2016年05月01日

◆変節漢小澤の証拠

渡部 亮次郎



私のメイルマガジン「頂門の一針」530号(2006年8月10日)で「小澤一郎の狂乱」を掲載したところ、知り合いのジャーナリストから「こんな”証拠“が残ってましたよ」と言う投書があった。変節漢小澤の動かぬ証拠だ。

530号では

<「祀られる人ではない 小澤氏、靖国合祀のA級戦犯」という記事が2006年8月7日の産経新聞に出ている。この人は大学院まで学んだ人だが、政治家でありながら日本史を全く勉強していない人なのだと改めて認識した。ダメダコリャ。>と冒頭に掲げて論じた。

これに共感し、更に送ってきてくださった投書は以下の通りである。

<「頂門の一針」530号、「小沢一郎の狂乱」に寄せて。

民主党の小沢一郎代表が中曽根内閣の自治大臣だった昭和61年の国会答弁が、唸声(ハンドルネーム)氏主宰の「現代レポート」に掲載されていました。

◇唸声より
EDO様、ありがとうございます。国会会議録から抜粋いたします。

昭和61年04月02日−地方行政委員会より抜粋

○佐藤三吾君 それでは、公式参拝ということについてはいかがですか、認識は。

○国務大臣(小沢一郎君) 公式参拝というのは、いわゆる国務大臣の任にある者が参拝するというケースを言うのであろうと思います。ですから、私の考えは国務大臣であろうがなかろうが、現在はなっておりますが、今申し上げたような気持ちで今後も行いたいと思っております。

○佐藤三吾君 あそこにはA級戦犯も合祀されていますね。これについてはあなたはどういう認識ですか。

○国務大臣(小沢一郎君) 基本的に、お国のために一生懸命、その是非は別といたしまして戦ってそれで亡くなった方でありますから、そういう戦没者に、参拝することによって誠の気持ちをあらわす、また自分なりにそれを考えるということであろうと思います。

したがいまして、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではないだろうと思っております。たまたま敗戦ということによって戦勝国よって戦犯という形でなされた人もいる。

あるいは責任の度合いによってABいろいろなランクをつけられたんでありましょうけれども、その責任論と私どもの素直な気持ちというのはこれは別個に分けて考えていいんではないだろうかというふうに思っております。

○佐藤三吾君 まあいいでしょう、あなたの率直な考えだからね。 千鳥ヶ淵には参りますか。

○国務大臣(小沢一郎君) 千鳥ヶ淵に今まで行ったこともありますが、靖国神社の方が今までも多かったと思います。何といいますか、自然な感じで靖国神社の方により多く足が向いたのであろうと思っております。
 
小沢一郎君がABC級は戦争責任の軽重によるランク付けと認識していたとは噴飯ものですが、かかる変節政治家が政権をとったらと想像することすら恐ろしい。(田川市)>

昭和21年4月29日の天皇誕生日に合わせて、28人の「A級戦犯」が選ばれた。ABCとは、ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判をそのまま適用したもので、

「A」は平和に対する罪、
「B」は通常の戦争犯罪、
「C」は人道に対する罪だが、ACは事後法。

戦争を始めた国の、指導者個人の責任を問うものだった。

戦争は、国と国の間の問題で国家の行為だが、個人の責任を問うという法律をアメリカが作ったのだ。実際、マッカーサーが「極東国際軍事裁判所条例」という法律を作り、それによって戦犯が定められた。

ヒットラーは1933年から1945年まで独裁体制で、軍事行動を行っていた。日本は1928年から1945年まで、A級戦犯とされた28人が一貫して満洲、中国、東南アジア、太平洋、インド洋と侵略したことにされたが、1931年の満州事変の時と、1937年のシナ事変、1941年の大東亜戦争の内閣は全部違う。日本の内閣は18回も交代している。

アメリカは、大東亜戦争のずっと前まで遡って、1938年の張鼓峰事件や、1939年のノモンハン事件まで日本の侵略戦争と位置づけ、A級と名付けて殺すための日本人を28人も選んだのだ。

ソ連は、天皇誕生日に合わせて起訴するためのアメリカの起訴状ができた後で駐ソ日本大使と関東軍司令官をA級戦犯に加えろとアメリカに要求してきた。それで急遽、2人が加えられた。

東京裁判は、国際法に則ることなく、マッカーサーの命令で進められた。国際法は無視されている。マッカーサーの「極東国際軍事裁判所条例」に基づいて裁判官が決められ、ポツダム宣言も無視された。

小澤氏は靖国神社のA級戦犯の合祀問題について問われ「俗に戦犯と言われる方々は戦争を指導した人たち。それをきちんと問わなければいけない。靖国神社は戦争で死んだ人を祀るもの。指導者は戦死しておらず、そこに祀られるべき人でない」と応えている。人を騙すにも程がある。戦犯のABCの意味も知らない代表を抱えた民主党のあばら骨が見えた。

戦犯とはわれわれ日本人がきめた者ではない。戦勝国とくにアメリカのマッカーサーが恣意的に指定し、恣意的に判決と称するものを下し、皇太子殿下(当時)誕生日にあわせて処刑したものであり、いわばリンチによる死であるから、立派な戦死ではないか。

「それをきちんと問わなければいけない」と小澤氏も言っているように、我々日本人が戦犯を問うたことがない。「きちんと」問えば小澤氏がいかに変節漢であるかが明白になってしまうわけだが、それでもいいかな。

マッカーサーが行った日本占領政策の実態をアメリカに長く滞在して研究したのは麗澤大学教授の西 鋭夫氏である。氏はその実態を著書にした。現在は中央公論文庫になっている。書名は『国破れてマッカーサー』。【文中敬称略】


    
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