平井 修一
在中コンサルタント・田中信彦氏の論考「カネの切れ目が縁の切れ目“利益配分社会”の強みと弱み」(WISDOM2/26)は支那で暮らさないと分からない生の情報を伝えて大変興味深い。以下紹介。
<*「反腐敗」は賞味期限切れ
今年は2月8日が旧暦の元日で、その前後1週間ほどが休日になった。例年のごとく妻の実家である江蘇省無錫に帰って、親戚や友人たちと飲み食いしながら世間話をした。そこで気がついたことのひとつは、習近平政権の人気が急激に落ちていることだった。目玉である反腐敗、汚職摘発に対する評価が非常に厳しくなっている。ある友人は言う。
「反腐敗は良いことだ。成果は認める。ただ汚職の摘発はそれが目的ではなくて、人民の生活を向上するのが政治だろう。ところが現状はどんどん悪くなっている。早く暮らしを良くしてもらいたい」
また別の友人は「反腐敗だと胸を張るが、“汚職をしない”のは海外なら当たり前で、何も褒められた話じゃない」と手厳しい。
要するに新たな指導者が新鮮味を持って迎えられた「反腐敗」の賞味期限が切れ、人々はもっと生活の向上実感を伴った成果を欲しがっているのである。
同政権の誕生は2012年。翌13年初め、党中央の会議で「大トラもハエも一緒にたたく」と宣言、地位の上下を問わず、腐敗を厳しく取り締まることを宣言した。
以来、従来なら想像もつかなかった「雲の上」クラスの人物を次々と汚職容疑で断罪し、大臣や次官、県知事クラスの摘発は数えきれないほどである。報道によれば、汚職容疑で処分された党幹部は13年7700人、14年2万3600人、15年3万4000人にのぼり、この動きは今でも続いている。
こうした大胆な動きは世間の喝采を浴びた。一種の「水戸黄門」現象であろう。同総書記の声望は高まり、「この指導者は違う。何とかしてくれるのではないか」という期待を多くの人が持っていた。ところが政権も4年を超え、「反腐敗」では確かに成果を上げたものの、景気はいっこうに良くなっていない。
*恐れて働かない役人たち
中国には共産党員だけで9000万人近くもいて、多くが政府の幹部を兼ねる。外食産業の市場規模は日本円で40兆円とも60兆円ともいわれる。「反腐敗」の取り締まり、公務員の贅沢禁止令のおかげで高級レストランの客は激減、高級酒やタバコなど贈答品、高額ブランド品などの売り上げが大きく落ち込んだ。
その影響はもちろん甚大だが、人々の現在の不満はもっと深刻なところにある。
インフラ関係の国有企業を顧客に持つ別の友人は、許認可権限を有する地方の役人との付き合いが多い。旧正月前、彼は旧知の役人のところに挨拶に出向いたのだが、改めてわかったことは、とにかく誰も仕事をしていない。
出勤はしているが、働いている風を装っているだけで、新しいことは何もしない。責任が伴うような決定もしない。だから役所の仕事は前に進まない。こんな状態がもう1年以上続いているという。
お役人の立場にしてみれば、仕事をすれば何がしかのリスクが発生する。仕事には予算が必要だから、多かれ少なかれおカネが絡んでくる。「無駄なカネを使った」とか「業者と癒着している」などと痛くもない腹を探られるのは嫌だし、そこに派閥や政治が絡むと何が起きるかわからない。
怖いから、何もしない。上司から現場の担当者まで揃ってそんな様子だから、「何もしない」ことを理由に処分することもできない。そういう状態らしい。
何もしないのだから、確かに悪いことはしていない。以前だったら年末に役所に出向けば、そこにはさまざまな「阿吽の呼吸」があった。ところが今はモノも一切受け取らないし、会食にも行かない。コーヒー一杯すら自腹だという。この友人も「お茶を飲んで雑談して、そのまま帰ってきた」と苦笑していた。
*仕事の「うまみ」とモチベーション
こうした役人の「不作為」の問題は中国のメディアでも取り上げられていて、「やる気のない役人は徹底的に処分する」といった警告も発せられてはいるのだが、なかなか効き目がない。そこにはもちろん前述した「腐敗取り締まり恐怖症」ともいうべき役人の萎縮、自粛という事情もある。
しかし、そのさらに根底には、中国社会に存在する暗黙のルール、モチベーションの在り処みたいなものが、「反腐敗」の徹底で崩壊してしまったという事情が関係している。
しばらく前になるが、この連載の第43回で「リーンな日本、ファットな中国〜中国式利益配分の仕組みを考える」という話を書いた。「リーン(lean)」とは「痩せた、細い、脂肪のない」という意味で、反対語は「ファット(fat)」だろう。
かつて世界を風靡した日本的な生産の仕組みが「リーン生産システム」と呼ばれたように、ムダを極限まで削り、贅肉のない効率の高い仕組みをつくるのが「リーン」である。
日本人はこの「リーン」が好きで、得意であり愛着もあるのだが、中国社会はまさに逆で、極めてファットである。中国では製品の付加機能でもサービスでも、さまざまなものが付け加わって、どんどん華々しく派手になっていく。スラリと光る日本刀の切れ味が日本だとするならば、何でも盛り込んだ賑やかな宝船みたいな感じが中国である。
組織も同じで、日本人は組織の構成はできるだけリーンにして効率を高め、団結して敵陣に切り込んで分配のパイ自体を大きくしようとする。しかし中国の組織は、もちろん究極の目的は同じだが、それにはまず個々の部門や構成メンバーの取り分をきちんと確保し、それぞれに「うまみ」があるようなファットな構造にしないと、そもそもメンバーのやる気が出ない――という傾向が強い。
ここで言う「うまみ」とは必ずしも不正な利得ではない。給与や賞与の額そのもの、ポストに付随する権限、ステイタスとしての部屋や車、出張時の待遇、交際費の額、協力会社からの接待やリベート、キックバックなどの類、家族や親族に対する優遇、社員旅行や運動会、忘年会や誕生会の類、会食の機会――などすべてが含まれる。
こうしたさまざまな「脂肪分」が自分の周囲に漂っていないと、中国の人々は居心地良く感じない。これはどちらが良い、悪いという話ではないが、中国で組織を運営してみてわかるのは、とにかく組織がこういう「おいしい」つくりになっていないと、なかなか人がモチベーションを高く持って働いてくれないということだ。
*壊れた「利益ドリブン」の仕組み
もちろん中国社会でも汚職は悪である。しかし現実には役人の世界もファットな構造になっていて、それが個々の役人の働くモチベーションになってきた面がある。上述した連載第43回の一説を引用する。
仮に道路を100m作るごとに、ある役人の懐に1万元のお金が入る仕組みになっていたとしよう。それが半ば常識化していて、露顕して罰せられる可能性もまずないとなれば、これは一種の仲介手数料のようなものである。
役人たちは競うように道路を作ろうとするだろう。公共事業はものすごい勢いで進むに違いない。もちろん老人ホームの建設でも、小学校の教育機器購入でも構図は同じである。
中国で驚くようなペースで道路や鉄道などインフラの整備が進み、驚くほど立派な公共施設が続々と建っていくのは、地方政府のメンツや大国としての虚栄心みたいな部分もあるが、より多くはこの「汚職という名のインセンティブ」のシステムが機能していることによると見て間違いない。
現政権の苛烈なまでの汚職取り締まりで、こうした役人の世界の「利益ドリブン(利益によって引っ張られた、平井:driven=駆り立てられた)のモチベーション」の仕組みが崩壊してしまった。
もちろんこうした構造に支えられた政府は望ましいものではないが、現実にそうしたやり方が長く機能していた以上、その前提になっていた「やる気」の源泉を取り除いてしまえば、仕事は止まる。
つまり、いま中国の政治・行政のシステムが直面している問題とは、汚職・腐敗という(ファットな)「手数料システム」に支えられた仕組みから、いかに「国家のため」「人民のため」という健全なモラールに依拠した仕組みに切り換えるかということである。
ただ、当然ながら官僚や役人たちは最大の既得権益者であって、自らの利益を支えてきたやり方をそう簡単に改められるはずもない。かといって数千万人に達する役人の総入れ替えもできない。
現場の役人たちの半ば公然たるサボタージュが続く一方、中央にとって最大の拠り所だった民衆の支持がここへ来て急低下してきて、中国の政治は両翼のエンジンが機能不全に陥りつつあるように見える。
*「仕事の配分」と「利権の配分」
日本にも江戸時代には、松平定信の倹約令などによる生活のしづらさを揶揄した「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」などという狂歌もあったそうだし、「水清ければ魚住まず」という言葉もある。過度の清廉な政治が機能しにくいのは万国共通だろう。
しかし中国の「反汚職」が難しいのは、もともと中国社会全体が「利益ドリブン」で動く傾向の強い社会だからである。
中国でさまざまな企業を見ていると、そこにはマネジメントの文化に日本とは大きな違いがあることに気がつく。それは一言で言えば、日本の経営者やマネジャーは社員や部下に「仕事」を配分しているのに対し、中国の経営者やマネジャーは同じく社員や部下に「利権」を配分しているということである。
では「利権の配分」とは何か。
商売の世界で言えば、「仕事」とは「利益を上げるためにやるべきこと」である。日本の経営者はそれを部門や個人に切り分けて、「この部門の仕事はこれ」「あなたの仕事はこれ」と割り振る。そして、部門や個人はその仕事を遂行して、あがった利益の中から分配を受ける――というのが「仕事」を軸にした考え方だ。
一方、「利権」とは、その商売をすることによって得られると想定されているメリット全体を指す。そこには金銭的なもの、役得、名誉などすべてが含まれる。中国の経営者やマネジャーは、この「利権」を各部門や個人に切り分けて、それを割り振るという考え方をする。
*「縄張り」を割り振るという発想
もう少し具体的に説明しよう。仮に1年間に100台の自動車を売る販売会社があったとする。中国のマネジメントでは、これを「100台の車を売る(ことによって利益を上げる)利権」としてまず認識する。そして、その利権を、A課が40台、B課が30台、C課が30台などと部門ごとに分割して、与える。
この「周囲の人間に利権を与えることができる能力」がリーダーとしての力の源泉である。各部門のマネジャーは同様に自分の部下に対して「A君は○台、B君は○台、C君は○台」などと、「車を売る権利」を割り振り、与える。
つまり中国的マネジメントでは、個々の成員が自分の力で利益を上げられる「縄張り」をボスが割り振る――と言ってもいい。そこでどのような方法で利益を上げるか、それは個々の裁量に任されている部分が大きい。そういう発想に中国人は慣れている。
それに対して日本のマネジメントでは、個々の成員に割り与えられるのは「役割」であって、その仕事の進め方も一定の枠組みが決められている。その役割を演じさえすれば、場合によっては成果が出なくてもある程度の報酬がもらえたりもする。
前述の自動車を100台売るという例で言えば、「車を5台売る」という行為を前にして、中国の営業パーソンは「自分はこの“利権”を使って稼ぐ権利を与えられた」と認識し、定められた“上納金”さえ払えば、どうやって売るかは自分の範疇の話だ」と理解する。
一方、日本の営業パーソンは「5台売るのが組織の中の自分の役割だ。この仕事を完遂すれば会社から報酬がもらえる」と認識する――ということだ。
自動車には一定の相場があるから、この2つの売り方は終わってみれば似たような収益構造になるかもしれない。しかしそこにおける個人のモチベーションの在り様は相当に異なる。
車を売ることが「利権」だと考えれば、自分が車を売る「権利」を確保し、なんとか利権を伸長しようと考えるだろう。しかし車を売ることが「役割」だと考えれば、販売量を増やすよりは「その仕事を達成する」ことや「自分の職責を果たす」ことに第一の優先順位を置くようになる。
日本人にとって中国でのマネジメントが難しいのは、まさにここに理由がある。
*「カネの切れ目が縁の切れ目」
役人の汚職の問題は、根底部分でこうした中国社会の発想に基づいている。中国では役人であっても、その部門、各個人に割り与えられているのは「仕事」というより「利権」であるとの発想になりやすい。
「利権」というと薄汚れた語感がともなうが、先に言ったように給与や賞与だけでなく、地位に付随する権限、ステイタスとしての部屋や車、交際費など、そのポジションに付随するメリット全てという意味である。
自分がこの「利権」の活用を任された以上、必要なのは求められた成果を出すことであって、どのような形で事を進めるかに口を挟んでくれるな――という発想になるのである。
官か民かを問わず、こうした「利権の集合体」としての組織は、目的(多くはお金)が明確なので、そこに潤沢な利権が供給されているうちは構成員の動きが非常に活発で、反応も早い。あっと言う間に成果が出る。
かつての役人に対する賄賂や付け届け、接待・饗応などは――是非はともかく――そうした役割を果たしていた。ところがこうした組織は、そこに利権がなくなれば途端に無力になってしまうという弱点を持つ。要は「カネの切れ目が縁の切れ目」で、あっと言う間に人心は離散してしまう。
役人の汚職の話をしてきたが、実はさらに心配なのは民間である。「カネの切れ目が…」の理屈は民間企業だって同じなのだから、景気がいま以上に落ち込んで社会のカネまわりが悪くなると、中国社会のモラールは急速に低下する可能性がある。
中国の集団は勢いに乗っているうちはやたらと強いが、いったん旗色が悪くなると堪え性がなく、一気に崩れる傾向が強い。「利権」を配分できないリーダー、組織には誰も寄りつかないのである。
もちろんこれは「国」のレベルでも同じであって、統治者が国民に利権を潤沢に分配できなくなったら、その指導者はもはや死に体である。そういう事態に陥ることを恐れ、この国の為政者はまさに必死の努力をしているように見える>(以上)
支那は大昔から利権に群がって「いい思いをする」のがDNAであり生き甲斐だ。それが習近平により「利権、ダメ、絶対!」になった。結果的に大物にかぶりつく大虎は減ったろうが、小物にたかる小蠅は大層増えたという。そして役人は権限が大きい幹部になるほど「痛い腹」を探られたくないから何も決定しないということになる。結局、役所は機能不全になる。
軍隊という、とてつもない利権集団に習近平は「利権、ダメ、絶対!」と手を突っ込んだ。軍隊は武力があるし、「毛沢東曰く、政権は銃口から生まれる。中共を産んだのは俺たちだ、余計なちょっかいを出すな、中南海に北からミサイルをぶち込むぞ!」と反発する。
こうなると習近平は手足のなくなったダルマだ。何もできない。無知蒙昧な人民の支持もかげってきた。
「虎退治サーカスよりもパンをくれ! どうなっているんだ、パンはまずくなるし量も増えない、楽しみにしていた春節のCCTV特番は習近平に従えというばかりでちっとも面白くなかった。中共が人民のパンを保証するから我々は中共独裁に甘んじている。その社会契約を反故にするのなら我々にも考えがあるぞ!」
人民はそういう気分だろう。習近平核心は必ず習近平乱心、習近平革新(習近平降ろし)になり、習近平が辞任しない限り大混乱になるはずだ。年内はもたないのではないか。オバマがいるうちに米国へ亡命するしかないのではないか。
ポスト習近平は軍閥ごとの国家による軍事独裁連邦になるだろうが、民主化、民営化しなければ支那は二度と立ち上がれない。その今を我々は目撃している。(2016/2/28)