2016年02月26日

◆亡国招いた支那の技術軽視

平井 修一



著作家・宇山卓栄氏の論考「世界遺産で見る、宗教で栄えた国・滅びた国」(東洋経済2/21)から。

<ピラミッドやアンコール遺跡群は、宗教が経済を牽引した成功例として、今日に残っている遺跡ですが、宗教によって、国が崩壊した失敗例として残る遺跡もあります。その代表が北京の紫禁城です。

紫禁城は15世紀以降、約490年間、明、清王朝時代の王宮でした。現在では、「故宮」と呼ばれます。約72万m2、東京の皇居の約3.5倍に相当する広大な敷地に、9000近くの部屋があります。

中国では、北極星を「紫微垣(しびえん)」と呼びます。絶対中心・動かざる天を意味する「紫微垣」から、「紫」は皇帝を表す文字となります。皇帝の宮殿を表す「紫宮」と、庶民の立ち入りを禁じた「禁地」を重ねた「紫宮禁地」から、紫禁城と呼ばれるに至ります。紫禁城で、皇帝は絶対権力を行使し、中国全土に指令を発しました。

明、清王朝は儒教を国の宗教として定めました。儒教は、君主と臣下のわきまえるべき分を説く「君臣の別」と呼ばれる考え方を持ち、臣下に絶対的な服従を求めます。この考え方は、中国を中心とする周辺諸国に対し、中国への服従を求める中華思想として強化されていきます。

*交易のチャンスを逸す

紫禁城の中央に、太和殿、中和殿、保和殿の三大殿が並び立ちます。太和殿は三大殿の正殿で、歴代皇帝の即位式をはじめとする宮廷の重大な式典を行った場所です。式典が行われる際、太和殿前の広場に官吏たちがずらりと並び、一斉に「三跪九叩頭の礼」を行います。

「三跪九叩頭の礼」とは、臣下が皇帝に対面するとき、3度跪き、そのたびに3回ずつ頭を床につけて拝礼するという儒教的な儀礼です。

18世紀に君臨した乾隆帝は、イギリスから交易を求めてやってきた使節に「三跪九叩頭の礼」を求めます。しかし、イギリスの使節はこれを拒否し、乾隆帝の不興を買います。

イギリスの使節団は、交易品として、ゼンマイ式時計、オルゴール、小型銃、機械人形、機関車模型などを持って来ました。それらは、機械化を国策としているイギリス独自の技術力を示すモノでした。

乾隆帝はこれらのモノを見て、「浅はかな工作人の思いつき」と笑ったようです。乾隆帝は、「お前たちの国には貧弱なモノしかない。われわれが欲するモノは何ひとつない」と言って、イギリス人を追い返しました。

*なぜ、中国は変革できなかったのか

当時の乾隆帝をはじめとする中国の支配者層は儒教的な世界観を強く有し、君臣序列の礼を国際関係にも当てはめました。大国の中国は諸外国を従属させ、世界秩序の中心とならなければならないとする中華思想を持っていたのです。

中華思想に取りつかれていた中国の支配者層は、イギリスが発明した銃や産業機械の有用性を正しく理解できず、小ざかしいとさえ考えました。

イギリスの科学史家ジョゼフ・ニーダムは大著『中国の科学と文明』の中で、中国人が発明した火薬を、中国人自身が銃や大砲として、実用化できなかったのは、技術革新という新規なものに対する潜在的な不信感があったからだ、と述べています。

儒教的な因習や伝統に固執する中国人にとって、新しいものは伝統基盤を破壊する忌避すべきものと映ったのです。乾隆帝は献上されたイギリス製品の価値を理解できなかったのではなく、理解したくなかったのでしょう。

儒教的な中華思想が、中国の変革へのチャンスを奪い、衰退への道を決定的にし、その後、欧米列強に支配される原因となります。紫禁城の奥深くに住み、「紫微垣(動かぬ天)」と崇められた皇帝は儒教秩序に固執し、世界の鄒勢を見極めることができなかったのです>(以上)

日本は新技術にすぐに飛びつき、ヨーロッパ製の鉄砲に出あうと、「これはすごい、これからは鉄砲の時代だ」と鉄砲鍛冶が発達、瞬く間に世界有数の鉄砲輸出国となった。好奇心が旺盛で、創意工夫が大好きなのだ。

<鉄砲伝来後に、日本で最初の鉄砲鍛冶で呼ぶべき人物は、天文12年(1543年)に種子島において鉄砲の生産に成功した八板清定(金兵衛)らであったとされている。

螺子(ネジ)の技術など当時の日本では知られていなかった技術が用いられていたため、八板らは苦心をして鉄砲を製作したことが知られているが、要領が明らかになると比較的単純な技術をもって製作が可能であったことから各地に生産が広まった。

種子島以外では和泉国の堺、紀伊国の根来、近江国の国友及び日野などが代表的な産地であったが、他にも備前国の長船や城下町である鹿児島、仙台も知られた>(ウィキ)

支那でも同時期には鉄砲を入手しただろうが、鉄砲鍛冶が発達したようには思えない。鉄砲は軍事革命をもたらす、これからの戦争は刀槍弓矢ではなく鉄砲が主役の時代になる、と日本の武士や大中小名は大いに刺激され、興奮したが、支那ではそういうことはなかったのではないか。

支那は1990年代からの高度成長期においても、新技術をパクル、模造することに熱心ではあったが、技術を学び、改良し、革新することはほとんどなかったのではないか。

変化や成長のチャンスが目の前にあっても「中華思想に取りつかれていた中国の支配者層は、イギリスが発明した銃や産業機械の有用性を正しく理解できず」に自滅するという構図は今もまったく変わっていないように思える。

結局、モノヅクリに夢中になって寝食も忘れる日本人のような職人、技術者を軽視するのが漢族の民族性なのかもしれない。詩や書画に夢中になる文人こそが貴族の理想であり、力仕事なんぞは下郎のやることだと蔑んでいるのだろう。

民族性はまず変わるものではないから、支那は昇降を繰り返すのだろうが、今年から数年間は下降し、低迷していくことは間違いない。売り物が唯一「安い労働力」で、今は少しも安くはないから、売り物ゼロ。復活はあり得ない。自業自得だ。(2016/2/22)


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