2016年01月07日

◆自民に諌言 @

浅野 勝人 (安保政策研究会理事長)



謹賀新春
あけましておめでとうございます。いつも安保研ネット、永田町竹割ネット、本誌関西ネットにアクセスしていただき有難うございます。ことしも元気で頑張ります。よろしくお願いいたします。

さて本題の、「自民に諌言 @ ― 歴史の勉強は、本来、個人でやるもの!」を述べさせて頂きます

去年の暮(2015年)、自民党は近現代史の勉強会「歴史を学び未来を考える本部」を設置して、初会合を開きました。本部長の谷垣幹事長は「政治家が歴史をろくに勉強しないで、近現代史を振興せよというわけにはいかない」と述べたそうです。

この勉強会は、稲田政調会長を中止とする党内右派が、極東国際軍事裁判(東京裁判)の見直しを求めて設立しようとした「歴史検証機関」の代替え措置です。

だから、谷垣幹事長の発言は「そんなに歴史の勉強がしたいのなら、基本をじっくり学びなさい」と諭したのだろうと思われます。

高村副総裁、谷垣幹事長、二階総務会長ら「もののわかった」党首脳が暴走しがちな一部の姿勢を制していますが、報道威圧発言に限らず、党内の若手にはその後も危うい発言が散見されます。

もちろん思想信条は自由です。憲法で定められた基本的人権の中でも最も重要な権利です。特に、国会議員には院内での発言の自由が保証されています。ですから、言論は多様なほど国会が健全な証拠だといえます。

それを前提に申しあげます。

確かに極東国際軍事法廷は、所詮(しょせん)、戦勝国が敗戦国を裁いた裁判で、一方的な側面があります。

私は、平和主義者の広田弘毅を文官でただ一人、6人の軍人と一緒に絞首刑にしたことは許しがたいと思っています。広田は戦争には反対で、当時、親友の吉田茂駐英大使に秘かに働きかけて、戰爭回避に懸命でした。

しかし、戦争反対の立場から為しうる限りの努力をしても、結局、軍部を抑えられず、現に回避できなかった以上、政府首脳としての責任は免れないと自覚していました。ですから、広田は法廷に立つことを拒み、いっさい弁解しませんでした。

広田を徹底取材した城山三郎は、名著、「落日燃ゆ」の最後に次のように書いています。(307頁)

(先に処刑された4人は)「天皇陛下万歳!」「大日本帝国万歳!」とそれぞれ三唱し、刑場へはいった。
広田ら3人の組は、仏間に連行されていく途中、この万歳の声をきいた。

広田は花山(著者註:死刑執行に立ち会う教誨師(きょうかいし)、仏教学者の花山信勝)にいった。
「今、マンザイをやったんでしょう」
「マンザイ?いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣の棟からでも、聞こえたのではありませんか」

仏間に入って読経のあと、広田がまたいった。
「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」
花山はそれが万歳のことだと思い、
「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」といい、「それでは、ここでどうぞ」と促した。

だが、広田は首を横に振り、板垣に、
「あなた、おやりなさい」
板垣と木村は万歳を三唱したが、広田は加わらなかった。
広田は、意識して「マンザイ」といった。広田の最後の痛烈な冗談(著者註:皮肉)であった。

万歳万歳を叫び、日の丸の旗を押し立てて行った果てに、何があったのか、思い知ったはずなのに、ここに至っても、なお万歳を叫ぶのは、漫才ではないか。

万歳!万歳!の声は、背広の男広田の協和外交を次々と突きくずしてやまなかった悪夢の声でもある。生涯自分を苦しめてきた軍部そのものである人たちと、心ならずもいっしょに殺されて行く。このこともまた、悲しい漫才でしかないー

検察側が、アメリカに対する罪状立証のため法廷に出した元駐日アメリカ大使グルーの宣誓口述書には、広田を平和主義者として高く評価し、「軍部によって不運にもその路線を妨げられた」とある。

広田の死刑は、検事団にとってさえ意外であり、キーナン首席検事は「なんというバカげた判決か。絞首刑は不当だ。どんな重い刑罰を考えても、終身刑ではないか」と感想を漏らしています。

こんな出鱈目な東京裁判は見直して、例えば、広田弘毅の名誉を回復してほしいと思います。南京大虐殺の実態分析についても問題なしとはしません。

ですが、ちょっと待ってください。

東京裁判は、高度の政治的判断から「天皇陛下の戦争責任」は問わない配慮をしています。もちろん、アメリカが占領後の日本統治をし易くするために総合的に判断した結果でしょう。

ただ、たとえそれがアメリカにとって都合のいい方針だったとはいえ、戦争責任を負うべき最高責任者の糾弾を避けるべきではないという戦勝国側内部の強い主張を抑えた決定は、発言権が皆無に等しかった当時の日本にとっては極めて重要な事柄でした。

従って、東京裁判の見直しは、昭和天皇の戦争責任の是非に及びます。東京裁判を見直そうという主張は、その覚悟をした上でのことでしょうか。そんな議論は、日本の近現代史をいっそう傷付けるだけです。

私は、東京裁判を改めて俎上に載せて、見直すのは「反対」です。

あの頃、混迷した政局の真っただ中で、超多忙な大平正芳や中曽根康弘、宮澤喜一が、寸時を惜しんで静かに読書をしている姿に畏敬の念を覚えました。

歴史の勉強は、党の部会や調査会で徒党を組んでするものではありません。もともと、政治家個人、個人がするものです。そして、自ら学んだ学識を内政外交に生かすのが政治家のつとめだと私は考えます。(2015/1月6日、元内閣官房副長官)

◆(主宰者より>申し訳ありませんが、石田岳彦先生の 古寺旧跡巡礼 「当麻寺」 Aは、明日、掲載させて頂きます。

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