佐瀬 昌盛
寛容から一変した国民感情
ほぼ5年前から内戦状態にあるシリアを逃れ、トルコ経由で流入する難民が欧州諸国を悩ませています。北アフリカのリビアからボロ船で地中海を渡り、イタリアやギリシャに上陸、北上する難民の群れもあるものの、欧州にとっては前者の方がはるかに深刻な問題です。第1に量が違うし、第2に質が違い過ぎるからです。つまり、過激組織「イスラム国」(IS)のメンバーの比率がより高いという事情があります。
シリア難民が目指すのはドイツです。この国はいくつもの理由から難民の受け入れに寛容でした。ナチス・ドイツの過去に照らせば、他人種に対して排斥を叫ぶわけにはいかず、他面、今日のドイツはその経済的繁栄のゆえに外国人を労働者として受け入れる余裕が十分にあるからでしょう。
しかし、ほぼ2年前からシリア難民に対するドイツ人の態度は大きく変わりつつあります。それを物語るのが世論調査の結果で、代表的な世論調査機関「アレンスバッハ」のレナーテ・ケッヒャー所長によると、国民の75%が難民の受け入れと配分は「欧州」の任務だと答え、わずか16% が各国政府の責任事項と考えています。それほどの大差が見られるわけです。
過去1年間にドイツは欧州に流入する難民の8割強に当たる100万人以上を受け入れたとされます。この大量難民を受け入れるには、どうしても収容施設が必要になります。仮に一施設当たり2千人収容だとすれば、実に500ものキャンプを用意しなければならない計算になります。
これほど大量のシリア難民を受け入れるとなるとドイツの国民感情は一変してしまいました。それを物語るのが、2月12日から14日にかけて のミュンヘン「国際安全保障会議」です。文字通り世界各国のエスタブリッシュメントが白熱の議論を戦わせる会議ですが、当日開かれた抗議集会の写真を見て、私は仰天してしまいました。
集会のスローガンにいわく。「軍拡反対! 戦争反対!」
「NATO(北大西洋条約機構)を廃止せよ!」「正義なくして平和なし」「連邦軍のシリア戦争参加にノーを言おう」−。
反戦と社会不安を助長
「2016年度北大西洋条約機構(NATO)安全保障に反対するア ピール」なる長ったらしい文書にはこうありました。
2016年2月のいわゆるミュンヘン安全保障会議には、わけても NATO諸国から政治、経済、軍事のパワーエリートが参集する。悲惨な 難民、戦争、貧困そして自然環境破壊に主たる責任のある連中だ」
さらに「ドイツ軍のシリア戦争参戦にノーと言おう」という文書では、こう主張されています。
「ドイツ軍のシリア投入は道徳的に無責任、かつ憲法および国際法違反、そのうえ大火災を起こす危険大である」。いやはや。
これではまるで反NATO、反戦の集会ではありませんか。なぜこんな主張が大々的に発信されたのか、理解に苦しみます。
が、会議の進行はその逆で、常連格のメルケル首相は欠席でしたが、代わって基調報告に当たった女性のフォン・デア・ライエン国防相はなるほどIS問題に言及したものの、「やはり問題はシリアです。やがてそこでも休戦と平和が生まれます。
そうすれば難民が祖国に戻り、そこで働くで しょう。なぜなら彼らが粘り強い再建作業に必要とされているからです」 と、きわめて常識的、建設的な主張でした。
われわれにはヨーロッパがかつて熱中した十字軍思想もありません。したがってイスラム世界に対して何ら敵対心も持ち合わせてはいません。テロリストを除き、イスラム教徒との平和共存は、われわれには自明の理なのです。(させ まさもり・防衛大学校名誉教授)
産経ニュース【正論】2016.3.3