2016年05月07日

◆古寺旧跡巡礼 瑞龍寺(富山県高岡市)

石田 岳彦(弁護士)



加賀百万石といわれますが、金沢藩・前田家は加賀国(現在、石川県南部)のみを治めていたわけではなく、能登(石川県北部。最初に織田信長からもらったのは実はこちらの方です。)と、越中(現在の富山県)も前田家の領地です。

加賀藩の初代藩主である前田利長(としなが)は、異母弟で養子の利常に藩主の座を譲り、越中の富山城に隠居しましたが、火事で焼け出されたため、新たに越中国の関野の地に築城し、新たにこの地を「高岡」と名付け、こちらに移りました。

利長が亡くなった後、弟の利常はその菩提を弔うべく寺を建てたのですが(正確には利長が建てた寺を建て替えて改名したそうですが、前後で規模が全く違うので、「利常が建てた」と言ってよいでしょう)、それが今回ご紹介する瑞龍寺です(ちなみに山号は「高岡山」)。

高岡駅の改札口を出た私を出迎えたのは「としながくん」という鎧武者の格好をしたゆるキャラ(地方自治体作成の広報用キャラクター)の看板でした。

ひこにゃん(滋賀県彦根市のゆるキャラ)が大ヒットを飛ばして以来、地元ゆかりの武将をモチーフにしたゆるキャラを作る自治体が急増した気がしますが、利長は高岡市の生みの親といってもよい人物であり、それに由来したゆるキャラを作ったのでしょう。

駅の南口を出て5分ほど歩くと、「右へ行くと瑞龍寺、左へ行くと前田利長公墓」という立て札があります。右に曲ってさらに5分ほど歩くと瑞龍寺です。

拝観料を払い、総門(これもどっしりとした風格のあるものです)をくぐると、石畳の参道の両側には白洲が広がっており、正面に巨大で重厚な山門がそびえています。
 
瑞龍寺では、この山門と後述の仏殿、法堂の3棟が国宝に指定されており、ジャンルを問わずに富山県で唯一、建物としては北陸でやはり唯一の国宝です(平成22年6月現在)。

これだけ立派な寺をこしらえたのは、何人もの兄弟の中から自分を養子にし、藩主を継がせてくれた(利常の体格の良さが決め手だったとのことです)利長に対する利常の感謝の念がそれだけ大きかったということでしょう。

白洲の間の参道を歩いて山門を抜け、次に目に飛び込んでくるのは一面の鮮やかな緑。山門の左右から回廊が伸び、一番奥にある法堂を両側から挟み込み、中央の仏殿を囲む格好で四角形の中庭を形成していますが、その中庭には芝生が敷かれています。

お寺に芝生という意外な組み合わせにまず驚きますが、長い風雪を経てくすんだ古建造物と鮮やかな芝生の緑が違和感なく調和していることにもやはり驚かされます。誰が考え付いたのでしょうか。

仏殿の屋根瓦は白みがかった色をしていますが、これは瓦が鉛製のためで、鉛瓦葺の建物は現存するものではここと金沢城の石川門だけとのこと。

パンフレットによれば、鉛を使ったのは、美観に加え、戦のときに溶かして鉄砲玉にするためということですが、戦に備えた姿勢を公然と示すわけですから、江戸幕府に睨まれそうな気がします。

もっとも、利常という人物には、時として、幕府に対し反抗的と見られかねない行動を好んでとりたがる傾向があったようで、この件もその一環かも知れません。

ちなみに兄の利長は豊臣家と徳川家との間で板挟みになり、病死ではなく、服毒自殺だったのではと噂されるような人物で、兄弟といえどもかなり性格が異なったようです。

仏殿に入ると(鳩が入らないように、扉を開け放しにしないように張り紙があります。鳩の糞害も馬鹿になりません。)、中央の高い須弥壇上には釈迦三尊像。禅寺の場合、ご本尊は基本的に釈迦如来です。お釈迦様が菩提樹の下で瞑想のすえ、悟りを開かれたことをもって、座禅の始まりとされていますので。 

お参りを終えて法堂に向かいます。なだらかな銅板葺きの入母屋屋根の建物です。


入り口から見て、手前が土間の廊下になっていて、左右の回廊へと繋がっています。正面入り口で靴を脱いで板間に上ることができますが、土間との高低差はかなりのものです。

板間の奥は畳敷きの部屋が横3室×2列の方丈(禅寺で住職が居住する建物)様式の間取りで並んでいます。中央には利長の巨大な位牌が存在感たっぷりに立っていました。

回廊で繋がれている大庫裏、禅堂等もひとまわりし、総門から出て、法堂の裏側に回ると、織田信長、その長男で跡継ぎだった信忠(のぶただ)、前田利家、利長らの供養塔があります。

瑞龍寺の前身になった寺は、利長が織田信長・信忠父子の菩提を祀るために建立したということなので、利常がこれらに父(利家)と兄(利長)らを加えて、供養塔を建てたということでしょう。

なお、前田家がおそらく織田信長と同じか、それ以上に世話になったであろう豊臣秀吉の供養塔が無いのは、徳川政権下で生きるための大人の事情というやつでしょう。おそらく。

柴田勝家の供養塔が無いことまでとやかくいうのは、さすがに意地悪でしょうか。

来た道を戻り、先ほどの分岐点から、今度は前田利長の墓に向かいます。瑞龍寺からゆっくり歩いて15分ほどでしょうか。


「戦国大名としては日本一の規模」と看板やパンフレットに書かれており、確かに立派なものです。 もっとも、彼の父の利家は、本来、織田信長配下の一武将で、織田家の巨大化とともに大名になった人物ですし、その死後に跡を継いだ彼はあくまでも豊臣政権下(正確には秀吉亡き後の徳川幕府への移行期)の一大名だったので、利長が「戦国大名」といえるかについてはかなり疑問を感じますけど。

ともあれ、父と弟に挟まれていまいち存在感が薄く(利常又は、大河ドラマの主人公になる前の利家の一般的知名度が、利行のそれとどのくらい違うかと問われると実のところ困りますが、歴史ファン的にはそのようなイメージです)、かつ、幸福とも、穏やかとも言い難い晩年を送った利長ですが、立派な菩提寺と墓を建ててもらい、地元民から町の父と慕われ、ゆるキャラにも抜擢される(これに関しては喜んでないかもしれません)等、死後においてはそこそこ恵まれているようです。

駅に戻り、北側へ向かえば、利行の築いた高岡城があり、途中には鋳物の町・高岡のシンボル「越前大仏」が鎮座されています(本当にどうでもよいことですが、大仏前で大仏焼きという、たい焼きの親戚が売っていました。)。

また、残念ながら、今回は行く時間がありませんでしたが(大阪〜高岡日帰りなんて無茶なことはするものではありませんね。)、郊外には、前田家により建てられた重要文化財建造物が多数残る、伏木地区も控えています。
 
泊りがけでゆっくりと見て回りたい町です。     終

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