2016年01月17日

◆続々「友とのメール」その A

浅野 勝人 (安保政策研究会理事長)



新平家物語 = むさぼり読みました!

読了しました。暇を見つけては、むさぼり読むこと50日。「日本人に生まれてよかった」これが、新平家物語を読み終えた“私の読後感”です。

作者の知性と読む者の思いが1行ごとに交叉して、自分が日本人であることをかみしめさせてくれました。一行一句疎(おろそ)かにしない15万行に出会えたのは幸せでした。

壇ノ浦の最終場面で、源平双方の総大将が対峙します。

義経が、つと進んで、相手の眸(め)へ、その全姿を与えたとき、知盛もわれから少し歩み出ていた。星明りの下、およそ10歩ほどをおいて二人は相見た。どっちの顔もその夜の夜空のようにぬぐわれていた。なんらの敵愾心(てきがいしん)や恨みを残している風でなかった。

「権中納言(著者註:知盛)どのとは、其許(そこもと)にてあるか。さても、きょうはよく戦われしも、お志も空(むな)しゅう、さだめし残念なことでおわそう。− 名をいうも恥と仰せあったが、さすが入道どの(著者註:平清盛)のおん名はけがし給わぬ軍(いくさ)をなされしよ。義経こそ、ただ潮(しお)幸(さち)に乗って勝ったるまでのこと」

「その仰せ、勝者のお口より伺うこととて、一しお欣(うれ)しく存じ侍(はべ)る。おなじ敗るる軍、亡(ほろ)ぶ平家の運命(さだめ)ならば、其許のごとき大将の手にかかりしは、せめて一門の者にとっても菩提の扶(たす)けとなり申さん。この知盛までも、今は思い残す何事もない」

「いや、すがすがと仰せあれど、お心の底は察し入る。義経にさえ、恨み多き戦の始末であったものを。・・・かばかり、罪なき人びとまでを、死なせんとは、本意でもなかったに」(17巻、290頁)

源(げん)判官(ほうがん)義経と言葉をかわし終えた知盛は、錨を抱いて海中に消えます。平家のダメ公(きん)達(だち)の中にも武士(もののふ)はいた。両者のやり取りに武士道の萌芽を見て、日本人のすがすがしさを秘かに誇らしく思いました。

吉川英治が新平家を書いた頃は、敗戦の荒廃からやっと立ちあがって、復興から高度成長に向かおうとする時期と重なります。

吉川英治は、おそらく、戦争の悲惨な代償がどれほど無辜(むこ)の人々を苦しめ、戦後の後始末が勝者にとってさえ、なんとむなしいものか、
新平家物語は、「戦争の愚かさ」と「平和の尊さ」を書き綴ったメッセージだったと私は確信します。

貴兄が歌舞伎で一番好きという20巻の「安宅(あたか)ノ関」「安宅ノ関・その二」「野々市(ののいち)殿」「勧進帳(かんじんちょう)」の武蔵坊弁慶と関守の冨樫左衛門尉(とがしさえもんのじょう)泰家との丁々発止のやり取りと暗黙の心の交流は、興味深く読み返しました。ことさら、都落ちして逃避行を続ける義経一行への作者の思いが滲(にじ)んでいます。
 
あれこれ、思い合わせると、自分も、何かの宿縁に、(著者註:義経と)つながっている一人と思わずにいられない。泰家は、さっきから、涙を外に見せまいとし、そのため、いっそう容儀(著者註:姿勢を正しくすること)をかためていたのであった。

そして、ひそかには、問答坊(著者註:詰問役の坊主)に対する弁慶の答えが、見事とも、賞(ほ)めてやりたいほどに思われていたのである。ほっと、自分までが、救われた気がしたのだった。(20巻、275頁)

10名足らずで逃避行を続ける義経、弁慶の一行を、首取るまで追求の手を緩めない腹違いの兄、頼朝の「義経恐怖心」がだんだんと分かってきます。

若い戦略の天才、作戦・戦闘の名人、生死を共にする腕っこきの側近、人望厚い行政官に対して、なぜ、戦わずして都落ちしたのか、兄との戦闘だけは避けたい義経の理想主義を理解できない頼朝にとっては、いずれ台頭してくる唯一の強敵としか映りませんでした。


保元、平治の乱から一ノ谷の逆落とし、屋島、壇ノ浦に至る悲惨を極めた必然的な源平決戦よりも、義仲、頼朝、義経による源氏の骨肉の争い、内ゲバにむしろ哀しい人間の性(さが)を見て、心が痛みました。

本来、勝ち目の薄い戦闘にことごとく圧勝した“ 戦(いくさ)の名人 義経”は、「願うらくは、戦(いくさ)なき国で暮らしてみたい」と念じます。

「それが、義経を勝者から敗者へと転落させていく。戦うことを止めた義経の生き方は、覇者を握った頼朝の側から見れば、みじめな敗北であったものの、文化史的な観点からは圧倒的な『勝利』だった。なぜならば、義経は政治的な『勝者』から『敗者』への変貌のプロセスで、珠玉のような武士道を生み出したからである。」という巻末書評、島内景二の解説に100パーセント満足します。

だから、日本人は誰もが義経の贔屓(ひいき)で、「判官(ほうがん)贔屓(びいき)」という造語を生んだのだと思います。

貴兄が、本文もさることながら、各巻ごとの島内景二氏の書評を
ゆるりと味わってほしいといった意味が分かりました。

行きがかり上、古典「平家物語」を遮二無二読まざるを得なくなりました。幸い、半世紀前、駆け出し記者の頃、安月給叩いて買いそろえた「国民の文学」(谷崎潤一郎、川端康成監修、河出書房新社)全18巻のなかに中山義秀訳の平家物語が、保元物語、平治物語と一緒に収録されています。

なにか、肩の荷を下ろした気分です。
(2016/1月14日、浅野 勝人)

◆返事:(2016年1月15日、吉川 英明氏から)

ツボを押さえて読んでくれました!
 これまでのお付き合いの経験から、貴兄の読書のスピードは凄いものだと感じていましたが、さすがに暮れの繁忙期の全20巻は大変だったようですね。それでも丁寧な読後感を拝読し、ツボを押さえて読んでくださったと感謝しています。
 
「新平家」は、私が中学一年の時から大学二年までの7年間という長期連載でした。戦後5年間、長編らしい小説はほとんど書かずに構想を練ったうえで、ある種の覚悟を抱いて書いたのが新平家です。

ですから「戦争と平和、そして人の世の幸せとは何かというテーマを、800年前の戦乱の時代に塗りこめた大作を書き綴る」という意気込みを持って臨んだようでした。
 
「武蔵」を書いていたころの父の書斎の姿というものは記憶にないのですが、「新平家」執筆時代の父の仕事ぶりは、私自身の少年期から青年期にかけてのものだけに、強烈な印象を持っています。
 
貴兄(浅野氏)の「一行一句疎かにしない15万行に出会えたのは幸せでした」というご感想、何よりも有り難く感謝します。(吉川英明)

(吉川英明氏は文豪・吉川英治のご長男。半世紀余り前、浅野とNHK同期の記者)

<註> 友とのメールは、浅野勝人著「融氷の旅」(青灯社) 3章「ネット随想:友とのメール」などがある。
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