2016年04月08日

◆『親鸞』と『酒井友哉』 最終回

〜生き仏の講話:シリーズ G ― 酒井友哉〜 

浅野 勝人  (安保政策研究会理事長)



犬以外にうちには狼だっているんですヨ。オオカミ。この頃、近付いていくと、首をこうやってさすってくれって来る。さすってやると手をペロッとなめたりする。本当になついちゃって、信頼してんだ。

自分を助けてくれた人とか、保護してくれる人、世話をしてくれる人、餌をくれる人、散歩してくれる人にはものすごく慕っちゃう。

たとえば、檻の前で友達と話してて、その友達が、「それじゃ、あんたまた後でネ」なんて、ポーンと肩叩いた途端、いままでおとなしくしていたオオカミが、自分の飼い主がいじめられてると思って、檻のなかでウォーと吠える。そうゆうものを持ってるんですネ。

それが今の人間には欠けちゃってるの。だから「絆」って言葉が昔の辞書を見なくちゃ分からないようなことになっちゃってる。また、もとのように日常用語になるよう皆んなが心の平安をずっと伸ばしていく必要があるんだネ。

もう一度、家族とか、友達とかいうものを勉強し直して、いろんなものを人類のために活用出来るように努力する考え方を育てていくことが大切だよネ。そうすれば都会は都会としての、田舎は田舎らしいすばらしい世界が生まれて来るんではないかと思います。

どうも、長いこと、つまらない話しばっかりしちまったけれども、だいたいネ。本で覚えたことなんかひとつもありゃしない。山を歩きながら死に損ないが自然のうちに知るっていうか、感じ、覚えたことばかりです。

皆さん方もネ。またもう一度昔に戻る。昔っていっても1億2,000年前か、宇宙がはじまった頃の人類にいっぺん戻ると、いろんなありがた味を知ることが出来るんじゃないかと思ってネ。

便利すぎちゃって、必要なものがなくなっちゃった。もういっぺん必要なものを取り戻していただきたい。
はい、どうもありがとうございました。 【 完 】

[ 司会 ]
大阿闍梨様、心に沁(し)みるお話を頂きました。誠にありがとうございました。
大阿闍梨様がこれより、お加持を皆さんに施されます。では、お願いいたします。( 平成17年、6月10日 )

十八(まつ)公(ま)麿(ろ)(著者註:親鸞の幼児名、1173年1月生まれ)は、ふたつの小さな掌(て)を、ぱちとあわせて、笑くぼを浮かべた。子どもの掌は、菩薩(ぼさつ)の御(み)手(て)のように丸っこいものである。

人々は、思わず に(´)こっと微笑をつりこまれた。
すると―――

「な、む、あ、み、だ仏」誰か、いった。
低音で、聞き取れなかったのであるが、すぐ次に、かた言(こと)で、はっきりと、「――南無阿弥陀仏」と、つづいて唱えた。

今の無心に出た十八公麿の声は、ただの嬰児(あかご)の初声(うぶごえ)ではない。あきらかに六字の名号(みょうごう)を唱えたのである。(1巻、76頁)

親鸞は、8才で日野(ひの)民部(みんぶ)忠(ただ)経(つね)の門を叩いて弟子入りします。

「民部は、儒学の第一人者であったが、磊落(らいらく)な質(たち)で、名利を求めず、里にかくれて、児童たちの教育を、自分の天分にしていた」とあります。

十八(まつ)公(ま)麿(ろ)は、たちどころに孟子、孔子、五経、論語を修め、9才で得度して仏門に入ります。天台宗の若僧となって、すさまじいほどに仏典を読破し、自らの解釈を打ち立て、比叡に籠(こも)って荒行に耐えます。

伊藤健太郎・仙波芳一両氏の著書「親鸞聖人に学ぶ」によると、「親鸞聖人も無動寺谷に籠られたことがあり、『お堂入り』の難行をなされた伝承がある」といいます。

並外れた天稟(てんぴん)(生まれつき)の天才少年が、夜を徹して学び、自ら『行』を求めて励みますから、抜きんでて頭角を現わします。勢い周りの妬(ねた)みが増幅します。

青年となった彼の比叡山での講義が熱をおびるほど、聞く法師衆も熱します。そして、内心深く考え直して衝(う)たれている者と、範宴(親鸞、最初の法名)に対する反感をいっそう強めている者とに分かれます。

新しい力が興(お)きようとする時には、必ず古いものがこぞってそれを誹謗して、妨害します。

―― 「お師さま」と、性(しょう)善坊(ぜんぼう)は改まっていった。

「きょうのご講義は、胸のおどるほど、ありがたいお教えと存じますが、とかく妬みや、反感も多かったようでございます。あまり真情に仰(お)っしゃるのは、かえって、ご一身のおためによくないのではないかと案じられてなりません」

「真情にいうて悪いとすると、自分の信念は語れぬことになる」
「郷に入っては、郷にしたがえと申します。やはり、叡山には叡山の伝統もあり、ここの法師たちの気風だの、学風だのもございます」

「ここの人々の気に入るようなことを説いて、それをもって足れりとするくらいなら、範宴は何をか今日までこの苦しみをしようか。たとえ、嫉視、迫害、排撃、あらゆるものがこの一身にあつまろうとも、範宴が講堂に立つからには御仏(みほとけ)を欺瞞(ぎまん)の衣(きぬ)につつむような業(わざ)はできぬ」(2巻、105頁)

親鸞は、自ら難行苦行の道を選び、宗門どうしの争いに対しても、学び抜いた新しい理念への確信と暴力を超越する信念によって次々と克服していきます。そして法然上人と出会い、そのもとで更に修行を積んで、時代を切り開く新しい宗門の宗祖へと登りつめて行きました。

800年を隔てて、天才・親鸞聖人と共通するものを愚直に見える人間・酒井友哉  阿闍梨にみるのは、私のこじつけだろうか。(元内閣官房副長官)
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