なんだかんだで、ひと月くらいはかかる。
その間に、アメリカのユダヤ人協会から金を送ってくれる。

少なくとも神戸にユダヤ人がおって、ウラジオストックから敦賀に着き神戸に行くので、神戸に滞在している間にはお金がはいる。そこで帳尻があう。

すなわち、東京駅へ行って
「切符を売ってくれ」
「はい、250円」
「カネ、ありません。売ってください。名古屋まで行くと
オバサンがおって金払うで」
「そうか、名古屋で払ってくれるのならええわ」
と言って駅長が切符を渡すようなものです。≫


 これは分かりやすい例えだ!
 規則を作ったひとも、人情駅長も、どちらも悪人ではないのである。


■「命のビザ」後に勲5等をもらった ■

上杉千年さんは、いきどおる。

≪それを、教科書や世の中のマスコミは「ビザを発行してはいけない、と外務省が言った」
と。話が全然ちがうでしょ。

外務省は「おカネを払っている者に切符を売れ」と言っているのですから、当然の言い方でしょ。で、通過ビザですから行き先がいるわけです。

さいわい、オランダの大使が南米の孤島みたいなキュラソー島(【泉注】現在もオランダの殖民地)に行くビザを発行してくれた。もう一つの行き先は上海。上海は自由都市で、ビザなしで行けるのです。

問題はお金ですよね。見せ金。貧乏人もおれば……難民ですから……先付けということで処理した。杉原千畝は非常に偉い人なんです。≫

歴史に残る、話の分かる官僚だったわけですね、杉原千畝さんは。

≪こうして、ユダヤ人がどんどん来るから、ウラジオストックの領事館は困っちゃった。
杉原千畝の発行したビザを持っていますから対応しないわけにはいかないのです。

それでみんな船に乗せて敦賀に来て、日本の内地では軍も警察も県庁も何も干渉しなくて、兵庫県のごときは積極的に保護してやった。それで神戸に落ち着いて。

アメリカへ行ける正規のビザを持っている者はアメリカに行った。無い者は上海へ。どんどん上海へ行くわけです。≫


 日本人の常識からすれば、当時すべての人々が同情心120%でユダヤ人難民に接したと思うのであります。


≪杉原千畝は昭和15年9月に、バルト3国がソビエト領になるから出ていけといわれました。それでベルリンへ9月1日に行くわけです。

杉原千畝は事実上、訓令違反をやったのですが、ベルリン駐在大使から一言も文句がない。
文句がないということは本省から文句言ってきていないということですね。

その後、チェコ・プラハの市毛孝三総領事の後任として栄転していくわけです。そしてどんどん栄転していって、昭和18年に三等書記官になるのですね。

昭和19年になったら勲五等をもらうんです。訓令違反をして処罰された者が昇進したり勲章をもらえる道理がないのです。

すなわち、ユダヤ人を助けるということについては、帝国政府および陸海軍が積極的に認めておったからなんです。≫


■ 昭和22年の失職の理由 ■


≪杉原千畝は昭和22年4月に本国に帰り、岡崎外務次官から呼び出しをうけ、「あなたはやめてくれ」ということで6月7日に馘(くび)になる。

それをマスコミなどは「ユダヤ人を助けた、訓令違反をやったから馘にした」
というのです。

昭和15年のことを昭和22年、しかも戦争終わってから馘にしますか、そんな理由で! 
常識で考えればわかるでしょう。

敗戦によって、外交官の身分の者は半分ぐらい馘になる。外務省、要らないんですから。

ロシア課というのがあるでしょうけど、本国におったのが椅子を占めているから、杉原さんは失業ですよ。

だから 「ご苦労さまでした」 といって割増の退職金が出たというんですね。要するに単なるリストラであったと思うわけ。≫


 上杉千年さんの文章を読んでいて、すがすがしく感じられるのは、いちいち常識に照らし合わせて納得できるからだ。 歴史とは、幾千万の「フツウ」から成り立つ偉大な営みなのだ。


■ 樋口季一郎中将のこと ■

上杉さんの語りで、あとひとつ心を引き寄せられたのが、わたしの尊敬する樋口季一郎中将にまつわるエピソードだ。

 樋口季一郎中将は、昭和13年に少将としてハルピン特務機関長であったときユダヤ人難民の満洲国入りを助け、昭和20年には札幌にいてソ連軍の千島侵略への抗戦を指示した救国の大英雄だ。

≪ユダヤ人を助けた人々は、敗戦後にユダヤ人によって戦犯処刑から助命されました。

樋口季一郎さんは、終戦のとき陸軍中将として札幌にいた。ソビエトは「樋口季一郎というのは、ハルピン特務機関長、さらに札幌では第5軍司令官として占守(シュムシュ)島の最後の戦争をやったから戦犯としてよこせ」とマッカーサー司令部に要求した。

マッカーサー司令部におるユダヤ人たちがすぐさま本国のユダヤ人協会に連絡したとみえて、アメリカのユダヤ人たちが国防省と国務省に圧力をかけた。

そこでマッカーサーに「樋口季一郎を引き渡してはいかん」という指示が来たので、樋口さんは助かった。

しかしご本人(樋口季一郎)は知らないわけです。

ところがアインシュタインの昭和25年頃の来日の歓迎パーティーで、ユダヤ人のミハイル・コーガン氏が内幕を話した。それで樋口さんは「あぁ、そうだったか」とわかる。≫


 樋口季一郎というひとに、泉ユキヲはホレています。どんな 人となり だったのでしょう。 映画「樋口季一郎という男」。ぜひ作っていただきたいものです。

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