2016年01月08日

◆憲法違反の安保法制白紙論

宝珠山 昇 



集団的自衛権の主体的・戦略的な行使体制の整備を含む安全保障・国際協 力体制を充実する必要性を、数十年にわたって主張し続けてきた。古くか らの友人・知人たちは、小生のこの姿勢を理解してくれていると思っていた。

しかし、今年の年賀状の一部に「去年は憲法の講座を受講しました。日本 国平和憲法は、国際法の一般原則に沿ったもので、グローバルスタンダー ドに則したものでした。集団的自衛権は間違いなく憲法違反だと確信しま した」、「世の中物騒になってきましたね」、「戦争法を擁護しないで」 などと特記したものがあった。愛国派の常識人が多い小生の友・知人に も、亡国の護憲論などの悪影響が及んでいるのかと残念に思っている。

「頂門の一針」の賢明な読者には、全く不要なことであるが、集団的自衛 権の行使は日本国憲法に違反するものではないこと、これを限定的に行使 できるようにした安全保障・国際協力体制の改正法を「戦争法」などとし て批判する論者・政党の言動は基本的人権を軽視した憲法違反行為であ り、善良な国民を誤った道に誘導していることを、改めて述べさせていた だきます。

日本国憲法の基本的特徴は、国民主権、基本的人権の尊重、戦争の放棄で ある。この中で至高の基本理念は、第97条にも記述されている「人類の多 年にわたる自由獲得の努力の成果である基本的人権」である。これは、人 類が、部族、民族、宗教、国家などの闘争経験などから得た教訓の結晶で ある。

象徴天皇制の採用、戦争の放棄、議院内閣制、司法権の独立、地方自治の 保障などは、第3章に規定している基本的人権を最大限保障・享受するた めの制度・手段の体系である。

戦争の放棄につては、諸説あるが、主権国家で構成されている現在の世界 において、独立国家の憲法が自衛のための武力行使を放棄することはあり 得ない。

しかし、政府は「我が国が国際法上、国連憲章第51条による個別的及び 集団的自衛権を有していることに疑いはないが、我が憲法の下で認められ る自衛権の行使は、我が国に対する急迫不正な侵害に対しこれを排除する ためとられる必要最小限の範囲のものであるから、個別的自衛権の行使に 限られる。すなわち、我が国は、憲法上、集団的自衛権の行使を認めてい ないと解している」などとして、自衛権の行使を制限してきた。

これは、古からの数多の被征服民族、敗戦国などの歴史に見られるよう に、食うや食わずの困窮下に追い込まれている国民を、他国の戦争に動員 し奴隷的に酷使されることを拒み、基本的人権を保障する効果をもった、 この時代の安全保障環境とわが国の実情を踏まえた適切な選択であった。

これらは、また、世界の指導的国家が、特に同盟国の米国が、圧倒的な力 を持っていた戦略環境の中で、その庇護の下で、戦後復興などに諸資源を 傾斜配分する我が儘を許されたことによるものである。しかし、今は違う。

現代は、核兵器、大量無差別破壊殺傷兵器、高性能ミサイル、などの拡散 は続き、戦場は宇宙にまで拡大するなどして、いかなる大国も単独では国 民の基本的人権を保障できない時代である。

わが国の唯一の同盟国・米国の力は相対的・傾向的に低下している。覇権 国家、多民族・移民国家などに特有のテロリストの脅威にも悩まされ、世 界各地、特にアジアで、強大な挑戦を受けている。今も最強国であるとは いえ、諸国から期待されている「世界の警察官」の役割は果たせなくなっ ている。「米国による平和」は細り続けている。

欧・露の諸国は、古くからの地政学的対立を顕在化させ、地域内の内部矛 盾・対立なども孕み、国際的な指導力・対応力は弱まっている。

世界の原油供給基地、中東では、古くからの宗教的対立、イスラーム・ア ラブ諸国のキリスト教諸国の支配からの脱却運動、などが活発化・過激化 し、大国などの資源獲得戦略が絡まり、混迷の様相を深めている。

わが国周辺、アジアでは、中華帝国の再現を夢見ているような巨大な無法 独裁国家、領土拡張、民族浄化も厭わない国、これらに同調する国、わが 国の富、技術、領土などを狙う国家などが存在している。

これらの蛮行の被害を受ける周辺のインド、東南アジア諸国などの対応力 は成長途上である。これらは、我が国の動脈、西太平洋、インド洋などの 海上交通路、交易体制の安全を脅かすものでもある。

これらの脅威を抑止し、秩序を確立する力は誰も持てなくなっている。国 際連合は十分に機能しない。米国を中心とする民主主義諸国などが結束・ 協力して、世界の法秩序を建設して行く以外に道はない。

わが国は、世界有数の裕福な国に復興している。TPP交渉などに見られる ように、主体的・戦略的に諸権利を行使し得る自由民主主義国に到達しつ つある。

このような中で、日本国民が基本的人権を不断に享受して行くには「不断 の備え・努力」が必要、それは単独では不可能なこと、相互協力・援助の 集団安全保障体制の強化が不可欠である。

これを充実しようとしているのが昨年の国会で成立した安全保障・国際協 力関連法である。これらは、我が国に対する侵略などを未然に防止する、
「物騒な世の中」にならないようにするための措置・施策である。

これを「戦争法」などと批判し、「白紙」に戻そうなどとするのは、亡国 の言動、基本的人権を軽視した、憲法第12条、第99条等に違反する行動で ある。

確かに、他国の戦争に巻き込まれるのは防止しなければならない。「存立 危機事態」であるかどうかの判定は、困難なもの、判断が分かれるものも あり得る。その判定の最終的責任は、国権の最高機関が負うべきものである。

他国の戦争への「巻き込まれ防止」は、行政府の安全保障関連法の運用を 監視する能力を向上することによって達成すべきもの、憲法解釈論争など によってではない。(2016年1月7日)



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