2016年02月14日

◆「ワッハ上方」は浪花文化保全館になれ!

早川 昭三



「大阪のお笑い文化の魅力」を継承していこうと、平成8年にオープンした府立上方演芸資料館「ワッハ上方」は、落語や漫才、講談など上方演芸に関する資料、およそ6万8000点を集めた。中には、初代桂春団治の羽織など目を引くものがあったが、当初は資料分類の整理が十分にできていなかったため、円滑には進まなかった。

このため、大阪府は、数々の資料の価値を検証したうえで、有効な活用策を打ち出したいとして、創建直後、芸能史の研究者などの委員会を発足させた。

協議の肝腎な事は、府立上方演芸資料館が存続するのは、大阪府が古典芸能人の遺産を、古典芸能人の遺族や固有芸能遺産を所有する民間の人が差し出すことを目標にして、いつ潰れるか分からない「民間博物館」にしてはならないという意見に集中した。

委員の1人が「上方演芸も学術的な研究を深める時代になってきた。それに役立つよう整理を進めたい」と皮相的な話をしている。浅薄は意見だった。

とにかく大阪府が前面に押し上げなければならないと、「伝統浪速文化遺産」をしっかりと保たれるはずはない。完全保存と提供に賛同する人々の意向がなくては、貴重な財産を提供する事態は起きないことになる。
そもそも、浪花伝統文化の価値そのものを、「税金の無駄遣い」の次元で考えること自体がおかしいことに、当時松井知事も分かっていなかった。

つまり、「税金の無駄遣い」という次元ではなく、税金で負債を補ってでも、浪花伝統文化を守ることが大阪府の役割であることに、知事は分かっていなかったのだ。

そこで、焦点の「なんば千日前のワッハ上方」の場所に、どうして当時の大阪府の担当者達が苦労を重ねて創設したのかについて、これから追々。

「ワッハ上方」とは、大阪で生まれて育った上方演芸の興りとその演芸の主導役割を果たしてきた名人たちの軌跡(遺品など)を一同に集めたもので、上方演芸を歴史的に正面から捉えて評価した画期的な「殿堂」と言っていい。

「ワッハ上方」のある「なんば千日前」は、「大阪演芸文化」の発祥地であり、道頓堀界隈の近辺にある。言い換えれば「ワッハ上方」は、大阪演芸文化発祥地の側にあるといっても言い過ぎではない。

発祥地となったのは、道頓堀で芝居小屋が建てられたことから始まる。1626年(寛永3年)安井九兵衛が、初めて道頓堀に芝居小屋を建てたのをきっかけに次々と小屋が出来て、人形浄瑠璃や歌舞伎が興業。「五座」と呼ばれたのは、江戸時代末期からで、明治以降は中座、角座、浪花座、弁天座(戦後文楽座、朝日座と名称変更)、旧朝日座をそう呼んだ。
 
戦前までは、この「道頓堀御座」に人並みがあふれ、芝居茶屋が並べた。ところが楽しみもつかの間、昭和20年3月の大阪大空襲で総てが焼失。

戦後になると、娯楽に飢えていた浪花っ子たちが、どっとこの道頓堀界隈の「五座」あとに押しかけ、復興された「中座」が、大入り満員となった。

しかし、戦後に現れた「映画劇場」に人気を奪われ、昭和59年には芝居小屋の道頓堀から、文楽の朝日座、演芸場の角座が相次いで姿を消した。

芝居小屋の激減で道頓堀界隈は様変わりしたが、それでも「演芸」の原点は、この地でであったことは誰もが認めるところだ。

重要なことは、その発祥地の近くに「ワッハ上方」建てたのは、吉本興業が大阪府の趣旨に賛同し積極的な協力があったことだ。

自社用地の「金毘羅宮分社跡地」に自費で複合ビルを建て、4階に「ワッハ上方」を大阪府が作ることに賛同してくれたのだ。こんな吉本興業の協力が無かったら、今の場所に「ワッハ上方」は存在していない。

しかも「ワッハ上方」は、吉本興業の有名な「なんばグランド花月」の目前に建て、同劇場の観覧客を「ワッハ上方」へ流れ入れるような位置関係に設えてくれたことも、この上もない計らいであった。

予想通り大阪府経営の「ワッハ上方」名は広がり始め、演芸に関する膨大な歴史的資料を蒐集し保存する呼びかけを行うと、名だたる演芸名人の遺族から、「三味線、締太鼓、バチ、衣装など」遺品の永久保存の依頼や持ち込みが殺到し出し、当時の「ワッハ上方」の基盤を創り出したのだ。

加えて演芸愛好者や、演芸品収集家からも寄贈の申し入れが相次いで「資料館」は展示品で満杯となり、これに取り組んでいた当時の大阪府幹部・担当者を感激させた。

永久保存の依頼や寄贈の申し入れは、あくまで大阪府という自治体が「保存」するという「保証」があったからこそ、「演芸の宝」を保持している名人たちの遺族が感銘し、永久保存を次々と依頼してきたものである。

もし、保存者が自治体でなかったら、現状のように膨大な「展示品」は集まってはいない。

「ワッハ上方」の意義はそこにあり、寄贈者が演芸活動家の軌跡を後世の人々に残しておきたいという切なる気持ちの表れもこれに繋がる。

なぜ、大阪府はもっと真剣な集品策になぜ取り組まなかったのか。「赤字」経営の結果のみを前面に打ち出して、「ワッハ上方」自体を「軽視」を決めるという当時の論理は、残念ながら今も変わっていない。

ともかく、地元の伝統文化振興行政の正常化に取り組むことを、「芸能専門家などでつくる委員会」が、これからでも画期的な浪花文化保全維持策を決めて、知事の「論理と伝統維持」を打破し、再経営構築の進め方に乗り出すべきでだろう。
以上

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